持ち出した祖父の古い猟銃は少年だった尾形の手には余る大きさだった。しかし何度も続ければ慣れるようで、最初は偶然獲れた鴨も数をこなせば安定して撃つことが出来るようになった。
尾形は何度となくそれを母親に持ち寄ったが一度として受け取ってくれたことはない。母親は父親の好物であるあんこう鍋を作ることに夢中だったからだ。
尾形が獲った鴨は今日も母親に受け取って貰えなかった。
諦念と落胆の中に尾形が沈む前に引き上げるのはいつも幼馴染の存在だ。

涎を垂らして喜びそうな食い意地の張った幼馴染ーー涎はいらないーーナマエに鴨を見せてやればそれはそれはありがたがるだろう。

捌いて鍋にして一緒に食べて、ついでに泊まっていけと誘われるはずだ。その誘いを尾形は断ったことがない。ナマエと過ごすのは心地よい時間なので断る理由もないからだ。
尾形にとってナマエは、心を病み尾形に見向きもしない血の繋がった母親よりも余程温もりを与えてくれる存在だった。所詮は他人なのにご苦労なことだ。
ナマエは何処か欠けた人間であると自覚する尾形でさえ人並みに温もりを心地よいと感じるのだと教えてくれた存在でもある。恐らくナマエのような存在は貴重で得難いものなのだろう。
だから、ナマエが騒がしくて、迷惑で、破天荒でも、まあ良いかなんて思ってしまう。
要するにナマエに甘いのだが、年幼い少年である尾形はその理由を好意に起因するものだとは気づいていなかった。







ナマエが尾形を見つけるなり駆け寄ってセミのように張り付いてきたと思うとわんわんと喚き出す。鴨に対する喜びの表現ではないのは確かだろう。こんな反応したことがない。
五月蝿いし、動くのにとても邪魔だった。

「えぇん。髪の毛が禿げちゃった」

「そうは見えんが…火で遊んで火傷でもしたのか?」

「違う違うそんなことしないよ。突然だよ」

ナマエならなりかねないと思ったから聞いたのだ。取り敢えず邪魔だから離れろと言っているのにぐりぐりと尾形の背中に頭を押し付けてナマエは悲嘆に暮れている。
埒があかないので尾形の方も途方に暮れそうだった。怒りよりも呆れが強いがホントにこいつ邪魔。

「分かった。確認してやるから降りろ」

「見てくれるの?」

尾形が頷くとナマエがようやく尾形の腰に回していた手足を離した。
今度は素早く正面に回ってきて胸に縋り付いてくる。心底邪魔だ。
尾形は手に持っていた鴨を脇に軽く放るとようやくナマエを引き剥がした。

「何処だ。全然見えないぞ」

「ここだよここ」

ナマエが側頭部の髪をかき揚げで見せるがイマイチ見えにくい。尾形は視力に自信があるが、分からないと言うことはそこまであからさまに大きい禿げが出来たわけではなさそうだった。

「全く分からん」

「ええっ、ちゃんと見てよこっちは深刻なんだから」

「そう言われてもな」

いっそナマエの気のせいだった方がありがたかった。諦めないナマエはまだ尾形に頭を確認させようとしていた。
ナマエに手を取られ言われるがままに側頭部を探っていると尾形の指先がつるりとした皮膚の部分に触れる。「ああ」と気の抜けた声を出して尾形は親指でその部分をなぞった。ナマエの髪が細長く短く途切れて皮膚が露出している部分が確かにあった。
これは禿げではなく傷跡だ。確かにそこに髪の毛が生えることはないから禿げとも言えるが、正確には禿げているわけではない。よってナマエが心配するようにこれ以上広がることもないだろう。

「これは傷だな」

「傷?」

「五つの頃……まさか覚えてないのか?」

「覚えてない」

キョトンとしたナマエに尾形は呆れる。
5歳の頃にこさえた傷はずっとナマエの頭にあったはずだ。それを何故今更気づいた。
何年前の話だと思っている。そのまま一生気づくな。面倒だから。
仕方ないので、ナマエが5歳の頃に柿を食べたがり木によじ登った末に落ちて、3日ほど目が覚めなかったことを説明してやった。
そうして少し考えてようやく得心したらしいナマエに尾形はますます呆れた。
確か頭を切ったせいかそれなりに血が出て相当な騒ぎになったはずだったのに当の本人が忘れてるとはどういう了見だ。
尾形はナマエの乱れた髪を手櫛で整えてやると放っておいた鴨を拾い上げてナマエに見せる。先程までメソメソしていたナマエは今度は涎が出そうなくらい鴨に釘付けになった。

「禿げじゃないから広がらないだろう。それに髪の毛で隠れるから気にするな。それより鴨鍋を食べるぞ」

こう言うときはとっとと鍋を食べさせて忘れさせるに限る。幸いにも尾形は鴨を獲るのが得意だった。


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