弟である入間が教師であるバラム=シチロウ先生に人間であると告げたそうだ。つい、うっかり、などと供述している。
申し訳なさそうな入間に一頻り文句で罵って私は内心で頭を抱える。
取り敢えずしばらく近づくな、と怒っていることをアピールしてから頭の中でサリバンにどう交渉したものかと頭を悩ませた。
いや、まあバレたら学校を辞めさせてもらうとの了承は既に取っているけども。
入間め、どうしてくれる。私と入間が姉弟なのは周知の事実である。入間の人間バレは私の人間バレにも繋がる。少なくともバラム先生は気づいたろう。
その証拠に視線がうざい。少し前に触るのを辞めてくれと本気で言ってからスキンシップはないがアレは触りたい顔だ。そうだろうな、入間はオスで私はメスだ。どうせならどちらのデータも欲しかろう。
だが、断る。
今後について考えていると不意にドンッと何かぶつかった。どうやら誰かにぶつかったようだ。いきりたって絡んでくるような悪魔でないといいのだがと懸念しつつ反射的に謝罪が口をつく。

「あ、すいません」

考えごとをしながら歩いて人にぶつかるとかベタすぎる。
ちょっと恥ずかしく思いながら斜め上から大きなため息が聞こえてきた。

「おい、ナマエ。最近弛んでるのではないのか」

鋭い視線と深く刻まれた眉間のしわ、引き結ばれた唇は、どう控えめにみても友好的とは程遠い。
我らが担任のナベリウス=カルエゴ先生である。
授業に身が入ってないだの、ぼんやりしていることが多いだの小言をいくつかいただきそれを聞き流しているとナベリウス先生の眉間のしわが深くなった。

「実は最近、悪魔学校を辞めようかなぁと検討する出来事がありまして」

「……本気か?」

問い返す意味が分からず首を傾げた。嘘をつく理由がどこにあるだろうか。
私の目の中にあるものを探るように見ていたナベリウス先生はちょっと来いと私の腕を掴んで引っ張っていく。
ナベリウス先生は手頃な空き部屋を見つけると椅子を持ってきて座るように促された。そして自身も椅子に座り二者面談が唐突に始まる。

「貴様はなんで世間話の感覚で重大な話を持ち出すんだ」

「落伍者が脱落して消えていくのは珍しいことではないでしょう」

「貴様は勤勉で優秀な生徒だろうが」

「意外に高評価ですね」

「厳粛なる評価だ」

フン、と鼻を鳴らし長い脚を組み直す。ナベリウス先生は減点式評価なイメージで、他人に対する好感があるとこにビックリである。
バラム先生とは仲良しなようだがアレは例外的だと私は思う。

「そもそも聞きたいのですが、この二者面談にはなんの意味が?」

「生徒のメンタルケアも教師の仕事だ」

「はぁ、大変なんですね」

気のない返事をしているとまたもやナベリウス先生からため息がこぼれ落ちた。
この先生は陰湿で職務に問題ない程度にほんのり私情を挟む気があるが自分にも他人にも厳しい面がある。
仕事の範疇なら手を抜いたりはしないだろう。
学業だけではなく精神面でもケアを必要とするとは教師って大変だなぁと思った。

「それで、先生の職務としては私の退学を止める方向で相談に乗るんでしょうか?」

「そんなことはない。貴様に悩みがあるなら相談に乗ると言っているのだ」

「退学するかしないかの話ですよね」

「退学云々に至る原因は悩みじゃないのか」

「うーん、それに関してはもう取り返しがつかないんですよ。なので悩んではないです」

ナベリウス先生が膝に乗せた手の指先が何故か焦れたように苛々とリズムを刻んでいる。
顎に手を当てて思い当たる節を考えるが私が困るとしたら大学の手続きの事だ。
今更相談したって決めたことは変わらない。取り返しはつかない。記憶の改竄の手もあるが、そもそもバラム先生が受け入れるか不明なのと階級の高い悪魔にそれを行う困難さ、更には入間が突発的とは言え″自分の意思で″バラした点を考えるともうこれはどうにとならないことなのだと諦めざるを得ない。
人間であることがバレることは想定内だ。いつか起こると確信していたことが現実になっただけである。人体実験や標本化やら臓器売買やら続いて起こる禍事へできる対処の一つが退学なのである。
入間を置いていくのは不安だがなんとかなるだろう。大概のことには対処できる入間にすらなんとかならないことは私がいたところでどうにもできないと思う。

「理事長の反対は…」

「元々約束してたので反対はさせません」

忌々しそうに理事長と口にするナベリウス先生に肩を竦めてみせた。そのことならば既に対処済みだ。
そもそも魔界に骨を埋めるよりも、例え野垂れ死ぬことになろうとも人界で両親の報復をする事にしている。
学校に通ったのは悪魔的手段による報復への効率効果を考えての事だ。
私は人界に帰るつもりだ。契約時にサリバンにも了承して貰っている。万が一気が変わったら永住してもいいとか緩い契約だけども。
学校辞めたら人界に戻ろう。ここの出来事は夢だったと忘れてしまおう。そして必ずあの屑どもに思い知らせる。

「ここを去ることが今後の人生にどれほどの損失を齎すか覚悟はしているんだろうな」

鋭い眼光を正面から受け大きく頷く。
悪魔学校は誰もが望む栄誉ある学園だ。サリバンから与えられたものを当然と思ったことはない。奇跡のような偶然で手に入れたソレを手放そうというのだ。
またあのしょうもない日々に逆戻りと考えると今から憂鬱ではある。だが、ただ時期が早まっただけなのだ。

「なんとでもします。泥水を啜り、土や石で腹を満たすことになっても生き延びます」

ああ、温かい料理と安心できる寝床、着古してボロボロじゃない衣服やら、面白おかしく騒がしい″身内″がいなくなるのはほんの少し寂しいなぁ。
この夢のような記憶だけで弱肉強食の危険地帯に売られた甲斐はあった気がする。
しょうもない目標(報復)を掲げたしょうもない人生の唯一の宝と言ってもいいかもしれない出来事だ。

「自律出来ていることは喜ばしいことだが、貴様の場合は少しは身近な者に頼ることをしろ。貴様はまだ未熟な上に、一人では限界があるだろうが」

顎を引き、考えてみろと言わんばかりに間を置かれる。
なので考えてみた。
今までに助けてくれたヒトがいただろうか。
泣いたって立ち止まったって、どうにもならないではないか。蹲ってたって無駄だと悟っている。
私たちに″保護″者はいなかった。
誰もなんともしてくれないから、自分でなんとかするしかないのだ。なんとかならなかったら空腹や寒さで死ぬだけだ。
そういうものだろう。お人好しでもいれば偶然助けて貰えるのだ。あるいはサリバンのように野良猫に気まぐれに餌をやるような気分で手を出す者がいるか。気まぐれに助けられたのだからその気まぐれはいつ失うかわからない。
そんな運に任せるより自分で動いた方が確実だ。

「頼ったとして一体誰が私を助けてくれるんですか?」

私にとっては当然の疑問だった。
人間に囲まれた世界だって、助けを求めて、実際に助けてくれる人物なんて入間くらいしか思い浮かばない。
特にこの世界は悪魔の世界だ。そんな弱味を見せた日には適当に騙されて貪られて搾り取られて捨てられることは想像に易い。ただの食いやすい獲物だ。
この世界での保護者たるサリバンはただの気まぐれで助けてくれた。孫(愛玩動物)が欲しかっただけの悪魔は信用ならない。だってそれは可愛げがあれば誰でも良かったってことだ。代わりなんぞすぐに見つかる。気に入らないなら捨てて終わる。悪魔は夢中になりやすいと同時に飽きっぽいからだ。この家族ごっこはいつまで続くかなんて分からない。
オペラも同様に信用ならない。あの有能な執事はわざわざ人間如きのためにサリバンの意向に逆らったりはしない。

「貴様が心底困り果ててどうしようもなくなったときに手を差し伸べる者に……心当たりがある」

眉間を揉み解すようにして絞り出すように呟かれた内容にすぐさま該当人物は浮かんだ。
最も身近な存在であるお人好しで打たれ強くタフな私の弟はお節介を焼いてくるだろうことは簡単に予測ができる。

「ああ、入間ですね」

「入間以外に、だ」

「……クラスメイトとか?」

「そうではない」

「あの、揶揄ってますか?」

「なぜそうなる」

なんかなぞなぞじみてきたので疑うとナベリウス先生は呆れたような顔でボヤいた。

「鈍いとは思っていたが本当に分かってないのか?」

椅子から腰を浮かせた先生が私の椅子の手すりに手をつく。
見下ろされた体勢でゴツンとやられる系だろうかと身構えると吐息で笑われた。
おや、なんかおかしいよ。この人こんな人だったか?

「ナベリウス先生、頭を打った可能性か何か薬物を摂取したり魔術にかかった可能性があると思うので直ちに保健室に行きましよう。今すぐ、直ちに」

「俺は正常だ」

「はいはい、酔っ払いに限ってそう言いますから。こういうのって自覚できない点が厄介なんですよ」

「俺が助けてやる」

言われた言葉に時が止まる。目を見開いてナベリウス先生を見た。
失言をしたと後悔する様子もなく真剣そのものな視線になんだか安心してしまった。

「先生ですもんね」

「貴様は俺の生徒ではなくなるんだろうが」

「なら生徒である間はって事ですね。ありがとうございます」

本当に厳粛な先生である。そりゃあ職務の範囲内なら誰より信用できる先生だ。言われるまでもない。
お礼を言った瞬間に何故かミシミシと手摺りが軋み目の前の凄みのある笑顔が現れヒッと息を飲まざるを得なくなった。

「いいか、そのふやふやの脳みそで、俺の言った意味を考え、理解しろ」

「ひゃい」

ナベリウス先生はバキッと砕けた手摺りの木屑を払いながらやれやれと言いたげに呟いた。
そして、私に向かいビシッと突きつけられた指先に思わず注目する。

「貴様はふらふらと彷徨いながら得たもの全てをその場に置いていくつもりだろうがそうはさせん。言っておくが学び舎を離れた程度で逃すつもりはないぞ」

それはつまり?先生は私に執着してて、ついでに言うと生徒じゃなくても手助けしてくれるって事?
犬だもんね。逃げられたら追いたくなるもんね。
……冗談はさておいて、人助けなんて悪魔に最も似つかわしくない。
頭の中は大混乱で目を白黒させながら首を振る。

「いやいやいや、悪魔ってただでは動かないじゃないですか」

「そうだな」

不合理な行動を取る理由がない。
それはつまりなんらかのメリットがナベリウス先生に生じるか、それに足る価値があるからだ。
その可能性の一つを私はうっかり口にしてしまった。

「ナベリウス先生はもしかして私のこと、好きなのでは?」

「……」

「えっ、否定してくださいよ」

冗談めかして言ったつもりなのにナベリウス先生は否定せず身体を離して天井を仰ぐようにして私から顔を逸らした。

「ねえ、先生!私が学校を辞めないように一芝居打ってるだけなんですよね!?そうだと言ってください」

「……」

縋り付いて問い詰めると煩わしそうに唸りながら引き剥がしたりしない。
もう退学どころの騒ぎではなく、何としてでも否定が欲しかった私だったのだがナベリウス先生に縋り付いた手に不意に先生の手が包み込むように重なって来たので心底びっくりした。
ギャーッと色気のない悲鳴を上げて反射的に使い魔をけしかけた私は悪くないと思う。


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