ジェイスの住まう地域の竜たちが、初めてみるであろう人間はただ一人だった。
ナマエという名の人間の男だ。
眠いんだかやる気のないんだか、いつものそりとした動きで欠伸をこぼしている男である。
ここに住まう竜は子供の頃からナマエを知っている。
子供が生まれる時期に漆黒の竜が里にナマエを連れてくるのだ。
漆黒の竜は最も古く強大な力を有する竜だった。竜たちがもっと賢く強靭な時代から生きている彼はジェイスたちの憧れでもある。黒猫と同様に不吉の象徴であると言われていてた時期もあるらしい。

「なあ、クロ。俺は本当に毎回来なきゃならんのか?」

「ナマエが来なければ始まらないだろ」

漆黒の竜は滑らかな動きで地表へと降り立った。飛行一つだけで他の竜と違う。
降り立った後にこの期に及んで面倒そうなナマエの服を漆黒の竜が咥えて地面へと引きずり下ろしていた。
ナマエからクロと呼ばれている漆黒の竜は他の竜たちにもクロと呼ぶように指示している。
漆黒の竜の古き名は誰も知らない。知っているものは長い時間の中で絶えて久しい。

「お前は適当に遊んでこい。俺はチビたちの相手をしなきゃならんらしい」

「つれないな、相棒」

「夜の宴で相手してやるから今は我慢しろ。酔っ払ったお前の相手は大変なんだぞ」

擦り寄るクロを押し除けたナマエの足元に一人の子供が近寄っていった。赤銅色の鱗を持つ子供だった。

「やあ、おチビさん」

クロが話しかける。固まる子供の前にナマエがしゃがみ込んだ。

「何もしないから怯えなくていいぞ」

その子は怯えているのではなく初めて見る人間に緊張しているのだ。ナマエに危険がないことなど大人たちの話や態度でとうの昔に知っている。

「俺はあっちにいるから嫌だったら近寄らないようにするといい」

こんな時にナマエは無理矢理構ったりはしない。
竜から嫌われても好かれてもどちらでもいいとナマエが思っているからだ。その事に腹立たしい時期がジェイスにもあった。
そんなナマエの態度に構うことがないのが子供たちだ。
ふくらはぎに頭突きしてみたり頭を鼻先で突いたりしている。
おもちゃのように扱われてもやはりナマエは怒る様子がない。

「イテテ、洒落にならんから噛むな噛むな。痒いのか?歯が生え変わりそうだな」

大きく口を開けさせてずらりと並ぶ牙を見てナマエは呟く。
ついでに喉を撫でてやると気持ちよさそうに竜の子が目を細める。
加減を覚えた甘噛みでナマエを食んでやめろともう一度言われていた。

「そっちは崖になってて危ねぇから行くんじゃない」

ナマエが手を動かすと危険に向かう子供の前にクロが滑り出る。言語を介さないコミュニケーションは、それだけ両者が長い付き合いなのだろうと分かる。
突然現れた巨体に驚いて転がった子供をクロは起き上がらせて翼で安全な方に誘導していた。

「おお、火が吹けるようになったのか?いい事だが草原が大変なことになるから程々にな」

ナマエは焦げた髪先を叩き消火した。色とりどりの鱗の子供に囲まれてわいわいと騒がしい光景に先程の赤銅色の子供が仲間に入りたそうにそわそわとしている。
ジェイスが行ってこいと背中を押してやると、その子供は輪の中に入って行った。あとはみんなで楽しむだけだ。








日が暮れればみんな寝床へと帰っていく。残るのは揉みくちゃにされて草臥れたナマエだけだった。

「俺は疲れた」

「ナマエ?寝るなよ。夜は俺に付き合う約束だぞ」

「酔っ払ってお前が絡んでくるだけだ。そんな約束はしてない」

「ヤダ」

「うおっ、尻尾を振り回すな。死ぬっ、死ぬって!」

不機嫌そうに振り回された尾がナマエの下腹に当たった。その瞬間のアッといった顔のクロに悪気はなかったのだと思う。
だが人間と竜は大きさも力も違う。強かに下腹にぶつかった尾にナマエの身体はそのまま坂を転げ落ちた。
ちょうど様子を見ていたジェイスの元まで。

「ジェイスか。暗い中で彷徨くと危ないぞ。足元が見にくいからな」

「分かってる」

「ならいい」

これがジェイスが子供だからという理由なら反抗もできるのにナマエは当たり前のことしか言わない。
早く帰らないとジェイスの育て親のウグルフから叱られる。
寡黙な男ではあるが必要である場面でウグルフは口を出してくる。
それでもジェイスがここにいるのはナマエが一人でいるからだ。クロはいるがナマエと落ち着いて話せるという意味なので問題ない。

「ずっと俺を見てたが何か俺に用があったのか?」

草や土を落としたナマエは何気ない様子でジェイスに尋ねた。
気づいていたのに話しかけずにいたらしい。隠れていたつもりはないがジェイスは釈然としない思いを抱いた。
だから勢いに任せて口にする事にした。

「俺が騎士竜になったらナマエを乗せてやってもいいぞ」

ジェイスが騎士竜になりたいと言った相手はナマエが初めてだった。
理由は一つ。乗せるならナマエがいいと思ったからだ。
それを言ったのは今が初めてだ。とんでもないと騒ぐかと思われたクロは静かに成り行きを見守っていた。

「お前に言って貰えるとは最高の名誉って奴だな。なんでまた俺を選んだ?」

「さあな」

命を預けるならば見知らぬ誰かよりも、よく知る相手がいいと思うのは当たり前のことだろう。
少し考えればわかることなのでジェイスは理由を口にしたことはない。
ナマエがその理由に気づくことはついぞなかった。
とてつもなく鈍い男だった。


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