エゴイスティックB級シネマ
暗闇の中、しっとりとしたバラードと共に流れる大画面でのエンドロールを見つめながら、叶國は涙を流していた。まだ余韻に耽っているらしく物語が終わっても席を立つ様子はない。スタッフや監督の名前が連ねられた文字列を瞳に映しつつ、脳内では先程の感動的な場面を再生しているようであった。
やがて曲も映画も静かに終わりを迎え、画面の下には小さく制作会社の名前が表示された。これにてこの作品の上映は終了だという証だった。すぐに場内は明かりが灯り初めて、緩やかに現実に引き戻される。そこでようやく叶國は小さく声を漏らした。
「んんー……面白かったー!」
素直に作品の感想を述べながら、頬に伝った涙をハンカチで拭く。満足気な表情をしている彼女の傍らには、怪訝な顔をしている田中の姿があった。
察するに、自分と同じ感想を抱いてはいないだろうと叶國は少し困った顔をした。彼の表情の意味を考えると、やはり普段見ないものに付き合わせてしまったのは宜しくなかったのだろうかと、申し訳ない気持ちが込み上げてくる。
しかし、気になる恋愛映画があるから見たいと彼女が願望を口にした時、二つ返事でそれに同行すると言ったのは田中の方だったのだ。動物が出てくる映画を好む彼にとって、恋愛の、しかも動物が全く出てこない種類の映画を見ることは苦痛以外の何物でもないと叶國は予想していた。故に彼のその返答は意外であった。
彼女はと言えば、二つ返事で承諾してくれたことを不思議だと思いつつもそこを詳しく問い詰めることは無く、喜んでおでかけチケットを消費し、彼と一緒にこうして2時間弱を過ごしたのだった。
さてそんな彼はどう感じたのだろうか。叶國は気になり田中の様子を伺っているが、先程から一言も発してくれないため何を考えているのか全く想像がつかないのだった。
無言に耐えきれず、飲み残していたコーラに口をつける。すっかり氷が溶けてしまって薄くなったそれはまるで砂糖水のように甘ったるく、舌の上で小さく弾けて喉の奥へと吸い込まれていった。
劇場の明るさにも慣れてきた頃、そろそろここから出るべきだろうと叶國は田中に声をかけようとした。しかし、彼女のそんな様子を察知してか、彼は堅く結ばれていた唇をようやく開いたのだった。
「……貴様はこういう展開を好むのか?」
くだらない内容だと一蹴されてしまう予感がどこかにあったのだが、意外にもそういった角度からではない一言に叶國は驚いた。
叶國は普段から恋愛ものばかりを好んで見る訳ではなく、気になったらジャンルを問わずとりあえず、の人であった。前回ここに来た時に、たまたま流れた予告編を見て気になったから見たいと思い彼を誘った。それだけの話である。
それに不思議な事だが、この島には沢山の種類の映画が流れている。少なくとも1ヶ月は毎日違うものが見れるほどに豊富に揃えられていた。それだけあれば彼女の趣向に合い惹かれるものがあるのは当然のことだった。
「好みってわけではないんだけど……。でもこの話は面白かったよ。田中くんはどうだった?」
「フン、下等種族等の生体を探るのにいい機会だと試しに鑑賞してやったが、理解に苦しむ内容だったな。これが俗世で持て囃されている戯曲だというのか……。やはり俺様と貴様らとの感性は大きく違うようだ」
「田中くんが恋愛映画見ること自体が意外だったから、来てくれただけで嬉しかったよ。それより、無理に付き合わせちゃってごめんね」
「謝罪の言葉など口にするな。俺様が暇潰しに貴様の誘いを受けてやっただけなのだからな」
「なら、うーんと……。一緒に来てくれてありがとう! いい暇が潰せた?」
「どういたしまして……。フッ、少なくとも貴様のレベルを把握する参考にはなった」
「レベル?」
何を参考にされたのかはわからなかったが、田中が何も答えないまま席から立ち上がった為叶國もつられるようにして席を立つ。
会場を出ると、ブース内にはウサミが見送りのために待機していた。ゴミの回収をしながら面白かったかと問いかけてくるウサミに、叶國は肯定の返事をする。しかし田中は否定も肯定もせず、そんな彼女たちの後ろを無言で歩いて先に外へ出ようとしていた。置いていかれると思い急ぎで一言ウサミに礼を言うと、叶國も慌ててその背中を追うのだった。
映画館から出ると強烈な明るさが彼女の瞳を刺激した。一瞬忘れかけていたが、ここは常夏の島であった。クーラーが効いていた屋内とは違い、まとわり付くように熱された空気が肌からの発汗を誘う。不快感を感じて思わず顔をしかめるが、そこから見える景色に目を奪われて暑さなどどうでも良くなってしまっていた。
(今日も綺麗だなあ……)
彼女が目を向ける方向、その場所である海上に赤々と照るのは眩しく燃える太陽だった。映画を見ている間に、いつのまにか夕方になってしまっていたらしい。邪魔な障害物が一切無い真っ直ぐな水平線に広がる紅の煌めきは幻想的で、もう何度目かも知れない光景であったがそれでも美しい風景に変わりなく、彼女の心を射止めてしまうのだった。故に、少しだけ呼吸も動くことも忘れて見入ってしまう。
道の少し先では田中も足を止めて彼女と同じ方向を向いていた。考えている事も同じであるのだろうか、それは彼にしかわからない。夕陽に照らされながら叶國はそんな彼の背中に少しずつ近づいて行く。
「いい景色だよね。わたし、こんなに素敵な光景が見れるならずっとこの島に居てもいいかもしれない」
「……くだらん戯言をぬかすな。行くぞ」
田中は叶國がいる背後の方を一度見たきり、あとは後ろを振り返らずに帰り道を歩き始めた。その少し後ろを叶國が少しばかり早足でついて歩く。
おそらく今頃、レストランに全員が集合し騒がしく夕食の準備をしているはずである。早く行かなければ、2人の帰還を待ちきれない終里あたりに全部食べられてしまうかもしれない。それは非常に由々しき事態である為、ゆっくりと景色を楽しんでいる暇は無いのであった。
最初の島へ続く桟橋を通りながら、叶國はふと先程鑑賞したばかりの映画の最後のシーンを思い出していた。ちょうど映画にもこんなシーンがあったのだ。
(主人公の男の子と、その幼馴染の女の子がいて、2人は許されざる恋をして。全てを投げ出して2人きりで逃避行をすべきかどうか迷っていた。……あの子たちはどうすべきだったんだろう)
同じく夕陽が眩しい、こんな海辺の場面だった。最も、彼らが居た場所はこんな南国の雰囲気が漂う整った海ではなく、街の隅に忘れ去られたかのように存在している寂れた海岸であったが。
「似ているな」
「そう……だね」
田中も同じことを思っていたらしい。その一言で何を思い返しているのか、何が似ているのか、2人の想像の間に相違は無かった。
桟橋を通り過ぎて、大きなヤシの木が生えている見慣れたビーチが視界に入ってくる。気づけばいつの間にか、ゆっくりとした足取りでも彼の隣に並ぶことができるようになっていた。
このまま真っ直ぐに歩いていけば何事もなくレストランに辿り着くことができるだろう。きっと帰りが遅いと叱られるだろうが、温かくお帰りを言ってくれる皆が待っているはずだ。躊躇う理由などこれっぽっちもない。なのに、叶國の歩みはどこか重く、まるで進むことを拒むかのようであった。
(ああいう映画はやっぱり合わなかったかなあ。失敗しちゃった)
揺れない秤の上に乗った心ならば、いつもと違う刺激を与えてやれば揺れ動くだろう。彼と友達とは異なる関係になりたいと想ってしまった彼女は、恋愛映画を見せることで何かしらの刺激になる可能性を期待していた。けれども目論見は外れてしまったようで、彼から何の変化も見られなかった。それどころか気分を害してしまったのだろうかと不安に感じてしまうほど、彼の口数が少なくなってしまっていた。彼女もまた映画の内容を掘り返すのも悪い気がして、しかしなかなか他の話題も思いつかない。無言の時間が彼女の胸を苦しくさせた。
このまま何も無く帰ってしまうのは勿体無い。けれども彼を引き留める理由など持っていない。まだ帰りたくないなどと子供染みた発言をするような人間だとは思われていない為、そんなことを口にすればきっと熱があるのか、頭は大丈夫かなどとでも言われてしまうことだろう。
「どうした、叶國。置いていくぞ?」
隣を歩いていたはずの叶國が突然見えなくなり田中が振り返ると、ビーチに下りる階段の前で彼女は足を止めていた。考え込んでいるうちに、いつの間にか歩くことをやめてしまっていたようである。
「ん……ごめん。少しぼーっとしてただけで」
彼女がふと田中の方ではなく光が射す方へ顔を向けると、映画の中に出てきた様な砂浜と、そこに静かに打ち寄せる波と、ゆっくりと沈んでいく紅い夕陽が1度に見渡せる場所があった。いよいよ沈み始めたのか暗い海に円の縁を溶かし始めており、絵画の世界を切り取ったように幻想的な世界が目の前に広がっていた。
この島で暮らし始めてから何日が過ぎたか、具体的な日数は忘れてしまった。2週間ほどであったような、実際はもう少し経っているかもしれない。日々を過ごす最中で、何度もこの光景を目にしてきていた。
だからなにも、ここでじっくりと見なければ逃してしまうものではない。明日も明後日もその先も、時間を合わせて来ればいくらでも見れるものだ。
なのにこれは、叶國を誘うかのように赤々と燃えている。まるでまだやりたいことがあるのだろう、とでも囁くように。その悪魔の誘惑にも似た色彩により、彼女はあることを思いついてしまった。
「行かなきゃいけないよね。みんながわたし達の帰りを待ってるんだから」
「愚問だな。何か帰還できん事情でもあるのか?」
事情と言えば事情となるが、ほとんど我儘であった。皆の事など考えず、全ては自分の為だけの自己中心的な事情だ。この際、そんなものに彼を付き合わせてしまうのかなどという罪悪感は一切捨てて、彼女は思うがままに身を任せて口を開いた。
「あの……あのね、少しだけ……ふたりで寄り道していきませんか?」
叶國は田中に手を差し伸べる。それは先程の映画のワンシーンを模した姿であった。橙色を頬に浴びてそっと笑みを浮かべる。
寄り道、と言ってもビーチに寄ってこの夕日が沈むまでを見届けたいだけだ。だが確実に皆との夕食の時間には間に合わず、心配をかけてしまうことになる。
(あの子は、彼に手を取ってもらえなかったけども、田中くんならどうするんだろうか)
映画の最後、女の子が差し伸べた手を主人公は取らなかった。そうしなければ彼女と自分を取り巻く全ての物が、人との関係が、崩壊してしまうことを知っていたからだ。それを選べない優しさを持つ彼だからこそ、女の子はそんな彼を一生愛し続けて、主人公もまた彼女を想いながら別れを告げる──そんな終わり方をしていた。
見解は十人十色であるが、叶國はハッピーエンドとして捉えていた。心は常にお互いの事を想い合ってこれからも生き続けるのだから、おそらく彼らにとっての最良の結末であったのだ。綺麗な物語として解釈してしまえば良くできたお話であったと彼女は思う。
では、叶國と田中ならばどういう結末を迎えるのだろうか。特異点として彼と触れ合う事を許されているのだから、もし彼の答えが彼女の望み通りであるのならば、そこに彼の手が重ねられるはずだ。
「フッ……貴様にしては面白い試みをするものだな。先の戯曲の真似事などとは、笑わせてくれる」
「バレちゃった? 世界の全てを投げ出す選択じゃないけど、寄り道なんてしたらみんなには怒られちゃうね」
「そうだな。奴らの怒りなど″精霊の嘆き″(テンペスト)に比べれば恐れるに足らんが、些か面倒なことにはなるだろう」
「うん」
2人のそれぞれの事情を知っている者は多い為、実際に皆に怒られる事はない。野次馬のように好奇心剥き出しの笑みを浮かべて、こんなに遅くなって何があったのかとこっそり本当のところを聞きだそうと耳打ちしてくる者が、少しばかり厄介なだけである。だがそれくらいは当然覚悟の上だった。
「しかし惜しかったな。どちらの選択が貴様の求めし運命なのか、既に俺様には読めている」
「なーんだ……つまらないことしちゃったね」
浅はかであった。試すも何も、どちらの選択が望まれているのか読まれていては話にならない。
優しい田中の事だから、くだらない我儘に付き合ってくれるかもしれない。もしかしたら自分の気持ちを汲んでくれつつも皆に迷惑をかけてはならないと、断るかもしれない。
いずれにせよ彼が優しい事に変わりはないのだが、そこに叶國の探りたい意思は存在しない為、無駄なことである。叶國は視線を落とすと伸ばしていた腕をゆるりと下げたのだった。
「同様の選択をして欲しいのだろう?」
「……え?」
何と同じなのかすぐにわからず、一瞬彼が何を言っているのか判断に困った。しかしすぐに先程の映画の結末の事を言っているのだということに気がつく。
そして、叶國の頭の中で燻っていた疑問が解決された。彼が映画を見た後に参考にしたと言ったのは、おそらくそういうことだと理解する。
(わたしのレベルを把握する参考にしたって、好みを知ろうとしてくれたってことだったんだ)
すると同時に彼女は嬉しさのあまり口元を緩ませそうになるが、怪しまれてしまうことを危惧し耐えて唇をきつく結んだ。
けれども彼が言うのはつまり、彼女の手を取らないというものだ。彼女の心が求めている結果とは違っていた。そこは悲しいところではあるものの、彼が自分のことを少しでも理解しようとしてくれただけで、彼女にとってはもう充分であった。
「そう、そうだよ。みんなに悪いもんね。馬鹿なこと言い出してごめん。早く帰ろう?」
表情の変化を悟られる前に動かなくてはと、叶國は慌てて帰ることを切り出した。だが田中は動こうとせず沈黙し、叶國がどうしたのだろうかと小首を傾げるまで口元をマフラーに埋めていた。
「……あのー、田中くん?」
「まあ待て。貴様はあの戯曲の様な美談を好むと言った。優男が演じたように、世界を選ぶ者を貴様が良しとする……と。だが」
田中の答えは叶國の中にある選択肢のどれをも選んでくれないものだった。彼は少しばかり離れていた二人の距離を詰めるべく叶國のすぐ側まで歩み寄ると、彼女の手の平に自身のそれを重ねるのではなく、腕を掴み自分の方へと引き寄せた。
「な、なにを……」
戸惑いながら田中の顔を見上げると、微かに笑みながら彼は再び口を開いた。
「奴と同じ事を、俺様に求めるな。どちらも手に入れるのが覇王のやり方だ。それが気に入らんというのならばこの手を振り解くがいい」
田中はそう言うと叶國の腕を掴んだままビーチの方へと歩きだした。当然掴まれた腕の主である彼女も同様の方向へと歩かざるを得ない。だが彼の言うように抵抗することは無く、ただ前だけを見つめる彼の背を追う。
「ほう、素直についてくるとは貴様も悪魔として覚醒しつつあるということか? ククク……面白い」
「田中くんの忠実な下僕ですから。そのうち本当に悪魔になっちゃうかも」
「貴様ならば可能性は……いや、まだ未知数だ。くだらん期待はしないでおこう」
砂浜に2人の足跡がついていく。いつか本当に世界と自分のどちらかを選べと言われたら、彼はまた手を取ってくれるのだろうか。どちらも零さずに拾い上げてくれるのだろうか。
彼がもし映画の主役であるならば、その相手のヒロインはきっととても言葉にできないほどに幸せなエンディングを迎えるのだろう。いつかその役に位置する事ができるのならば、悪魔にだってなってもいいと、彼女は砂浜を踏みしめながら大きな背を見つめる。
「みんなになんて言い訳しよっか?」
「そんなものは案ずるに及ばん。この覇王に任せれば奴らの怒りなどすぐに凍結してしまうことだろう」
どこまでも自信に満ち溢れた彼の言葉に、叶國は疑問を微塵も抱かなかった。それどころか理由など無く、ただただ安堵する。優しさとは案外、こういうものなのかもしれない。万人に優しい映画の主人公よりも、何もかもを手に入れようとするくらい我儘な彼が、彼女にとっては最高のヒーローなのだった。
○終わり。
*2016/10/08
@ういさまへ
≫2年もお待たせしてしまいまして申し訳ございませんでした!(土下座)せっかくリクエストいただいたのにこんなに遅くなってしまい、もうなんと言ってよいのか……。大変申し訳ございません。
ツンツンということで何考えてるかわからない感じの田中くんにしてみました。2人が見た映画の内容は特に参考にしたものはないので適当です。でもどこかに似たものがありそうな雰囲気にしてみました。その辺りはご想像にお任せいたします……。
もしもまだいらっしゃってくださっていれば、こっそり読んで頂けましたら幸いです。リクエストありがとうございました!
← →