こんな状況でこんなことを言うのはなんだが、あえて言おう。 決して俺は悪くない。 不可抗力だ。 「お願いします……犬飼くん?」 聞き慣れた声が弓を引き終わった俺の耳に入る。 俺が早くに来ていたことに驚いたのか、学園の女神こと夜久月子は弓道場に入るときのいつもの挨拶のあと多少気の抜けた声で俺の名を呼んだ。 「よお」 「珍しいね、犬飼くんが朝練来てるなんて。」 「おいおい、俺が不真面目みたいな言い方すんなよー」 「そ、そういうわけじゃないよっ!」 俺がからかうと勘違いを正そうと必死になって言い返してくる。 ……それがまたかわいいんだわ。 なんてサブキャラ要員の俺が言ってもフラグが立つわけでもねえし、何の意味もねえけどな。 「わかってるっつーの。つーかお前は本当に真面目だなー。いつもこの時間か?」 「うん。朝に集中してやるとそのまま授業も集中できるような気がするの」 ほー、これはまた模範生徒もしくは優等生なお言葉ですこと。 インターハイが終わった今の期間の朝練は基本的に自主練だから、絶対に来なきゃいけないわけじゃない。まあかの有名な鬼の副部長様(っと、今は部長様か)は朝練を推奨してはいるけどな。 「じゃあ着替えて来るね」 「おう」 俺達が体育祭の二人三脚で一位を勝ち取り、その賞品として作らせた女子更衣室へと入っていく。 ……本当、俺達って大層夜久にご執心してるよなー。 体育祭で頑張っちゃう俺達然り、別に俺達が頑張らなくても弓道場に女子更衣室を作ろうとしてた生徒会の奴ら然り、いつもボディーガード並に引っ付いてる幼なじみ三人(確か一人アメリカに行ったから今は二人か)然り。 ……ああ、某弓道部顧問兼あいつの担任や某保健医や最近来たあのもじゃ……じゃなかった、某教育実習生もあいつにご執心だったっけ。 まあとにもかくにもあいつの周りにはいつもあいつを守ってくれる(ある意味で)男らしい面々がいらっしゃるわけで。 俺や白鳥、小熊のように一くくりに3バカと称されてしまっているサブキャラクターには、全く入る隙というか役割はなくて。 「……犬飼くん?」 いつの間にか着替えを終えて出て来ていた夜久は、ぼーっと突っ立っている俺が気になったのか声をかけてきた。 「んあ?」 「どうしたの?」 「いんや、ちょっと眠いなーっと思っていたところだ」 「早起き慣れてないってこと?」 「……まあそんな感じだ」 「ふふっ、犬飼くんらしいな。……よーし、練習しよう!」 そう言って夜久は弓を取りに行くために俺から離れていった。 つーか早起きに慣れてないのが俺らしいって……俺をなんだと思ってやがんだこの女神様はよ。 「きゃっ!?」 「夜久!?」 夜久がいきなりかわいい声を上げた(なんかこの言い方エロいな)と思ったらあれまあ女神様のついでにドジっ子の称号も与えてやりたいくらいだぜ、袴の裾を踏むという随分古典的なドジをしたらしく顔面から転びそうになっていたため、俺は持っていた弓を乱暴に置いて、咄嗟に手を伸ばした。のだが。 「うわっ!」 格好悪いことに俺も袴の裾を踏み、一緒に転んでしまった。 しかも、俺が夜久に覆いかぶさる感じで。 そして冒頭に戻る。 「……す、すまん……」 「う、ううん……」 おいおいどうした俺。これはドジっ子じゃ済まされんぞ……。 しかし体制を立て直すにも幾分顔と顔が近すぎて、いや、まあ、なんというか……とりあえず下手に動いたら絶対に触れてしまう、そんな距離だった。 そんなこんなで動くわけにもいかず、一瞬時が止まったかのように俺達は見つめ合った。 「……あ、え……」 どうにかこの状況を打開しようと目を泳がせ、そして唇が、夜久のあの唇が、言う言葉を探して、ぱくぱくと動いている。 何か塗っているのだろうかと思うほどつやつやしていて淡いピンク色に染まっているそれに、他のやつらは魅了されていて(まあそれだけじゃないんだけれど)、俺もまたその中の一人になってしまった。 「犬飼く、……ん……」 思わず口づけてしまっていた。 「……………」 「……………」 軽く触れるだけで離れたものであったが、キスはキス。 俺は頭の片隅でやっちまったと思ったが、サブキャラ要員のはずの俺が、決してこいつと結ばれたいと思ってはいけないはずの俺が、今ならこいつが手に入ると、大脳のどこかで考えていたらしい。 全くおかしい話だ。0に近い希望をこの俺様が持っていたとはよ。 「……………」 「……………」 間。 朝の静けさが憎らしく感じるほど俺達の間には会話がなかった。夜久はただ目をパチパチさせて表情一つ変えずに俺を見ていた。俺もまた夜久をただじっと見ていた。ただ、見つめ合うだけ。そんな空間。 ……最悪だ。この犬飼隆文、人生始まって以来の大失敗だ。どうして人間は本能を抑えられないのだろう。理性というすばらしく画期的なツールがあるというのにそれを使いこなせないなんて、とんだ宝の持ち腐れだ。そう嘆くと同時に、とてつもなく俺は、今この時点で自分が人間であることに絶望した。 「……わりぃ」 とりあえず俺が慎重に起き上がれば問題ないかもしれないと思い、静かにゆっくりと体を起こす。 さっきまであんなに近くにあったのに、離れていくあいつの体温を、名残惜しいと思うなんて。夜久に気付かれないように、俺は奥歯を噛み締めた。 「犬飼くんっ……」 「うわっ……」 せっかく起き上がったのに他の誰でもない、あいつの手で、俺はさっきの体勢、いや、さっきよりももっと近くにあいつの体温を感じられる体勢になってしまった。……つまりは、あいつと抱き合ってるってこと。 「夜久っ、お前何して、」 「好きっ……」 「……は?」 「私、犬飼くんのこと好きなの……!」 いきなりの言葉に俺の思考は完全にストップし、夜久が何を言っているのかわからなかった。 「えーと……夜久?」 「……わかってる。犬飼くんは私のことなんて何とも思ってないよね」 「へ?」 「いいの、結果はわかってたし、ただ、私の気持ちを伝えたかっただけだから」 「あの、夜久ー……?」 「ごめんね、こんなことしちゃって。今の言葉忘れてくれて構わないか……んんっ……」 自己完結しようとしてた夜久に苛立って、俺は思わずキスをしていた。 「犬飼く…っん、」 幼なじみの奴らがいたんだ、男に対する防衛線はしっかりと怖いくらいに張ってあっただろうから、きっと夜久はキスは初めてのはずだ。なのに、最初からこんな深いキスをかますなんて、はっ、俺は所詮こいつに魅せられたただの男だったってわけだ。本能が、人間としてじゃない、あえて言うなら獣のような本能が、俺を掻き立て、目の前のこいつを食べるかの勢いで唇を貪りさせた。 「ふっ……んぁ……ん、」 いつもとは違う淫靡な吐息を漏らす夜久に、俺は更にヒートアップして興奮していた。が。 「んん……ん、んん……!」 息が苦しくなったのか、俺の胸を押す手の動きに、それはやんわりとした(力の入っていないのほうが適切か)動きではあったが、それによって俺は我に返り、唇を離した。 「はぁ、ん……いぬか、い、くん……」 乱れた息、途切れ途切れに発せられた俺の名前によって、俺の複雑な心境に合わせて構成された後付けの思考はどこかへ飛んでいった。 「俺だって、」 「え?」 「俺だってお前のことが好きなんだが」 「……え?」 驚いた顔を見せる夜久に、俺はもう一度、さっきよりもなるべく深く口づけた。 本能行動、ブレイクアウト (最初から備えられた感情を解放します) 2011/01/26 |