30000打リクエスト企画 | ナノ

白線上に立ったばかりの、


 彼女から田中の元へ一通の封筒が届いたのは、慌ただしい別れの季節が過ぎ去って間もなくのことだった。正確には直接彼の自宅へ届いたのではなく、希望ヶ峰学園に属する教師から手渡されたものだった。便箋一枚が入っているであろう、薄いものである。
 手紙だ。なぜこの現代社会においてそんな原始的な方法を彼女がとったのか。なぜ本人の自宅ではなく学園に送りつけたのか。誰かがその話を聞けば疑問は幾つか浮上するだろう。しかし彼女の行為は彼にとって、ごく自然なものだった。
 それもそのはず、まず手紙は『叶國或奈』という名の者からで、その人物に彼は住所や電話番号、メールアドレスの類を一切教えたことはなかった。故に自宅に彼女からの手紙が届くはずはないのである。そんな彼女が取った方法が、希望ヶ峰に送りつけるという誰もが思いつく様な、安易だが確実な方法だった。そしてその結果、彼の元に無事に彼女の手紙は届けられたのだ。
 彼はなにも、彼女を知らないわけではない。むしろ誰もが2人は恋仲にあるのではと噂してしまうほど、よく並んで話をしていた。しかし彼らの関係はそんなものではなく、ただの友達という枠を越えることは決してないものだった。
 そんな仲でも連絡先の交換をしていない理由はただ一つ、会いたければ話したければ、学園に来ればいつだって会えるからだ。彼女もまた希望ヶ峰学園の生徒であった。しかしそんな彼女もつい先月の卒業式の日を境に、社会の荒波の中へ出発してしまった。用があればまた来るからという彼女の言葉を最後に聞いた田中は、涙一つ流すことなくただ一言、彼女に再会を約束する様な句を呟いた。だが結局それ以来彼女とは会っていない。会いたければ自らが動かずとも彼女が来るとわかっているからである。
 事情を把握しているからこそ、手紙を送ってきた彼女が自分に一体何を伝えたいのだろうかと、田中は封筒を疑問に思い、中身が気になり怪訝な顔を隠せないのだった。
 叶國という少女は超高校級のオートレーサーという才能を持つ人物である。彼女は16歳、17歳という若さで常に数々のレースをトップで走り続けてきた、天才と謳われる少女である。3次まである選手資格検定試験を驚異の早さで突破し、養成所に通ったのち2年の時に希望ヶ峰に編入してきたのだ。最初のうちはほとんど授業に出られずレースをこなしていたが、上位の成績を幾度となく収め才能が認められるとある程度身辺が落ち着いたらしい。学園に姿を現す余裕が出てきたのかしっかり登校するようになっていた。
 変わり者で勉強も遅れがちな少し頭の弱い彼女はなかなかクラスに馴染めず、最初の内はかなり苦労していたようだ。そのためによく教室ではないところで昼食を取っていた。そして偶々、彼女が学園の飼育小屋にお昼御飯を来た時。それが田中と彼女の出会いだった。

 手紙に入っていた便箋に書かれていたのは田中が知らぬ場所の住所だった。更には時刻や日付、ここに来てねという拙い文字が一緒に羅列されていた。それ以外の無駄な文は何一つない。
 出会った頃から彼女は適当さが目立つ性格で言葉を上手く使えない者であったが、しかしそれにしても、変わらない。この日この時間にこの場所へ来いと必要最低限のことだけで、久しぶりの定型文もない彼女の文は田中に一つ、大きな溜息を吐かせた。
 まさか、人間に呼び出されるなどとは思っていなかった。彼にとってこの手紙は即座に破り捨てたくなってしまうほどのくだらない、無価値で意味の無いものである。
 しかし差出人が叶國となれば話は別だった。自然と笑みを零してしまい、行ってやろうという気になってしまった。多少は情が移ってしまったというのだろうか。そんなはずはないと、彼は一瞬脳裏に過ぎった叶國の顔を鼻で笑うと、その考えをかき消した。あくまでも腐れ縁、気まぐれだ。そう自らに言い聞かせる。
 明確でない感情に突き動かされた彼の足が踏んだのは、見るからにどこまでも平坦で建物が見当たらない更地だった。茶色い土に覆われた大地がどこまでも広がっており、遠くには緑に生い茂った林を見ることができる。彼女が指定した場所であることには違いないのだが、それにしてもあまりにも、殺風景である。来る途中に一件だけ何かの施設のような小規模の建造物があったが、そこに人の気配を感じることも無かった。
 道に迷うかもしれないことを想定して家を早く出たのだが、案外易々と目的地に着いてしまった。約30分ほど早くここに来てしまったため、叶國の姿はまだ見当たらない。担がれたか。いや、彼女がそんな幼稚な神経の持ち主でないことは百も承知だ。
 ふと地面に目をやれば、そこには幾重にも描かれた細いタイヤの跡があった。それが意味するもの、この場所が彼女にとってどういうものなのかを考えれば、もう何も疑問を抱えることはなかった。なんてことない、ここは『叶國或奈の場所』だ。
 遥か遠くから微かに、心臓が震えあがるような激しいエンジン音が鳴り響いてくる。徐々に彼の元へ近づいてくるその速度は、異様なほどに速い。唸りを上げながら土埃を舞わせてこちらへ向かってくる物体に田中は眼を細めた。人を呼び出しておきながら一体何をしているのやら、半ば呆れ顔である。
 やがて田中から数メートル離れた場所へ、スピードを落としながら二輪走行車が停止した。ヘルメットを被った外から顔が見えない運転手が、車から慌てた様子で降り田中の目の前へ駆けて行く。そしてメットを両手でもぎ取るように頭から外したその人は、纏わりつく髪の毛を首を振って掃い外の清々しい空気を吸い込んだ。

「貴様という奴は何をしている……叶國」

「ごめんなさーい! まさか、だって……約束の時間まで30分も早く来ると思わなくって……つい、ひとっ走りしちゃいました。シャワー浴びて来るから、待ってて!」

「おい、待てッ……!」

 田中の制止など耳に入っていないらしく、彼女はヘルメットを被り直すとまた二輪車に乗り込み走り去ってしまった。向かった方にあるのは、来るときちらりと横目で見て流した小さな建物だ。そこに彼女は行ったのだろう。
 久しぶりの対面であるのに人との約束前に練習とは。やれやれと、彼女の呑気っぷりには怒る気にもなれずとりあえず建物がある場所へ自らも足を進める。やはり何も変わっていない。叶國という少女は相変わらず、気を遣うことができず人の話を聞かず時間配分すらまともにできなくて、しかし夢中になったことに全てを注ぐことができる、真っ直ぐな人物だった。

 田中が会う度、叶國が常に纏っていたものは希望ヶ峰学園の制服だった。会う場所が合う場所であれば必然的にそれ以外の格好を見ることは無い。そのため初めて学園の外で会うとなったならば、彼女の私服姿を目にすることになるのもまた必然であった。

「お待たせしましたっ、眼蛇夢くん!」

「……ッ!? き、貴様、本当に叶國に違いないのだなッ!?」

「何言ってるの!? 正真正銘の叶國或奈ですよ?」

 建物からシャワーを浴びて出てきた少女は彼の知っている叶國という女の服装をしておらず、別の人物が彼女の顔と声色に化けて出てきたのかと彼は警戒していた。
 しかしよくよく見ればTシャツにパーカー、ショートパンツを履き肌を露出しているが、服装以外はなんら彼の知っている彼女のものと違うところは無い。無いはずなのだが、学園に居た頃の彼女とは違うものを感じ取ってしまうのだった。それはなんと形容するのが相応しいのか、彼にはわからない何かだった。

「フ、フンッ! 貴様が妖術を使い俺様を試そうとしていたためかかったフリをしてやったまでだ……。それよりも、だ。貴様がこの俺様をわざわざこんな辺鄙なところまで呼び出したのには何か理由があるのだろう? さっさと本題に入るがいい……聞いてやらんこともない」

「理由なんて特にないけど」

「なッ……ん、だとッ!?」

「強いて言えば久しぶりに眼蛇夢くんに会いたくなったってくらいかなあ」

「ふ、ふざけたことをッ……! ならばそうと密書に記述すべきだろう!」

「ごめんね。いろいろ言葉考えてたら面倒になっちゃったんだ。細かいことは置いといてさ、これから時間ある?」

「フン。貴様に割くような時間はない……こともない、が」

 彼女から何か用を申しつけられるかもしれないと思い、予定は特に入れていなかった。要するに暇である。
 それを聞いた叶國は表情に笑顔を咲かせる。そして田中の手を取って街の方へ駆けて行こうとするのだった。

「だったら遊ぼ! ずっと相棒としか話してなかったから、眼蛇夢くんとたくさんお話したいの!」

 彼女の言う相棒とは、オートレーサー必須の競争車のことだ。彼女は田中以外に何でも話せる相手はそいつぐらいだと、以前彼に語っていたのであった。
 整備も自身でこなさなければならない彼女たちが持つかけがえのないそれは、叶國にとって能力だけでなく精神面も支えてくれる存在らしい。今日は調子が良い、ご機嫌だなどと語る彼女の瞳は恋する少女のそれに酷似していた。しかし時折切なげに遠くを見つめる彼女の表情を、田中は今でも鮮明に覚えている。

「くっ……! し、仕方あるまい……わかった、貴様の言い分には従おう。だが、その、ええいッ! 手を放せッ……!」

「″特異点″なんだから、いいでしょ? 前に言ってくれたよね」

「そうではなくて……だな。俺様の、固有結界の強度が低下してしまうため、放せという……! くッ……、雑種の分際で俺様の魔力を吸収するなどとはッ!」

 必死に彼女の手から逃れようとする彼の顔は真っ赤で、相変わらずだねと彼女に笑われてしまうのだった。

 ここから街へ行くにはバスに乗らなければならない。田中もそうやって住宅街からここへ来たのだ。周囲の異様な人を見る視線にはもう慣れたもので、むしろ彼が気にすることなどなく、バスに乗ろうと言う彼女に彼は意義を唱えなかった。
 バス停で何分か待つとすぐに緑色の市営バスが姿を現し、2人の前に停まった。ガスの抜けるような音が鳴り開いた先にあったのは、人の姿があまり見受けられない車内だった。休日であるがこの道のこのバスを使用する人は少ないらしい。
 ラッキーと喜びながらステップを上がって乗り込む彼女の後に田中が続いた。車内を進んでいくと、彼女は後ろから2番目の2人掛けの席に腰を下ろし隣に座るよう空白の1人分を無邪気に手で叩いた。
 いくらでも他の席は空いている。わざわざ彼女と密着して到着までを過ごす必要はない。だがどうしてか彼は促されるがまま、彼女の指定する場所へと腰を下ろしてしまうのだった。

「……狭くはないか?」

「平気だよ。眼蛇夢くん細いもん」

 エンジンが唸りを上げて車体を動かし始めた。窓の外の景色がゆっくりと流れて行く。
 叶國は窓の方へ顔を向けたまま沈黙していた。あれだけお喋りな彼女が物憂げに景色ばかりに目をやっている。これはやはり何かあるのではないかと田中は訝しげな視線を送った。しかし彼女はそれに気づいているのかいないのか、顔を動かさないのだった。
 バスが停留所に辿り着くまではまだ長い。その間彼女が黙っているというのならば田中もそれに倣うまでだ。無闇に公共の場で騒ぎ立てるなど非常識な行為を好んではいない。
 言葉を発さずにいると余計なことが気になってくるもので、先程から密着している叶國の腕の感触と温度が、妙に煩わしくて仕方無いのだった。さっぱりとした爽やかな匂いがやけに強く香ってくる。練習後に浴びたシャワーで使用した、石鹸の香りなのだろう。
 また、視線を落としてみればそこには剥き出しになった彼女の生脚があり、自らのものと触れそうになるそれから目を離すべく慌てた様にあらぬ方を向き誤魔化した。何故か綺麗なそれを見つめていることがひどく、彼の中の何かを呼び起こそうとするのである。
 田中がここまで彼女を近くに寄せたことは一度たりともない。今がその初めてである。彼女から五感で得られるどれもが、彼の鼓動を急き立てていた。
 彼女はそのことに気づいているのかいないのか、視線を窓から正面に移し、フロントガラス越しに見えるのであろう進む先の道路を見据えていた。

「四天王は元気?」

「愚問だな。俺様が連れている魔獣の状態は常に健全以外の何ものにもなりえん」

 四天王たちが他の乗客に見えないようこっそりと田中のマフラーから顔を出し、叶國に挨拶をした。彼の言葉通り元気そうな彼らを見て彼女は軽く手を振る。

「超高校級の飼育委員、だもんね。眼蛇夢くんに飼われてる四天王は、今日も幸せそう」

「ククク……当然だ。この俺様に使役されるということがいかに光栄なことであるのか、こ奴らは理解しているからな」

「そういう自信満々な口調も全く変わらないよね。まだ一月しか経ってないのに、あの頃を懐かしく思うよ」

「フン。貴様と邂逅する時間はなかなか悪くはなかった。しかし貴様は今、自ら望んだ道を直走っているのだろう?」

「それはそれは楽しく、毎日のように走らせていただいてますよ。それこそ好きなだけ、気が済むまでね!」

 彼女が望んだのはオートレーサーとして極みの頂点に立つことだ。いつまでもどこまでも相棒と共に走り続け記録を作り上げ、そして世に名を残したいと勇ましく語っていた彼女の希望に満ちた表情を、田中は思い出す。彼女が夢に向かって突き進む姿はその時と相違ない。

「それは今しがた見せつけられた貴様の走りを見ればわかる。詳細は知らんが、車から降りた時の、貴様の表情の清々しいことよ……。俺様には理解しかねる分野だが、よほど愉快であるのだろうということだけは容易に感じ取れた。……貴様も本当に変わらんな」

「……本当に?」

 叶國が田中の方へ顔を向けた。そこにあったのは、学園に居た時の力強く逞しい、夢に一直線でそれ以外を考えていない彼女の瞳ではなかった。

「ッ……!? 叶國……?」

 揺れ、戸惑い、夢以外の何かに心乱されている彼女の瞳は、もう田中の知っている叶國或奈のものではなかった。

「わたし、さ。何にも変わってないかな?」

 そう聞かれてしまえばいくらでも彼女の、以前との違いを述べることができる。しかし彼はそれを口にできるような人物ではない。またそう感じてしまったことを素直に言ってしまうことで、自分の中にある情を呼び覚ましてしまうのではないかと危惧もしていた。
 彼よりも先にあらゆる情報が錯綜する世界に飛び込むことを余儀なくされた彼女が、このひと月の間何を知り、何を学び、何を見聞きし得たのかはわからないが、それは一人の鈍感な少女を変貌させるのに十分な時間だったらしい。積極的に触れてくる態度も、艶めかしく出された素足も、手入れされ整えられた爪の先も、さらさらになった髪の毛も、切なげに見つめてくる澄んだ大きな瞳も――随所で彼女の変貌が窺えてしまうのだった。

「……フン、俺様に気づけというのか。自惚れるな。知らんものは知らん。貴様は何も、変わってなどいない」

「そう、そっか。あっはは、そうだよねー。ごめんごめんっ」

 それが何のためであるのか、誰のためであるのか、彼が気づくのはいつになるのだろうか。

「ちなみに、もしわたしからの手紙にただ一言、『会いたいから来て』って書いてあったら……来てくれた?」

「さてな。仮定世界の俺様がどういう判断をするのか……それはここにいる俺様の知り及ぶところではないからな」

 夢の先に見えるゴールばかりに目を輝かせていたはずの彼女の瞳は、そこにはもう存在していない。あるのは田中眼蛇夢という一人の男を真正面から映した硝子体だけだ。
 彼女は小さく溜息を一つ吐いて窓の向こうにぼんやりとした眼を向けた。片腕の肘を窓の桟に掛け、物憂げに横目で外界を見ている。
 そんな彼女が、無気力に無造作に、何の意図もなく自身の膝の上にもう片方の手を乗せていた。少し肌寒いのか僅かに摩る様な動きをしている。
 それを目に留めた田中は、自分の手を重ねようと無意識に手を伸ばしていた。あと数センチというところで我に帰ったのか自らの懐に素早く手を引っ込めた。当然それとは反対の方向を向いていた叶國には、知る由もない些細な瞬間である。
 何故か、彼女のか細く小さな手のひらを守ってやらねばならないと、彼は無意識のうちにそんな感情を胸の中に生じさせてしまっていたのである。既の所で、理性を無視した衝動を胸の奥に抑え込んだ彼は、彼女から視線を外し微かに朱に染まった頬を携えながら、マフラーに顔を埋めた。
 どうやら変わりつつあるのは、彼女だけではないらしい。



○終わり。


*2013/12/25




@茶紅覇さまへ

≫オートレーサーという職業がどんなものなのか、詳細はネットで調べた知識でしかありませんが、一応レースのことに集中するあまり女の子という生き方を忘れていた…というような女の子の話にしてみました。
オートレーサーの要素使いこなせていない自分が憎い…!すみません!
敢えてドキムラの表現はぼかしました。田中くんに欲情という概念はあるのだろうか…。自覚していなさそうだと勝手に思っております。
現役のレーサー様には申し訳ないですが、要素を使って努力した結果がこちらでございます。茶紅覇さまがその職にどの程度詳しいのか全く分かりませんが、読んでて不自然無ければ幸いです。



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