本日の試合も終わり、いつもの服から金色の煌びやかな装飾を持つ一張羅に着替えついでに身体も変化したリッパーは一輪の薔薇を手に廊下をゆっくりと歩いていた。
迷いのない足取りで一つの部屋の前に立ち、一つ咳払いをこぼすとノックをする。
答えがないのは知っていた。しかし、紳士たるもの予告もなく女性の部屋に入るのは頂けない。
一言断りを入れてノブを回す。鍵はかかっていない。
静かな足取りでベッドサイドへと近づくと花瓶の赤薔薇を萎れもしていないのに新しいものに替える。

「今日は梟の使い手や傭兵に手こずりましたが無事に全員吊りましたよ」

それから始まり一人であれこれと戦績を語るが勿論反応はない。それはそうだろう。
何せベッドに横たわっている相手は死んでいる。それを分かりながらリッパーはナマエの部屋に通い詰めている。

「ハスターも不思議な力を持ってますよね。薬品で防腐を施した様子もないのに貴女は綺麗なままだ」

独り言を言いながらリッパーはナマエを覗き込む。
ナマエから腐臭も薬品の匂いもしなかった。リッパーがナマエの周囲に散りばめた花の匂いしかしない。
ただ眠るようにベッドに身を横たえている。中身は勿論ないが。

「こうして見ると寝ているだけみたいですね」

リッパーはかつてナマエであった中身のない抜け殻を飽きもせずに眺めていた。
魂と呼ぶべきものがあるならばそれが肉体に留まれなくしたのはリッパー自身である。
腹を抉り内臓を掻き回し生命を途絶えさせるのに充分な致命傷を与えてナマエは事切れた。

「ああ、ナマエ」

リッパーは動かないナマエへと語りかけるように呟いた。

「あの狂おしいほどに情熱的な夜を思い出す度に背筋が震えますよ」

リッパーの言葉はやけに芝居掛かっていた。大仰な動作は人目もないのに注目を集めたがっているようにも見えた。
リッパーの異形の左手には摩訶不思議なルールに縛られたゲームよりも生々しくナマエを殺めた感触が残っている。

「あの瞬間は最高のものでした。幾千幾万の夜を越えたとしてもあの快楽に優るものは見つからないでしょう。ええ、保証しますとも」

啜った血潮の暖かさと極上の甘さを思い出す。獲物相手にあんな衝動を抱いたのは初めてだった。
だから、尚のこと徐々に弱々しくなっていく鼓動と吐息を最期の一つまでリッパーは堪能することに専念した。
今もなお鮮やかに刻まれた記憶は思い返すだけで満ち足りた気持ちにさせてくれる。
リッパーはナマエと己が運命を遂げたあの瞬間こそが何よりも得難く尊いものであると信じて疑わない。アレ以上のものなどもはや望めない。

ーー自分たちの出会いはあの瞬間のためにあったのだ!

その点に関しては邪”神”に感謝しても良いと思える。

「ついつい盛り上がって我慢が効かず、衝動的に行動してしまいました。突然口づけなんて、紳士的ではないですね。紳士としてあるまじきことだと猛省しております」

貴女のソレがあまりにも美味しそうで、と言い訳じみた言葉を零しながら声音は興奮を隠せていない。
リッパーは横たわるナマエの唇をソッと指先でなぞると苦笑した。かつての温度はそこにはない。

「実を言うとね。不思議なことにアレでかなり満たされてしまったんですよ。だって、もう私たちはこの上なく深い絆を持った訳じゃないですか」

抱いて、抉って、口づけて、最期にはここにいてくれと縋った。これほどまでに熱く添い遂げたのだからもはや自分たちを引き裂ける存在はいないだろう。そんな自信すらある。
残された骸をナマエに憐れまれた殺人鬼は愛で続ける。
ナマエの予想に反して、一途に一心に飽くことなく忘れることなく。

「ああ、飽きたとかではないんですよ。それはもちろん。飽きるとかあり得ないです。心配しないでください」

リッパーが永遠を請い願った気持ちに嘘はない。嘘はないから飽きもこない。来るはずもない。
優しげな声で囁いて、慰めるようにリッパーの手がナマエの髪を梳いていた。

「ただ私が逸りすぎて独り善がりが過ぎたな、と反省しておりますので今ならあんなに性急にことに及ぶ必要もないと思うのですよ」

ナマエを手に入れた事実はゆるやかにリッパーの衝動を溶かしてしまう。
一度弾けて解消された衝動は、今後別のものへと形を変えていくのかもしれない。
リッパーは新しい自分を予感した。それはそれで面白い。今のように穏やかにナマエを愛おしむのも良いだろう。そんな気分にすらなる。

「次こそは完璧にしてみせますよ。貴女にも私と同じくらい楽しんでいただけると幸いなんですが…」

次なんてないと突っ込む存在は何処にでもいない。
悍ましき霧の殺人鬼は夢想にうっそりと笑った。

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