同じ幹部とは言え戯れに付き合ってやる義理などなかったがナマエを巻き込むには丁度良い。そんな思惑を引っさげてタカアシガニは名前の私室に足を向けた。
蟹は食べるか鑑賞しかしない女が蟹を飼育するならばどんな名前をつけるだろうと興味が湧いたのだ。
「名前なんて好きに決めなよ。伊佐奈さんは呼ばないだろうけど」
「でもよ、アンタは呼んでくれるだろ」
机の上にダラシなく腰掛けたカニがナマエの手元を覗き込むように身を屈めた。ーー最も作業内容には興味なくただ邪魔をしたいだけだったが。
ナマエは業務上の事に関して教えた事には厳しいが(魚が理解出来ると思っていないのか)人の礼儀にはルーズだ。さらに不思議とカニには甘いところがあった。カニがわざと舐め腐った態度を取っても嫌な顔をするだけだ。
「邪魔だよ」
「ギシシ、邪魔してんの。アンタが俺に名前をつけてくれたらすぐに退くぜ」
片眉を吊り上げて強めの口調で言ってもカニは笑うだけだ。そのまま数秒睨み合いどうにも諦める気は無いとわかったのかナマエは書類に書き込んでいた作業を止めた。
「適当につけるからね。あとで文句言っても知らないよ」
積まれた書類を脇に退けナマエは引き出しからメモ帳を取り出した。スラスラとボールペンで何事か書き込んで時折手を止めて考える仕草を見せている。
数分後にメモ帳の一枚を破って渡されたカニは呆れた声を上げるしかない。
「おいおい、もっと真面目に考えようぜ」
「そう思うなら自分で考えなさい」
ナマエはカニのことを見もせずにピシャリと言い切り退けた書類を手元に戻した。一度は手を止めてくれてもナマエが再び仕事に戻ればこれ以上はゴネても無駄だとカニは経験上知っている。あまりやりすぎると部屋から追い出される。
仕方なく改めて手元に残ったメモに目を通す。
見た瞬間、なにこれ?と思った。書き連ねられた候補はカニ蔵やらカニ助、カニ太郎とか舐めてんの?としか思えない。
本当に適当である。ナマエは有言実行していた。いくつかあるだけカニに選択権はあったが酷い。
「オススメとかあんの?」
自身で決めないならばナマエが寄越した候補しか選ぶ道はない。
名前に執着がないとは言え、せめてマシなものを選びたい。こういう感覚が鈍いカニよりもナマエが選んだ方がまだ良いのではなかろうか。
諦め半分でナマエに声を掛けるとピタリとナマエの手が止まった。
「ドーラク」
そこでようやく書類に向いていた目がカニへ向く。カニの自由意志に任せつつ本人の中ではとっくに有力候補は決まっていたようだ。
…ドーラク、ドーラクね。
一字一句をかみ締めるようように味わって、これが次から自分を呼ぶ名であるとミソに叩き込んだ。
カニはこれから”ドーラク”になり、ナマエにとっての一つの個体となる。それは不思議な心地だった。
「じゃあそれにする。因みに由来は?」
「カニ料理の全国チェーン」
かに道楽という店があるらしい。おもわず笑ってしまったドーラクをナマエは迷惑そうに見ていた。
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