「血を直飲みしたい」

吸血鬼として真っ当であろうとで退治人の集まるギルドで呟くにはあまりに物騒だ。瞬く間に広がる動揺にガタッとあちこちでテーブルに体をぶつける音がする。
ナマエは程よく温くなったホットミルクをゴクゴクと飲み干すと首を巡らせて一人の退治人を見た。ペロリと唇をひと舐めする舌の動きがやけに生々しい。

「シーニャちゃんがいい。シーニャちゃんの血が飲みたい」

「あらやだ。誰にでもそう言ってるんでしょう」

“ゲテモノ調教師”シーニャ・シリスキーはその程度で動揺したりしない。
調教師として吸血鬼の生態には多少精通しているつもりだ。吸血の衝動は多かれ少なかれ全ての吸血鬼が持っている。
どんなに大人しそうな吸血鬼でも油断ならない。人間に友好的なナマエであっても血を糧とする以上同じことだ。

「そうでもないよ。無駄なところ一つない鍛え上げられて引き締まった体はそれだけでも美しいけどもっと更にと自分を磨くその飽くなき向上心がある。退治人としての実力から観賞用の見掛け倒しの筋肉じゃないのは明らかだ。美容にも健康にも気を遣って最高のコンディションをつねに保っている。私はその血がさぞかし美味かろうと思う」

うっそりと笑いまるで愛を紡ぐようにつらつらと述べられる賞賛の数々がじわじわと場の熱を上げていく。恋愛偏差値の低い人間たちは空気に当てられて顔を赤くしている。
吸血鬼はこうやって人を唆かすのだ。
魅了の術でも使っているのかと頭を過ぎったがシーニャの思考は明瞭だ。つまりナマエは平和的にお願いをしているだけで、これは素の魅力というやつだ。これで若輩と言うのだから末恐ろしい。

「私が断ったらどうするの」

少しグラリときたがシーニャはあくまで挑発的に笑ってみせた。それは退治人としての矜持だった。

「断わらない人を誘う。脅迫や催眠が関わらない合意の上の吸血は構わないよね」

ナマエはシーニャの拒絶にさして気を悪くした風はない。ならば別の人間にするだけだとあっさりと身を引くと宣言した。
それだけ自信があるか、物好きな人間がいると思っているようだ。シーニャの見立てでは後者の可能性が高い。
この吸血鬼はあまりに自覚に乏しい。それがまた魅力を引き立てているのだろう。

「あら、アタシをこんなに情熱的に口説いておきながら酷い子ね」

「いかに魅力的であっても気の無い相手を口説き続けるのは見苦しい上に相手に迷惑になるでしょ。そう言うのが許されるのは相手が満更でもない時だけだよ」

シーニャですらグラグラしているのにこんなのに口説かれる人間が哀れだ。拒むことが出来るだろうか。
拒む気に、なるだろうか。

「いいわ。アタシの血でよければあげるわよ」

「いや、本当に無理にとは言わないんだけども」

「オカマに二言はないわ」

シーニャはグッと力を込めた二の腕に浮かんだ血管を見せて力強く言い切った。






「痛いの嫌なら魅了(チャーム)かけるけど、どうする?」

ナマエは手袋を脱がせたシーニャの腕を触りながら皮膚の薄そうな場所を探していた。ふと思い出したように呟かれた言葉にシーニャは仮面の下で目を見張る。
それは本来の使い方とは違うのではなかろうか。魅了は獲物を得るための手段で苦痛を和らげるものではない。

「優しいのね。でも必要ないわ」

シーニャはナマエの提案を断ったがそれは警戒からではないことを自覚していた。
ナマエは強大な能力を持つがその使い所がどこかズレている。
それは新横浜に集まる吸血鬼の多くに言えることで、でもそれは大体己の欲求を満たすためのものだ。他者のために力を使う事があるという点でナマエは他と違う。

「そう。ならそろそろ噛んでもいい?」

「優しくね」

私下手なんだよなぁ、とナマエはヘラリと笑う。そして、ナマエが唇をシーニャの手首に寄せ大きく口を開いた。
尖った牙が皮膚を破りチクリと刺す痛みの後にじんわりと痺れが広がる。下手と言う割に痛みはほんの一瞬だった。
一度口を離してナマエは傷口を確認する。そこから流れる血液が垂れる前に零さぬようにナマエはもう一度口をつけて舐め啜った。そこまで大量に出ている様子はなかったが、ごくりごくりとナマエが喉を鳴らしながら呑み下すのでこちらも喉が渇きそうだった。

「ご馳走さまでした」

しばらくして満足したのかナマエが口を離すと傷口は綺麗に塞がり牙の跡は残っていなかった。
ナマエが顔を上げてシーニャの目に付いたのはやはり輝く赤だ。
血を吸った直後だからか赤目の鮮やかさが増している。爛々と輝くルビーのような目はうっすらと光って見えた。その輝きを一度でも目にした人間の網膜に焼きつくような鮮烈な光は、瞬きの間に消え失せる。シーニャだけに見えた光景だろう。
一つナマエが頷いて見せると奇妙な緊張感に満ちた空気は弾けて飛んだ。

「えっと、それだけでいいのかしら?」

ようやくシーニャが口を開けたのは数分後だったかもしれないし数十秒しか経ってないかもしれない。その間全てが停止したかのように誰もが静かに息を潜めていた。
ナマエが舐めたのは少し切った傷口から血が止まるまでの僅かな間の僅かな量だ。
献血するぐらいの量を取られる気持ちでいたシーニャは拍子抜けした。

「シーニャちゃんお仕事あるからね。正直量は求めてない。加工されてない生の血が飲みたかっただけだもの」

いやー、美味しかった。言葉通りにニコニコとナマエは満足げだ。
すっかり何もかも元通りになった無邪気な吸血鬼は周囲を置き去りにして呑気にマスターに追加のホットミルクを頼んでいた。


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