マティウスとの激しい死闘の末に、見事勝利を納めたルカ達。しかし、歓びに身を踊らせる一行に魔の手が――


「う……!」

突然、スパーダの身が凍った。一行が気付かずに歓声をあげる中、フラフラと足を狂わせながら前へ進む。

「スパーダ?」
「ッ……ル、カぁ…」

呻き声に気付いて振り返ったルカに、スパーダが凭れ掛かる。ルカは少しだけ不審に思い、普段より随分と積極的な彼の顔をそれとなく見つめた。

「え……!?」

元より血色の悪い頬がみるみる内に青ざめていく。崩れ落ちそうな身体を支えるために両手を脇腹に回すと、掌にぬるりとした嫌な感触を覚えた。右手を身体から離して恐る恐る見てみると、自らの手が朱に濡れている。

「ひッ……」

喉が引きつり、身体中が震え出す。こんなにも恐怖を感じたのは、ルカにとってはじめてのことだった。

「嘘……嘘だ……だって僕らは、」

勝った「はず」なんだ――

「!」

はっとして振り返った。先刻まで声高らかに喜んでいた仲間の姿が無い。また、背後でこと切れていたマティウスも、いつの間にか忽然と姿を消している。まるで、はじめから存在しなかったかのように。

「そん…な……」

虚無感に任せてゆっくりと膝を落とす。なんだ、これは。何故さっきまでこの城で闘っていた仲間がいない?マティウスも、自分の前世とイリアの前世の姿が混ざりあったあの歪な巨体でさえ、今は幻のように消えてしまっている。自分の存在を認めてくれる者は、もう自分の腕の中で弱っているこの翡翠色の青年だけだった。

死なないで、死なないでよ…

切実な祈りとは裏腹に、止まることなく流れる余命宣告。


「ルカ……?」

不意に、耳元で声がした。

「な、なに?どうしたの、スパーダ?」

すがるようなルカの声。震える手でスパーダの身体を抱きしめ、親を探して鳴き喚く小鳥さながら恋人の名を呼び続けた。こんなにも無様で滑稽な姿は、きっとスパーダ以外の誰もが未知の事実であろう。

取り乱すルカを前にして、スパーダは至極冷静に話し始めた。

「いい、か?…ッ…よく聞け……全ての、根源は……あぐッ!」

身悶えるスパーダ。ルカを力任せに押し離すと背を向け、喉を押さえて四つん這いになり、幾度か咳き込んだ。酷く生臭い臭いが空気中を侵していく。

「スパーダ……もういいよ、もういいから……!」

スパーダが声を出せないことは明確であった。ルカはどうするべきか分からなくなって一時途方に暮れたが、何かを伝えようとしている彼の声に耳を傾けることこそが、今自分がすべきことなのだと合点した。

「ル゛…カ……」

「うん、聴こえるよ…」

瞳が虚ろに陰っている。もう目も見えてはいないのだろう。ルカは訳もなく彼を抱き寄せた。見えないのなら、せめて肌で感じて欲しかったのだ。僕はここにいる、と。

「好き……だ…ッ…」

枯れ果てた声で一番伝えたかった事実を囁いて、スパーダは力尽きた。ルカの小さな胸の中で、一筋の涙を流しながら。

* * *

「っ、、ぅ、」

それからしばらくの間、ルカは呼吸さえまともにできなかった。陸にあげられた魚のようになって、喉の粘膜が焼けるように痛んで、嗚咽の度に吐き気を催した。

「っ……すぱ、だ、……うぅ」

救えなかった。
守れなかった。
無力だったんだ、どうしようもなく。
ごめんね、ごめんなさい。

ルカは何度も謝罪の声を洩らした。今や獣のようになってしまった鳴き声で、幾度も。頬を伝う不定形のエゴは、まるで蛞蝓のように這い回って、とても気持ちが悪かった。


ため息のような深呼吸。
穏やかな顔で眠る恋人を固くて冷たい床にそっと横たえ、ルカは立ち上がった。

「……赦さない」

赤い水溜まりに顔を映す。濡れてぐしゃぐしゃになった顔があった。しかし、その顔はこの場の湿った雰囲気には不釣り合いなほど怒りに満ちた顔をしており、同時に泣き出す前の赤子のような風貌も併せ持っていた。

「スパーダの…僕の仲間の仇だ……!」

鬼気迫る形相で、背に担いでいた剣の柄を握る。力任せに引き抜くと、剣身が強く唸りをあげた。

獣が盛ったような荒い呼吸を繰り返す。異常に高鳴る鼓動の中、赤子の泣き声が聞こえた気がした。

仇も知らぬまま、あてもなく彷徨しようと一歩踏み出す。気配は殺気を纏い、まるでピンク頭の殺人鬼そのものだった。

ふと、虚ろな瞳に血溜まりの端が映った。

黒くこびりついた文字――血文字だ。血溜まりと亡骸の間に小さく記されていた。恐らくスパーダが今際の際に残したメッセージであろう。

「これは――」

近づいてよく見ると、そこにはこんな文字が。


It is dream[ochi]



「夢……オチ?」

手が柄を離れた。鉛が酷く鈍い音をたてて床に落ちる。

ばかな。そんなはずない。
こんなに現実的な、残酷なほどリアルな世界が夢であるはずがないんだ。

ルカは目を皿にして、真の決め手となるものを探した。血溜まりの周囲を、緻密に極め尽くす。だが、いくら探してもこれといったものは見つからなかった。ルカが途方にくれたそのとき――

「あ!」

――ある。一ヶ所だけあるじゃないか。まだ探していない箇所が。僕が無意識に探すのを躊躇っていた場所が。

「スパーダの…下だ…!」

間違いなかった。死に際には既に出血していなかった彼の背中からは、まだ何かは特定出来ないが黒い染みが見える。しかも先刻見つけた文字にかなり近い場所に横たわっているので、彼の下に隠れた文字が続きであることも安易に想像がついた。

心臓が再び高まる。今度は宝箱を開けるようなそれだった。待ち望んだ夢を遂げることへの有頂天外と、今までの旅の終焉を迎えることへの断腸の思い。まさに葛藤であった。

長き無言の末、ルカは漸く行動に出た。

スパーダを抱き抱え、血文字から遠ざける。身体はまだ柔らかいままであったが、その肌の白さと冷たさに、また泣き出してしまいそうになった。

そして、スパーダの元いた場所へ踵を返す。新たな情報を目前に跪坐し、床に両手をついて懸命に読み込んだ。

そこに描かれていたのは記号――もしくは絵であった。

三日月のように滑らかな輪郭。楕円形の先は器用に尖らせており、気品すら感じさせる豊かさだ。複雑に絡み合った三つの楕円は、先端部のものに纏め込まれ、一つの房となっていた。

「そ、そんなぁ……」


どうして―――

身体中の力が抜けた。膝から崩れ落ちる。それまで身体を支えていたものを、根刮ぎ奪われたようであった。

そもそもなぜこんなものを遺したのだろう。友情、または愛の証?意味深すぎて伝わるわけがない。では、やはり敵の姿であろうか。いや、マティウスはこんな姿ではないし、百歩譲って新手の刺客だったとしても、こんな個性的な敵は絵面的にタブーであろう。

「わからないよ……」

僕もう、君がわからない。

なぜ続きが絵なのかも。英語でロマンチックに話が進んでいたのに、なぜ突然茶目っ気たっぷりに絵心を使ってきたのかも。

とりあえず、僕にも使わせて欲しい。

とびっきりの、おちゃめ機能。



ルカは目尻に涙を浮かべ、死んだ目で柔らかく微笑む。両手を挙げて、声高らかに叫んだ。





さあ、皆さんご一緒に!!





「そんな、バナナー!!!!!!!」




終わってしまえ。




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