ナマエの部屋からナマエの身体が消えて、ついでにリッパーの捧げた薔薇も消えた。
返答として、花はもう良いと置き手紙に書かれてしまえばリッパーにやることはなくなってしまう。
ハスターに尋ねると戻ってきたようだ、とのことで、ナマエがどうやら動き出したようだとリッパーは結論づけた。
問題はリッパーがナマエに遭遇していないことだ。
広い屋敷で隠れる場所は幾らでもあった。面白がって手を貸すハンターもいるだろう。
ナマエが本気で隠れればリッパーには探すことが困難だった。以前はそうではなかったのだ。
だからといって諦める選択肢は勿論なく、リッパーはその中で最も可能性の高そうな相手の元を手始めに訪ねることにした。
最も可能性が高いが、あまり得意な相手ではない。せめて黒い方であれと思っていたがその思いが通じることはなかった。
リッパーは溜息を吐き出したいのをグッとこらえた。

「貴方がわざわざ来た理由を当てて見せましょうか。心なんて読めなくたって分かりますよ。むしろ分からない方がおかしい」

謝必安は含み笑いを見せながら余裕たっぷりにリッパーを迎えた。
まるで分かっていたと言わんばかりの態度にリッパーは促されたソファに座りながら仮面の下で顔を歪めた。
ナマエの事はハンターたちにとっていい揶揄いのネタだ。分かっていても感情の制御は難しかった。

「ナマエの事ですね。言っておきますが私から答えられることは少ないですよ。彼女は范無咎との方が仲が良いので私とあまり会ってくれませんから」

嫌われているんでしょうか、と謝必安は白々しくぼやいた。
そんなことはあるはずがないと分かっているだろうに。
謝必安のこういった回りくどさが苦手とされている可能性は高いが、少なくともナマエは嫌いな相手にはハッキリと態度で示す。

「黒い方の貴方に用があるなら貴方の元を訪れるはずだと思いますが?」

「彼女ね、よほど緊急でなければ范無咎に用があるから私に代わってくれって言うことはないんですよ。私に用があっても范無咎に交代を要求しないでしょう」

ひりつくような空気を放つリッパーに謝必安はゆったりとソファにかけ直しながらのんびりと話し出す。
リッパーが望む答えではないと知りながら謝必安はあくまでマイペースだ。

「不思議なことですね。貴方がたはもはや二心一体といっても差し支えないのでは?」

「我々はお互い別の存在で、互いの時間があるだろうと気を回すんです。私である時間と范無咎である時間は違うから順番が巡った方の時間を自分の都合で交代することで奪いたくないと」

「彼女、そう言うところありますよね」

そんなところがナマエらしいとリッパーは相槌を打った。
相手が誰でどんな存在であれ、なるべく尊重しようとするのがナマエの美点だ。時には欠点にもなりうるが。
こんな所に攫われたハスターの所業に怒り狂わないのも、無駄だと諦めている点もあるが、そんな邪神であると理解している点が大きい。
ナマエと対峙していると薄ぼんやりとした輪郭がハッキリと形を持つ感覚をリッパーは好んでいた。

「彼女がそうだから、我々はお互いの存在を間接的に感じることが出来る。それには感謝してます」

謝必安は脇に大切に置かれた傘を繊細な手つきで撫でる。
そこにいる存在を慈しむように暖かな視線を送る謝必安にリッパーはげんなりしていた。

「だから、少しくらい時間を取られても気にすることはないんです。それでも彼女は気にするんでしょうね」

「はあ、そうですかね」

正直言ってリッパーは白黒無常の身の上話に興味はない。
爪を弄りながら適当な返事をしている。

「おかげで私はあまり彼女と交流がない。否、これは私事ですね。忘れてください」

「それほど困ることでもないでしょうに」

謝必安は范無咎にしか関心はないだろうからナマエのことを気にする必要はない。
あまり興味を持ってもらっても困ると胸中でごちり、リッパーは気の無い返答を返した。

「忌々しいくらいに良い子ですよ。余りにも平凡でありふれてて取り立てる特徴がないから余計にその部分が目立つ」

謝必安の憎たらしそうな、呆れたような、困惑しているような、声に込められた感情の複雑さにリッパーは顔を上げる。
そして、浅く座り直し、いつでも立ち上がられように重心を移動した。

「貴方は興味もなくて知らなかった事でしょうけど」

「そんなことはないですよ」

ギジリと握りしめた手摺が軋みあげる。もう一度、リッパーはそんなことはないと否定した。
今度こそ立ち上がろうとしたリッパーに向かって謝必安は手を上げた。
まるでタイミングを分かりきっていたかのような動きにリッパーは出鼻を挫かれた。

「安心してください。私も范無咎もそんな目ではとてもとても彼女を見れませんので…無論、獲物としてもね」

謝必安は少し揶揄いすぎましたねと苦笑する。
憮然としたリッパーを宥めるように落ち着いてくださいと続けた。

「范無咎が彼女のことで気を揉んでいます。私も少々知恵を貸すので速やかに解決してください」


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