赤い糸を足しましょう
ぐるぐるといつの間にか絡まった裁縫の糸を、適当に巻きながら回収する。目の前にある机の上には不細工なぬいぐるみができあがっていた。違う、こんなはずでは、と叶國は恥ずかしくなって、そそくさとそれを隠し無かった事にする。家に持って帰ったら作り直してあげなければ可哀想だ。そう思いながら、彼女は優しく自分の鞄の中にしまうのだった。
叶國の超高校級の才能は、手芸作家だ。ハンドメイドでいろいろな作品を作る事が好きで、作った作品を好きだと言ってくれる者にあげていたらいつしか周囲からそう呼ばれるようになっていた。常に指先を動かしている事が好きで、かわいい、形にしたいと思ったらすぐに創作してしまう癖がある。
今もそうだった。がやがやと騒がしい教室の隅で動物と戯れる、田中に視線を向けたまま手を動かしていた。彼が言う、マフラーの中で飼っている破壊神暗黒四天王という名のハムスターたち。彼らを形にしたい。そう思って手を動かしていたはずなのに、出来上がったのは無残な毛玉の塊だった。
叶國は動物が好きだ。特にふわふわした毛並みを持つ愛くるしい小動物は、釘づけになって目を離せなくなるくらい好きである。その為、田中が飼い慣らすハムスターを入学当初よりずっと見続けてきた。
触らせて、と言いたい。触れられればきっと、その毛並みと色と形を再現したぬいぐるみだって作る事が出来るだろう。遠目から見るだけでは実物には到底届かないのだ。今の彼女には間近で彼らと触れ合う事が必要だった。
なぜそう言えないのか、と言えば。単純な話で、田中とさほど仲良くないからである。
特に互いを嫌っているなどではないが、そもそもあまり話をしたことがなく、しても何を言っているのかいまいちわからない。強めの口調と厳しめの表情にどうにも怖じ気づいてしまい、上手く話をすることができないのだ。
けれども彼がハムスターたちと戯れている姿はとても羨ましいもので、主人の手から小さい手を伸ばしてヒマワリの種を受け取りそれを頬張るマガGの姿は、叶國の心をやわらかくくすぐるのだった。
「おろろ? 或奈ちゃんったらまた眼蛇夢ちゃん見てるっすね」
「ひっ」
急に後ろから声がかかったので、思わず妙に高い謎の声を上げてしまった。振り向くとクラスメイトの澪田の顔がすぐ近くにあって更に驚く。先ほどまで叶國の視界の中に入っていたはずであるのに、いつの間にうしろに回り込んだのだろう。いつからいたのだろう。そもそも自分はいつから田中のハムスターの事を見ていたのか。考えると急に恥ずかしくなってきてしまい、頬が赤く染まってしまうのだった。
「えっ、そんなことないよ!」
「むふふー、唯吹にはわかるっすよ。もうここんとこずーっとっすよね。うんうん、そんな恥じらう乙女ちゃんな或奈ちゃんの気持ちを考えると……一曲できちゃいそうっすよー! さあ、遠慮せずにゴーゴーっす!」
「どこに何をゴーなの!? ち、違うからね! 変な意味じゃなくって」
とにかく澪田の声は大きい為、早く黙ってもらわないとあらぬ誤解を招いてしまいそうだった。しかし叶國の焦った様子を見て、澪田は図星だと判断してしまったらしい。さらにうるさくからかい始めるのだった。
叶國はそうまでされてようやく席から立ち上がる。このままではまずいと澪田を本気で制止することにした。
「もう、澪田ちゃんってば! いい加減にっ」
赤くなって怒る彼女だったが、その背後にゆらりと忍び寄る影があった。
「貴様こそ、いい加減にしたらどうだ?」
「うえっ!?」
行動するのが一足遅かったらしい。後ろからかかった低い声に叶國は予感する。面倒なことになりそうである、と。
ちらりとその方向に視線をやれば、件の田中が立っていた。頭と肩に愛らしい悪魔を乗せて仁王立ちしている。凛々しい、覇王のオーラを纏いながら。
なぜか怒っている彼が怖い、どう話をしたらいいのかわからない。でも可愛い、触りたい。触らせてと言いたい。けれどもこの場から逃げ出したい。あらゆる″したい″で頭がいっぱいになった叶國は口元を動かすが、一言も言葉を発する事が出来なかった。
「貴様が先程から俺様に向けている不可視光線……。一体どういうつもりだ? 俺様へ挑もうと言うのか?」
「と、特に意味なんてな……」
「うっきゃー! 眼蛇夢ちゃんたら積極的っすね。そっちから来るなんもがががっ!?」
まず、更に捲し立てる澪田の口を叶國は自分の手の平で塞いだ。そして田中から逃げるように、澪田を連れて教室の出入口へと後退りする。不自然でないように、ゆっくりと足を動かしながら、移動して徐々に彼から距離を取っていった。
「意味なんてないよーぼーっとしてただけだよー! あははー……?」
「……貴様ッ、逃げるのか!?」
「ごめんなさいちょっと待ってください……! さ、澪田ちゃん、あっちで女子会しようか。二人だけで、女子会!」
「もががーっ!!?」
息苦しさにもがく澪田を引き摺って、叶國は教室のドアから脱兎のごとく逃げていった。今の状況を覆すにはこのままだと分が悪かったのである。
女子会。なんて馬鹿みたいな発言だったと叶國は自分の頭の悪さに下唇を噛んだ。しかし澪田を一旦引き離さなければ、どう考えても余計に話を拗らせかねなかった。彼女も必死だったのである。
廊下をしばらく走った先で、澪田の口を解放した。ようやく自由になった口でぜえぜえと苦しそうに呼吸している彼女に、叶國はごめんね、と謝った。騒ぎ立てた澪田も澪田だが、叶國も叶國でなかなかな事をしていた。危うく一人の友人を自らの手で葬るところだったのである。
だが澪田は怒ることなく、むしろこの体験でいい歌詞が生まれそうだとハイテンションになり、喜んでスキップしながら音楽室まで駆け抜けて行くのだった。
臨死体験でもさせてしまったのだろうか。叶國が呆然と彼女の背を見送り、一息ついたところで、背後から硬い靴音が聞こえた。ひとつ、ふたつ、近づくその音が聞こえてくる度に心臓が跳ね上がる思いをする。
「っ……! た、なかくん……!」
「フン、問いかけに応じず逃走を図るとはいい度胸だな。だが、俺様の追跡からは逃れられんぞ?」
恐る恐る振り向くと、ご丁寧にも後を追ってきてくれていたらしい田中が立っていた。明らかに怒っている、機嫌を損ねているということは、彼と普段会話をしない叶國でもすぐにわかった。眉間に皺を寄せて口元をかたく結んでいる。背の高い田中に見下ろされるとそれだけで威圧されている気分になるのに、更に今日は怒りのオーラまで付いているのだ。叶國は蛇に睨まれた蛙のように、身動きする事ができなくなってしまった。
ずっと視線を向けていて、見るだけ見ていたくせに逃げた自分が一番悪い事を叶國は自覚していた。無言で見られている事を田中が何時から知っていたのかは叶國の知り及ぶところではないが、ずっと前から知っていたのならそれは決して、気分のいい話ではなかっただろう。
そもそも最初から一言、彼にハムスターを触らせてくれとお願いすれば円満解決できたのだ。勝手に怖気づいて勇気が持てなかったのは叶國自身だった。今更、追いつめられたこの状況で気づくなどと自分は馬鹿だな、とまるで走馬灯のように今まで見てきたハムスターを頭に思い浮かべていた。
「……まあいい。答えずとも俺様にはわかるぞ。いくら本心を偽ろうとも、俺様の邪眼の前では無力……貴様の魂胆は見え見えだッ!」
「う……」
「ククク……貴様は俺様の底知れぬ魔力に惹かれたのだろう。まさか貴様が魔眼を使えるとはな……。同族の者ならば我が配下に置いてやらんこともない」
「うん?」
そこではたと気づく。もしかしたら、怖く見えていただけで思ったよりも怒っていないのかもしれない。
「貴様が俺様に恐れをなして逃走した事は今回のみ大目に見てやろう。しかし、次はないぞ。さあ、共に混沌の道を歩もうではないかッ! フハハハハッ!」
むしろ、どことなく楽しそうである。理解できないからといって勝手に怖い人だと決めつけていた叶國の中の田中が、崩れていく音がした。
よく考えてみたら、納得できる話である。彼が本当に怖い人ならば、あんな愛くるしい動物たちが懐いてくれるはずがない。いつも一緒にいるハムスターたちは、嬉しそうに田中の手から餌を受け取り、彼の肩に乗ったりしていた。そこが本当に居心地がいいのだと円らな瞳は言っていた。
「あの……」
「どうした? 迷いがあるのか?」
田中と目を合わせる。彼は濁りのない、綺麗な瞳をしていた。そこに映りこんだ叶國の瞳からはもう、色眼鏡が外れている。
「ただ……四天王ちゃんたちを触らせてもらいたかっただけなんです……。逃げてごめんなさい……!」
意を決して、田中に思いの丈をぶつける。胸の前で堅く手を組んで彼の反応を待った。罵倒されるかもしれない事を覚悟の上で、ただひたすら彼の言葉を待つ。しかし何時まで経っても彼は無言のまま、叶國の顔を見据えて動かないのだった。
「あのー……田中くん……?」
「はッ!? いかん、俺様とした事が……。いや、そうか、フッ……フハハハハハハッ! そういうことか、供物を編み出す者よ!」
止まっていたかと思えば、突如として高らかに笑いだす田中に叶國は度肝を抜かれる。やはり一筋縄でいかない人物というところは変わりないようだ。どういう感情の起伏で彼がこうなったのか、彼女にはまるで理解できなかった。
「……構わん。存分に我が眷属を愛でるがいい。命の保証はできんがなッ!」
「あっ……ありがとうっ!」
だが、幸いにも彼の心に彼女の謝罪と願いは届いたようだった。紫色のマフラーから飛び出して姿を見せる小さな魔獣たちは、主人と目を合わせると個々に叶國の体へと飛び移ってきた。次々にやってくる彼らに叶國は目を奪われて、抑えきれない喜びに次第に表情を明るくしていった。
嬉しさに頬を緩ませていく彼女を見て、田中もどことなく嬉しそうに目を細めている。口元の動きはマフラーに埋もれてしまっているものの、少なくとも彼女と眷属が戯れる事に不快感は抱いていないようだった。そして不自然に若干赤くなっている彼の耳に、彼女は気づいていない様子である。
「ふふ、かわいいね。触らせてくれてありがとう。……また、時々触ってもいいかな?」
「ククク……いいだろう。だが、こいつらを甘く見るなよ? 貴様が妙なことを考えれば、命は無いと思え! フハハハハハッ!」
叶國は田中という人物を勘違いしていたことを、つくづく申し訳なく思った。正直に接してみればこんなにも優しい人間だった。間近で見る四天王たちの愛らしい瞳、耳、毛並み。それら一つ一つから彼の想いが感じられた。
こうして触れさせてもらったのだから、きっとぬいぐるみは完成させられる。そうなったときに、一番最初に見せるのは彼がいい。滑らかな触り心地に夢中になる指先とは別に、彼女の心は動き始めていた。
○終わり。
*2017/02/17
@きりはさまへ
≫だいぶお待たせいたしました。申し訳ございません!もっと短い感じでもできたのですが勝手にいろいろ設定を足していったら長くなりました。ふと手芸作家という才能が浮かんで、あとは無我夢中で書いてました。個人的には楽しく書かせていただいたのですがいかかがでしょうか……!なにぶん時間が経っておりますので、こっそり読んでいただけたなら幸いです。
体を気遣っていただいたのにも関わらずこの体たらくで誠に申し訳ありません。これからも気をつけたいと思います……!リクエストありがとうございました!
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