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再始動するアイン
奴の何が俺様の核である心の臓を揺さぶらせたのか。全能たる俺様にもそれは未だにに解明できないでいる。強いて言えば奴の澱みない無垢な精神だろうか。はたまた、この俺様の瘴気放つ体に怖気づくことなく寄ってくる、無謀にも似た勇敢さだろうか。それとも、魔獣たちのように従順で実直に生きる様にだろうか。……いずれにせよ、叶國或奈という女は尋常でない魔力を秘めている。そこに惹かれてしまった事実だけは確かだ。
この島に来てから10日ほどは経っていた。その間、よもや雑種風情の雌猫による魅了の術に惑わされることになるとは、千里を見通す鷹の眼を得し者の俺様ですら予測できなかった異常事態であった。
奴と目を合わせただけで″石化魔法″(ゴルゴン・パラライシス)にかけられたこともある。あの時ほど奴に脅威を感じたことはないが、その程度で退かぬのが俺様だ。奴が視線を背けるまでこの眼光で射ってやったものよ……ククク……。逆に奴の動揺を誘ってやれたということはやはり俺様よりは能力の低い者だということだが、しかしあの眼差しにより俺様の呼吸器管は乱されてしまった。それは未だに継続してかけられている呪いだ。解けることは恐らく、ないだろう。
そんな奴に、つい先日″選ばれし者を決めるための聖戦″(セイクリッド・リボルト)を挑まれてしまい、衝動に任せるがまま或奈を屈服させる手段を取ってしまったが……。俺様も奴もそれにより発生した行為について納得はしていないのだった。唇を触れ合わせる行為、それは正式な形を以てして為すべきだとお互い心得ていた。
しかしどうにもその、機会を作ることが……俺様の不得手な分野でな。くッ……!断じて不可能という訳ではないが、使い慣れん高度な術を構築するには今の俺様では魔力が足りんのだッ……!完全体であるならば俺様と奴の望むまま、機会を作れるよう誘導することなど容易いのだが、如何せんこの場とこの時で即、といわれれば不都合だらけだ。流石の俺様とてこうも状況が悪くては術式など紡げん。
ならば持ち合わせている自身の能力の全てを使い、古より伝わりし術式で挑むより他に手段はないというわけだ。フッ……このような術に頼る日が来ようとはな。
採集が終わり、レストランで一息ついているところの或奈に、俺様は静かに歩み寄った。すぐに奴は気づき笑みを向けてくる。一体どんな術なのか……俺様も釣られたように口元に笑みを浮かべさせられてしまうのだった。
「たな……じゃない、眼蛇夢くん! 今日もお疲れさまーっ」
契約を結んだからには真名で呼べという俺様の教えをしっかりと心得ているようだな。なかなかに従順な使い魔を得られたことは喜ばしい。その功績を称えて褒美をやるのも主君の務めだ。
「フッ、この程度の作業どうということはない。それより或奈、この後だが……空き時間はあるか? これを貴様に使用してやろうと思うのだが」
俺様は懐に忍ばせておいた呪布を或奈の目の前に突き付けた。
「おでかけチケット? それって」
「勘違いするなよ……。貴様がこの呪布を枯渇させたと嘆いていたことを憐れんでやったまでだ。好きな所に連れて行ってやる。俺様の計らいに感謝するがいいッ! フハハハハッ!」
「ありがとう! だったらね……遊園地に行きたいな! チケット消費し過ぎて、まだ行けてなかったの」
くッ……!なぜだ……こ奴の嬉々とした表情を視界に入れるだけで、なぜにこんなにも胸が締め付けられるのだろうか……!おのれッ……内側から徐々に浸透してくるこの熱は、一体なんだというのだ……!
「眼蛇夢くん」
「どッ、どうしたッ!?」
「あのね……そんなにマフラーに顔埋めてたら前見えなくなっちゃうよ?」
「ッ……!! お、俺様には第三の眼がある。どんな障壁があろうとも真を見抜く、次元を超越した能力を秘めた眼だ。魔導装備一つ隔てたところで視界が利かなくなる訳がない。そんなことよりも……ククク……見える、見えるぞ。貴様が浮かれ、遊具に心を奪われている間に、″組織″の者が貴様に洗脳術を行使しようとする″幻視″(ヴィジョン)がッ!」
「なにそれ怖い……。そんな未来見えちゃう眼も怖い」
どうやら或奈の得意とする系統の術ではないらしく、怯えているようだな。身を守るすべを持たぬ者の当然の反応、といったところか。
「フッ、按ずる必要はない。危機を察した時にのみ作動する能力だ」
「そんな便利な力を自由に操れるなんて、さすが眼蛇夢くん……すごい! でも″組織″ってなあに?」
「今はそれを語るべき時ではない……。しかしそれから身を守る方法だけは教えてやろう」
「え……あ、あわっ……」
或奈の手を取ってやると、奴は戸惑いに目を泳がせた。まさか俺様がこの様な方法で下僕の身を守るなどとは、予知できなかったのだろう。こうすることで俺様の強力な結界内に入ることができるのだが……悪用しようとする輩がいては鬱陶しいため誰にも教えたことはなかった。故にこ奴が知っているはずもなく、困惑するのも無理はない。
奴は微かに熱を持った顔で俺様の顔と繋がれた手とを交互に見てくるが、逐一説明してやるほど俺様は優しくはない。むしろ下僕ならば察するべきだ。
「ほら、行くぞ。早くせんと日が暮れてしまうだろう」
「うっ、うん……!」
前を向き、奴の手を引きながら歩き出す。すると、ただそこにあるだけのされるがままだった柔らかな温もりに、少しばかり力が籠った。遠慮がちに小さな指先が俺様の手に触れる。
……愛しいというのはこういう感情を言うのだろうか。悪くない。ならば俺様もこ奴の為に、なすべきことをやり遂げようではないか。
夢と希望の交錯する場所、遊園地に着いてからの或奈は狂喜乱舞し、俺様の手に負えるものではなかった。あれやこれやと目に入った遊具に心奪われては俺様に対し期待に溢れた眼差しで問いかけるのだ。『眼蛇夢くんも一緒にあれをやろう?』と。
本来ならばこのような場所は、俗世の澱んだ空気に満ちているため俺様が足を踏み入れることのない場所だ。よって或奈の様に無邪気な振る舞いができず、ただただ次はあれだ、これだと言う奴の手に引かれるがままにそれらに参加させられてしまっていた。
″音速で旋回する地獄車″(ジェット・コースター)から降りた時点で、俺様の心臓はもぎ取られそうな程に激しく躍動していた。クッ……!下界にこのような悪しき兵器が存在していようとは……!奴の『絶対安全だから怖くないよ』という呪文に迂闊に釣られてしまった俺様の失態だ。
「次は……って眼蛇夢くん、大丈夫? 顔色悪いけど、一回どこかで休む?」
「ハッ! これしきの地獄、滅死界の氷の覇王たる俺様には生温いわ! さあ、次は一体どのような兇器で俺様を試そうと言うのだ? 例えどんな阿鼻叫喚の地が待ち構えていようと、この俺様が屈する事は有り得んがなッ!」
高速回転するコーヒーカップ、脳裏に焼きつくようなおぞましい光景ばかりのお化け屋敷、出口探しに四苦八苦のドッキリハウス……。乗っていないものはないのではというくらいに攻略し尽くしたはずだが、まだ何かあるだろうか。
「えっと、じゃあメリーゴーランドはどう?」
「……ほう、ここに来て無難な選択をするのだな」
「さっきから激しいのばっかりだったし、それにそろそろ時間だもん。最後にゆっくりと今日の思い出に浸るのも悪くないかなーって」
こ奴の言うとおり、夕暮れが迫っていた。空は茜色に染まりかけ夕方の晩餐が近いことを知らせている。規定の刻に会場へと辿り着くことはここにいる全員で決めた誓約だ。約束事は守らねばならん。
しかし、この時間が少々名残惜しくも思う。或奈と共に過ごしたこの僅かな時間が終わってしまうという事実は、俺様の胸に虚を穿つのだった。
「これも因果律の運命であるのならば従わねばなるまい……。では向かうとするか」
「うん……そうだね」
俺様が手を差し伸べれば、自然と或奈も手を重ね合わせてくる。フッ、いつの間にやら俺様の意図を読むのが上手くなったようだな。
隣を歩く或奈にふと視線をやる。どうしたことだろうか、切なげな表情を浮かべおぼろげな瞳で真っ直ぐに前を見ている。否、何か思う事があるかのようにそれは黄昏を映し虚ろに光っていた。
「どうかしたか?」
「え? なんでもないよー。……メリーゴーランド、乗るのは荷馬車のやつがいいな!」
「……ああ、貴様の自由にするといい」
確かあれは2人乗りのものだったか。馬ではないがどれを選ぼうとも、貴様の運命は決まっているというのにな……ククク。暢気な顔で歩くこ奴は、俺様がよもや綿密な計画を企てているなどとは微塵も思っていないのだろう。
そろそろ俺様の真の目的を達成せねばならん。正当なる契約を結ぶためには、やらなければならないことだ。互いの想いが同じであるのならば何も臆する事は無いはずであるのに、俺様の心臓は何故か鼓動の音を大きくしていた。
目的地に着いたため足を止める。目の前に聳え立つメリーゴーランドはまだ電気装飾類の明かりが灯っておらず、夕日に照らされ薄暗くそこに存在していた。何故かそれを見ているだけで懐古の念の様なものに襲われ、今日一日や最近起こった事柄を鮮明に蘇らせてしまう。
真っ先に浮かんできた記憶は或奈の笑顔だった。そしてその次に浮かんできたのもやはりそれと同じ類のもので、俺様の頭の中で浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返す。
最後に思い出したのはあの日のことだ。或奈が嬉々として持ってきた、天空都市ストラトスに存在すると言われる伝説の聖剣『Pocky』……。思えばここでこの様な時間を過ごすのも、あれが始まりであったな。″選ばれし者を決めるための聖戦″(セイクリッド・リボルト)に勝利した俺様を、驚愕と羞恥の表情で見る或奈の熱を帯びた顔。そしてその後に起こった契約の告白を奴が受け入れたという事実。何度思い返しても明瞭にその場面を憶えており、脳内でそれを再生することができる。
そして思い返した後に必ず一つの結論に至るのだ。やはり俺様は或奈のことを好いているのだと。
「んー……これがいいな。眼蛇夢くん、これに乗ろう」
俺様が思い耽っている間に奴はどれに乗るか悩んでいたらしい。選ばれたのは桃色地に金色で装飾が施された、少々高貴さが感じられる荷馬車のような乗りものだった。それに乗り込むべく奴は俺様の手を強く引いている。
どういう仕組みになっているのか、俺様と或奈が乗り込み設置された椅子に座った瞬間ゆるやかに機械の可動音がし始めた。そして幻想的な雰囲気を作るために流れる、電子音楽。これは俺様にとって望ましい空間であった。
今であれば、契約を為す事ができる。この千載一遇の機会をどれほど待ち望んだことだろうか。
俺様はゆっくりと隣に座る或奈の方へ顔を向ける。急き立てる様にまた鼓動が速く、音が大きくなる。目が、合う。純粋無垢な瞳に気を取られ一瞬動けなくなり、その隙にあろうことか、奴の方から先に話を切り出されてしまった。
「眼蛇夢くん、今日……楽しかった?」
全く予期していなかった質問をされた俺様は息をのむ。答えは決まっていたのだが、真剣な或奈の声色に直ぐに口を開くことができなかった。
「ッ……? あ、ああ。なかなかに充実していた。下僕の分際にしては上出来だな」
「本当に?」
「これは真実だ。そもそも貴様に虚実を述べる必要などない。……しかし、なぜそのようなことを聞く」
「……眼蛇夢くん、何か上の空だったみたいだから」
まさか。見破られていたというのか?俺様の完璧なる計画がッ……!
「もし、ね。あの時成り行きでわたしに告白したっていうのなら……ちゃんと言って欲しいな。わたしは……その、眼蛇夢くんに好かれている理由なんてよくわかんなくって。わたしもまともに意識し出したのは告白されてからで。けど、やっぱり付き合うようになってから眼蛇夢くんのこと、す、好きだなあって、いろんなところで思うようになっちゃって……!」
「或奈」
「きょ、今日だってね! 誘ってもらえてすごく……楽しかったし嬉しかったし……。何より眼蛇夢くんと一緒にいて、眼蛇夢くんと同じことして、その度に見れる表情にどきどきして、やっぱりああ好きなんだなって思っちゃうっじぶんがいて、さ。なのに眼蛇夢くんがどっか遠いとこ見てるような目をしてるとこを見ると、すごく、どうしようって……不安になっちゃってね。けど、楽しいって言ってもらえて本当に良かった……!」
まくしたてる様に言葉を放った後、最後に或奈は柔らかく安堵の笑顔を浮かべた。それを目に映してしまった俺様にはもう、湧きあがってくる感情、衝動を抑えきることができなかった。
「或奈ッ……!」
「がっ、がんっ、だむくんっ!?」
いかん、ここで急にそんなことをしてはと思っていても、俺様は愛しさのあまり或奈を抱きしめてしまっていた。小さな体が俺様の胸の中へと収まる。
戸惑い、どうしたらよいのか分からずに見つめてくる或奈の潤んだ瞳。行き場なく、不安げに俺様の衣服を掴んでいる細い指。夕日に負けず劣らず紅く染まった頬。そして何を紡いだら良いのかわからずに僅かに開けられた口と、薄紅色の唇。どれもこれもがたまらなく、自分のものにしたくてしょうがないものだ。
「目を、閉じろ」
「えっ……」
「何も聞くな。言われたとおりにするがいい」
すると或奈は素直にゆっくりと瞼を閉じる。眠ったように安らかな表情を浮かべる綺麗な顔が、夕日に照らされる。息を止めながら、そこへ俺様は顔を近づけていった。或奈の微かに震える瞼と揺れる睫毛を視界に捉えながら、こ奴に向ける想いを再認識して唇を重ね合わせた。
「んっ……」
驚いたのだろうか、或奈が小さく声をあげた。同時に俺様の衣服を掴む手に少し力が籠る。
おそらくそれは僅かな時間であったはずだ。しかし長く感じられた契約の刻は、俺様が奴の唇から自身のものを離すことで終わりを迎えた。
或奈は俺様の腕の中で目を見開き、口元に手を当てて言葉を探している。そして何度か大きく瞬きを繰り返したのち、最後に一度大きく呼吸をした。
「……あの時、とは違う、よね。今度は確実に、眼蛇夢くんの意思で、なんだよね?」
「そうだ。遊戯に強制されず、貴様を愛しいと想う本能が故に行動したのだ。フッ……改めて、言霊を浴びせるべきか?」
「ううん、眼蛇夢くんの想いはもうわたしにしっかり届いてるから。……だから今度はわたしから、伝えさせて」
「……む」
或奈が俺様の胸に顔を埋めてくる。甘えているつもりなのだろうか。それにしても、ああ……今日はやけに日射しが熱いな。もう体のどこの部位に熱が集中しているのかなどわからないくらいに、あちこちが熱い。ここまで熱に焦がされることは初めてだ。
黙っていた或奈が顔を上げる。満面の笑みを湛えながら、可憐に弧を描いた唇で言葉を発した。
「わたしもね、眼蛇夢くんのこと……大好きです」
「そ、そうか……あ、……ありがとう」
どこに惚れたかなど、自身に問いかけるべきでも問題定義するべきでもなかったようだ。どうやら俺様はこ奴の全てを、叶國或奈という雌猫……いや、一人の人間の持つあらゆるものに、心を焦がされてしまったらしい。
メリーゴーランドは緩やかに回転速度を落としていく。もう帰らねばならん時刻という訳か。せめてもうしばしこのまま、想いを確かめ合った2人を余韻に浸らせてくれればよいというのに。
「また来ようよ。今度は眼蛇夢くんのために、ちゃーんとチケット取っておくから」
「フッ……そうだな。また、貴様と来ればよい……か」
この閉ざされた空間ならば或奈がどこか遠くへ行ってしまうこともない。これからいくらでも時間を共有できる。そしてここだけでなく、いろんな場所へ行くことができるのだ。此度発せられた言葉は、遊戯によるものでなくそれぞれの真の意を確かに秘めたもので、また、契約も改めて交わした。……ならばもう偽りかと疑う必要がある言葉も行為も、どこにも存在していない。
おそらくここからまた、新たな物語が生まれていくのだ。それは綴っていくのもやはり、紛うことなき真実の想いなのだろう。
○終わり。
*2013/12/12
@京さまへ
≫もともと続きなんて考えてないものだったのでいろいろとあの時の田中くんとおかしいかもしれませんが…!こんな感じに仕上がりました!
田中くん視点難し過ぎて今まで書いてきた中で最高難易度!と感じました(笑)
でもいろいろな言葉を考えるの楽しかった…あと勉強にもなりました。田中くん頭良過ぎて頭悪いわたしは辞書3つぐらい開いてようやく追いつけるレベルです。
力不足ですみません…が、愛は込めてます!田中くんらしさがでているといいな…なんて希望を込めて、捧げさせていただきます。
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