かの邪神は厳かに命じる。ーーそろそろ潮時であろう。今宵リッパーの部屋に行くがよい。

言われた意味はわかった。その意図も。
邪神の見込み通りに丁度よく、その後にリッパーに晩餐なんぞに招待された私は好みの食べ物を聞かれたので素直に答えた。
最期くらいは好きなものを食べたいのだがさて、食べる暇はあるだろうか。
邪神に恨み言と別れを告げリッパーの部屋へと向かう。
部屋に入った瞬間に香ばしいパンの匂いのホカホカと湯気をあげるスープやらスパイシーな香りのする丸焼きチキンが目に入る。
もてなす気はあったのか。感心すると同時に影がかかる。痛いくらいの力で唐突に抱きしめられて、私は息を詰めた。





そしてーーー



ザクリ。

「ふふ、やっぱり我慢出来ませんでした」

抱きよせられた瞬間に嫌な予感がしていたが、予想通りの結果だった。
ロマンのかけらもない抱擁は0点どころかマイナス100点に決まってるぞバカ。目的が最低すぎる。

ひとのはらわたをまざくりながらこうこつとばけものがなにかささやいている。

腹が熱くてジンジンと痛み出す。力が抜けてがくりと頭が垂れさがり、自然とリッパーの胸元にひたいをおしつけるかたちになる。好んでいるらしいコロンの香りが間近で感じられた。
腰にそえられた手がなければとっくにくずれおちてる。
これは致命傷だ。ぜったい助からない。
わかっていたがリッパーは人を殺すのがとてもうまい。一度手を出したからにはしくじることはないだろう。手慣れているのとためらわないのも成功の秘訣だろうか。
失敗しないことはありがたいが懐いてしまった身としては、腹立たしい部分もある。すこしだけ期待をしてしまったのだ。一生の不覚だ。ときめいてしまった心を返せ。こんちくしょうめ。
ごふりと生温かく鉄臭い液体が口からこぼれる。のどに一部がひっかかっているが吐き出す気力もない。
苦しいなぁとおもっていると顎にそえられた指先で上向かされる。余計苦しいじゃないか、なんてご無体な。
唇をなにかにふさがれて息ができない。生温かくぬめった何かが口の中を暴れまわりのどもとの液体をずるずると吸い上げるとすこしだけ息が楽になる。
おまえは吸血の趣味もあったのか。悪趣味の権化だ。口より腹の傷から啜ったほうがいっぱい吸えたのではと余計なことをかんがえる。
ズラした仮面を元に戻したリッパーはスリスリと仮面越しに擦り寄ってくる。頬に仮面が触れそのまま滑るように私の肩へと到着した。

「ナマエ」

それはとてもとてもきれいな発音だった。英語を喋る男が綺麗に日本名を呼ぶ。この点は私にとってこいつが好ましいと思う点だった。
それだけでわりと私のことを気に入っていたのかなとはおもう。ああ、わかっている。度し難い男だ。おまえはこういう方法しかとれないのだ。
おまえがそういうつもりなら私は絶対に受け入れてやらん。
どうせいままで殺してきたその他大勢に私の存在は紛れるに違いない。
明日にでも忘れているだろう。いや、私が事切れた瞬間だろうか。
ああ、腹立たしい。人を殺しておきながらどうせ次に会うことがあってもこりずに殺したがるのだろう。一度しかない命なら付き合いきれない。
リッパーにとって私の存在なんてそんなもんだ。ただ消費されるだけの嗜好品みたいな。なくなったって新しいものを探せば良い。何せ趣味で他人の命を消費する男だ。タチが悪すぎる。
ようやくお別れた。ザマアミロと笑いながら訪れる眠気に身を任せて目を閉じてやった。

「ここにいてくれ、永遠に」

最期に聞こえたそれは勿論聞こえないフリをした。










そして、爽やかな朝が来た。身の危険を感じる必要のない安全な世界だ。そこは久しぶりの我が家の寝室で、待ちに待った我が家で、ようやく帰ってこれて不満などないのだが、やはり私は言いたいことがあった。

「ほらな!殺ると思った!」

毛布を蹴り上げながら起き上がって一言。恨み言を言う相手がいないことが非常に残念だった。

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