勇者刑 | ナノ

槍は折られた。鼻やら口からは血が出ている。全身それなりの打ち身やら打撲塗れて息も絶え絶えだった。
折れた槍を支えにしてライノーはなんとか身体を支える。
問題は致命傷の一つも与えずに男がライノーを打ちのめしたことだった。それは男が手加減したことに他ならない。最強とまで自惚れる自負はしないが、ライノー・モルチェト…通り名を《這い鮫》はそれなりに名の通った冒険者だ。
弱いつもりはない上に相手は丸腰だった。

「憂さ晴らしと小銭稼ぎか?それほど困窮しているようには見えねぇな」

低く静かな声だった。満身創痍なライノーと対照的に男は汗一つもかかずに気怠そうに立っている。
ライノーを歯牙にもかけてない。それがありありと分かる。
舐められてるとは思わなかった。ライノーと男の実力はあまりにもかけ離れている。
この男は化け物だ。ライノーの理解の及ばない存在だった。


ここに至るキッカケはなんだったか。そう、ライノーはむしゃくしゃしていたのだ。
だから殺しても問題ない場所で殺しても問題ない相手を殺して懐にある新王国硬貨を頂こうとした。
大金が欲しかったわけじゃない。飲み屋に入って酒が飲めるくらいでよかった。そうすれば気分はスカッとしたろう。
ライノーは獲物の無様な逃走をせせら嗤い、追い詰めていた。楽しかった。気分も良かった。あの時無意味に時間をかけなければ良かったと今なら思う。
獲物は逃げる途中でこの男にぶつかった。そこから歯車が狂い出した。
信じられないことに獲物は男に助けを求めたのだ。底抜けの馬鹿だとその時は思っていた。
面倒ごとに自ら顔を突っ込む輩はいない。ましてやここは裏通りだ。何が起こったとしても密やかに黙殺される。助けてくれるような“お人好し”がこんな所にいるはずもない。そのはずだった。だが、男は最も賢い選択肢である見ないフリを選択しなかった。
ライノーの二つ目の失敗は、獲物を逃がそうとした男にライノーが面倒になってまとめて殺そうと思った所だ。丸腰だから簡単だと勘違いしてしまった所も良くなかった。
そして男と交戦して完膚なきまでに実力差を見せつけられて冒頭に至るわけだ。

「急に無口になるのか。なんか喋れよ。顎は砕いてなかったと思うぞ?」

無茶を言うなと叫んでやれたらどれだけ楽か。息を整えるので精一杯で、そんな気力は今のライノーにはなかった。
世の中には、他人を甚振るのを好む猟奇的な趣味を持つ悍ましい輩がいる。
同類扱いされるのは業腹だが、ライノーもちょっとだけそんな趣味があると認めてやってもいい。
だからこそ分かるが、男はライノーを痛めつけて面白がってるようには見えなかった。ましてや正義感や義務感も感じられない。好戦的さとはまた違う。
この男は、特筆すべき理由もなくライノーと相対して、暴力を用いて何の気なしに赤の他人を助けて、ごく普通に去っていくのだろう。

男は救済を謳う胡散臭い聖人や正義感に満ち溢れた善人のどちらでもない癖に、だ。

意味が分からない。理解不能だ。この男の暴力は欲を満たす手段や生存の手段のどちらでもない。理不尽だ。滅茶苦茶だ。正直に言えばーー恐ろしい。

「アンタ、俺を…殺すのか」

ようやく絞り出した言葉は信じられないくらいちっぽけで情けなかった。
馬鹿馬鹿しい一時の欲求に流された結果死ぬなんて情けなさすぎる。
今までの冒険者として生きてきてヒヤリとさせられた場面はいくらでもあったがそれとは一線を画す窮地と言えた。
男はライノーの生命を握っていた。後々逆恨みをされる危険を考えるならここでライノーにトドメを刺しておくのが正解だ。馬鹿でも分かる明白な事実だった。
だが、命を取らないでくれと乞うことは無意味だった。代わりに男へと差し出せる利益をライノーは持ちあわせていなかったからだ。

「お前がまだ向かってくるならそうなるな。引き上げるなら別に追ったりしねぇよ。動けるならな」

「殺さないのか?アンタ…いっちゃなんだが、馬鹿なのか?」

「逃げるお前の後ろから首をへし折ってぶち殺してやってもいいが?」

「ははっ…ごめんだね」

男はそういう類の悪党には見えなかった。ライノーは自分の勘を信じることにする。そうでないなら死ぬだけだ。
恐ろしい男だ。無慈悲で退屈そうで理不尽だった。
この男の奮う暴力は単純な力だけではなく、動機も不明で心底理解不能で恐ろしい。しかし、欲望と裏切りと殺しの中で生きてきたライノーの持ち合わせる暴力とはどこか違ったように感じる。
だから、思ってしまったのだ。
この男なら、ライノー自身にも御しきれない性根をなんとかしてくれるかも知れない、と。

「アンタ、強いんだな。俺はライノー・モルチェト。《這い鮫》の異名で通ってる。良ければ名前を教えてくれるか」

「ナマエ・ミョウジ」

「ナマエ、アンタに着いていかせてくれ!」

「なんだと?」

心底嫌そうな声音だった。ハッキリと不快感を全面に出して、なおかつナマエは「断る」と続けた。
これは予想の範疇だ。思ったよりも拒絶の度合いが強かったが些細なことだ。
ライノーの有用性を示したらナマエはきっと納得してくれるはずだ。
ライノーはナマエに可能性を見た。ナマエに着いていきたい。影響されたい。

「俺はアンタに着いていきたい。役に立つぜ。損はさせない」

ナマエのそばにいれば自分はほんのちょっとだけマシな人間になれるかも知れなかった。
この上なく恐ろしい化け物の如き男のそばなら、自分も早々『悪いこと』は出来ないだろう。なんせライノーの恐怖の権化である。
ナマエのそばでならロクデナシも少しはマシな人間になれるだろう。
そして、出来るなら、いつかは本物の英雄のようなことをしてみたい。

「断る。お前どうせ隙を窺って後ろから俺を刺すつもりだろ」

無理もない。自分でも信用しないと思う。
だがナマエを裏切るなんてとんでもない。きっと役に立ってみせる。
夢を追う少年のように浮かれた気持ちでナマエを見るライノーに、ナマエは大きくため息を吐き出した。


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