30000打リクエスト企画 | ナノ

てるみーもあ!


 調べ事をしたい時に、この希望ヶ峰の図書室は便利である。各所から寄贈されたあらゆる種別の本が収められており、その数は県立図書館の蔵書数に匹敵するほどなのだ。故にわざわざ外へと足を運ばなくとも大抵はここに来ることで事足りてしまうのだった。
 動物関連の書籍も多数保管してあるため、超高校級の飼育委員である田中は気になることがあればここを真っ先に利用していた。その気になることを調べようとやってきた彼は、本棚の中から一冊を取り出すとそれを持ち常設されている椅子に腰掛けた。
 彼以外には図書委員の係の者が1人いるだけの静かな空間。俗世の人間が纏うオーラの少ないこの雰囲気がまたいいらしい。調べ物をし、書き取っていく彼の手は実に滑らかに動いていた。
 ふと廊下の生温い空気が入り込んでくるのを感じ、田中は視線を出入り口の方へ向ける。そこに見たことのある、いや、むしろ見飽きるぐらいに顔を合わせたことのある人物の姿を見つけた。クラスメイトの叶國であった。しかしほとんど話をしたことはない。
 彼とだけではなく、他のクラスメイトも彼女と話をしたことはあまりないだろう。というのも、彼女自身があまり自分から口を開かない性格だからである。だからといって皆に打ち解けていないわけではなく、彼女なりに上手くやっていけているようであった。何かをやるとなれば共に協力し合って馬鹿騒ぎに加わっているのを、田中は何度か目にしたことがあった。
 ふらり、と今にも倒れそうに儚い雰囲気を纏った彼女はゆっくりと入室する。そして正面に見える席に座った田中と目を合わせるや否や、彼の元へ勢いよく歩み寄ってきた。何事かと彼女の行動に目を奪われていると、彼女は怒ったようななんとも不機嫌な顔をして口を開いた。

「……そこ、わたしの席」

「なッ……!? 何を言っている! ここは俺様が先に」

「いつもそこに座ってるの。邪魔」

 田中は何時も来ているわけではないが、そういえば以前にここを利用した時も彼女の姿を見かけた事があった様に記憶していた。特に話す必要もないためその時点で会話などはしたことは無いが。その時常に同じ席、つまり現在田中が座っている所に彼女の姿があったことを思い出した。
 だが、ここは公共の場である。彼女がこの席をいくら気に入っているとはいえ、はいそうですかと素直に従う義務などは無い。

「くっ……この俺様に楯突くとはいい度胸ではないか……! しかし、いくら貴様がここを拠点としていようとも、時すでに遅しッ! 俺様が先に陣を張ったのだ。この事実は不変であるが故に、今更貴様がいくら権利を訴えようとも最早変えられんぞ」

「……どいて」

 田中が正論を述べられようとも尚も食い下がる叶國は、彼を力づくで退かそうとすらりと長い手を伸ばす。
 しかし彼女は今まで田中と深く会話をしたことがなかったため知らなかったのだ。彼が他人に触れられることを避け、頑ななまでに拒絶の意を示す事を。そしてそんな主人を慕う愛くるしい従者たちが、彼女の手のひらを黙って彼に触れさせるはずもない。

「っ!? ……あ」

 叶國の指先を鎌イタチの様な風が吹き抜ける。少し遅れて鋭く小さな痛みが彼女を襲った。目を細めて何が起こったのかと刺激を感じた部分を見てみれば、微かだが人差し指から出血していた。じわり、生温い液体が肌色の皮膚に広がっていく様を黙々と見つめる。
 冷静に状況判断をしようとしている叶國とは裏腹に、田中は大きく取り乱しているらしく目を見開いていた。彼には何が起こったのか、目にも留まらぬ速さで彼女に傷を付けた物体の正体が何なのか、深く考えずともすぐにわかってしまったからである。それもそのはず、彼女を傷つけたのは田中の操るハムスターの一匹なのであった。
 紫色のマフラーに住みついている彼らは、主人に無断で触れようとする者を許さない。まだ遠く離れることをしない叶國に威嚇するかの如く主人の肩の上で甲高く鳴くのは、豪将と称されているマガGである。風かと見紛う程素早く動き彼女の指を瞬時に噛んで退けたのは、彼の仕業であったのだ。
 田中が彼らをその様に躾けたのは自らに触れる者を拒むためだ。故にマガGの行動は取って然るべきものであったが、今回ばかりは少し、複雑な気持ちを抱いてしまう。理不尽に対抗するためとはいえ相手に物理的な傷をつけてしまったのである。
 これは田中にとって良くない事態だった。こちらから先に暴力を行ったとなれば、どう考えても分が悪い。素直に謝れば穏便に解決できたであろう事だが、悲しいことに彼はそういったことが苦手な生き物なのだ。

「……ふっ……ふ……ふははははっ! 貴様が俺様に触れようなどとは笑止ッ! 我が破壊神暗黒四天王の防御陣の前では、如何なる外敵も近づくことは叶わんのだッ! 己の無力さを思い知ったか?」

 叶國は答えない。ただじっと、己の指先を不思議そうに見ているだけだ。田中もまた彼女の動向を黙って見つめる。激昂するだろうか、はたまた弱者を気取って泣きだすだろうか。
 彼女の選択はどちらでもなかった。

「……叶國ッ!?」

 彼女は田中を悔しそうに睨みつけ、傷ついた指を隠す様に手を握り締めると、踵を返して勢いよく図書室から出て行ってしまった。
 後に残ったのはカウンターで一部始終を目撃していた図書委員と、行き場の無い罪悪感を抱え、音を立てて閉じられた出入り口の扉を見つめる田中だけだった。



 穏やかな朝、順々に登校し教室へ入ってくる生徒たち。前の席に座り無駄に絡んでくる左右田を余所に、田中は今日出るという小テストの為に英単語帳を開いていた。
 ところが、何一つ頭に入って来ないのである。左右田が聞いてもいないのにソニアの話ばかり聞かせてくるからだろうか。だがそんなのは日常茶飯事である。遠くでお喋りをしている女子の話し声と大差なく、気にならないものだ。
 では、何が原因か。

「叶國おねぇ、おっはよーっ! 今日も明るい朝から暗そうな顔してるね!」

「……おはよう」

 一番遅く登校してきた叶國が教室の扉を開くなり、西園寺は彼女に飛びついた。衝撃で少しよろめきながら西園寺の頭をじっと見つめる彼女は、ゆっくりとした動作でそこに手を乗せると軽く撫でてやる。どうやらそれが目当てだったらしい西園寺は満足そうにえへへと笑って彼女から離れた。
 田中はそんな彼女の挙動に釘付けになる。昨日の今日で叶國の様子が変わったようには見えないが、今しがた西園寺の頭を撫でていた指に真新しい絆創膏が一つ巻かれていたことを見逃しはしない。

「んだよ田中。テメーもしかして叶國のこと」

「黙っていた方が身の為だ、雑種」

「……へいへい」

 田中が叶國の姿を瞳に映すや否や、そこから視線を外さないことに直ぐさま気づいた左右田だったが、なにやら只ならぬ事態だと悟り放置した方が面白そうだと判断したらしい。それきり彼は黙って田中の様子を見続けることにした。

("治癒魔法"(キュアー)の加護を受けし道具を駆使し平然としているが……あれでは……)

 容易に他人に気づかれてしまうだろう。実際、彼女の指に気を留めていたのは田中だけではなかった。

「ちょっと、或奈ちゃん。それ……怪我したの? 大丈夫?」

 真っ先に気づいたのは小泉だ。指先に1つ絆創膏が貼ってあるくらいで大袈裟だが、彼女は普段怪我や病気をしない者であるため皆にとっては意外だったのだ。自然とそれに反応して輪ができていく。

「おろろ? いつもれーせーで大人しい或奈ちゃんがめっずらしーっすねー。なんかあったんすか?」

「……転んだ」

「あのぉ……それは転んだ時にできる様な傷の場所じゃないと思うんですけどぉ……」

「……転んで、切った……だけ」

 小さな怪我だ。彼女が転んだと言い張るのならこれ以上追究する必要もないとさして気にすることもなく、直ぐに別の話題で彼女達は会話に花を咲かせるのだった。
 気にしているのは彼女達でなく、遠くから今のやり取りを見聞きしていた田中だった。なぜ、あんな嘘を吐いたのだろうか。

「へー、叶國のヤツ怪我したのか。割と運動神経もいいのにメズラシーよな。割と料理とか裁縫とかして怪我……だったりして! 叶國のエプロン姿……悪くねーな!」

「くだらん戯言を……それは有り得ん話だ」

「は?」

「い、いや、今のはあ奴の心の声を読み取っただけに過ぎん」

「まーた変なこと言ってら……。ま、お前とは合わなさそうなタイプだよなー」

 彼女との相性は昨日少し会話しただけでも良くないと感じていた。当人だけではなく誰の目から見ても明らかなことである。意味不明な言語を話す彼と、黙したまま淡々と人の話を聞く叶國。会話が成り立ちそうだと思う方が少数に決まっている。
 できればこれ以上もう関わりたくはないのだが、そうも言っていられない。彼の内に残ったままになっているもやもやとしたもの。それを心地よくかき消す為にはどうしても彼女ともう一度話をする必要があるのだ。けれども彼はこの期に及んでまだ素直に謝るということが最善策だと判断できないでいた。我儘を通そうとした彼女にも非がある、というのがどうにも引っかかってしまっているらしい。
 要するに、とりあえずは彼女に傷をつけたことを何かで挽回すればいいだけの話である。そうすれば自分の中では一先ずの解決になる。
 代わりに思いついたのは、どうにか彼女を喜ばせて昨日のことと差し引きゼロにしようというなんとも自己満足な計画であった。しかしそれでも問題は山積みである。

(叶國或奈……奴の魔力など底が知れている。無防備にも"防御壁"(プロテクト・シールド)は張っていないようだからな。しかし……)

 彼女は他人に対して好き嫌いをする性格ではない。だから近づくのは容易で、田中から話しかけようとも恐らくは無視をしたり嫌な顔をすることはないだろう。怪我についてもさほど気にしている様子は見受けられない。
 一番の問題は何よりも、彼女が何をすれば喜ぶかということだ。そもそも関わりがなかったため彼女のことなど何一つ知らず、何が好きで何が嫌いかなど皆目見当がつかないのだ。
 あれやこれやと難しい顔をしている内に始業の鐘が鳴った。悲しいかな、たった一人の少女を喜ばす術を彼は全く持ち合わせていないのであった。

 指先には肌の色より少し濃い色をした、ベージュの絆創膏が貼ってある。少しだけ、痛かった。けれども重病になるとかそういったことはないだろう。以前他のハムスターに噛まれたこともあったがその時も平気だったため、アレルギーを持っているわけでもないと思われる。ならばなんてことない、ただのかすり傷だ。直ぐに治る。
 本当に痛いのはそこじゃないのだ。昨日なんであんなことを言ってしまったのだろうかと自問自答を繰り返す自分の頭だった。
 放課後になるといつも座って本を読む席。そこに偶々先客がいて、まるで自分の居場所が盗られたかのように感じてしまって、どうしようもなく苛立ってしまって――あんな言葉しか出てこなかった。さぞ彼は腹を立てたことだろう。しばらくはあそこを利用するのもなんだか気が引けてしまう。
 前言撤回、ごめんね、なんて器用に言葉を使える口があればいいのにと、朝のホームルーム内容など碌に聞かず叶國は頭を抱えていた。
 だから、背後から誰かが近寄ってくる足音に気づくのが遅れたのだ。

「叶國」

「っ!?」

 急に名前を呼ばれたことでどきりとして慌てて振り返ると、今まさに彼女を悩ませている張本人が、ばつが悪そうな顔をして立っていたのだった。
 昨日の今日であるからでき得る限り話はしたくない、できれば気持ちの整理がつくまで待っていて欲しかったのに、向こうからこんなにも早くやってくるとは意外であった。どういう反応をしていいのか迷っていると、自然と不機嫌に顔をしかめてしまう。

「……何の用?」

「フン、わざわざ俺様が貴様に声をかけてやったことを喜ぶがいい。なに、大したことではない。少々聞きたいことがあるだけだ」

 田中に聞かれること、とは。やはり昨日のことでなにかあるのだろうか。思い出すだけでいろいろな気持ちが交差し声をあげてしまいそうになるのだから、あまり話題に出して欲しくはなかった。余計に険しい顔を作ってしまう。

「……聞きたいこと?」

「飽くまで、単純に貴様のデータを取る為に過ぎんのだが……教えろ。貴様は何か好んでいるものはあるか?」

 急過ぎた。何か好きなもの、と聞かれてもまず彼と話をする心の準備すらできていなかった彼女にとって、今の質問は更に彼女の混乱を招いたのである。

「とっ」

「と?」

「特に、ない」

「そ、そうか……ならば嫌悪を抱くものはあるか?」

「ごっ」

「ご?」

「ゴキブリ……とか……」

「……そうか」

 何かの収穫を得たのか得ていないのか、田中は彼女とそれだけのやり取りをすると、自分の席へ帰って行った。
 一部始終を見ていた周りの者も、一体何が起こったのだろうかと笑いを堪えたり目を丸くしていたりと様々に2人の会話を聞いていた。彼らが共通して思ったことは、珍しい組合せだという驚きと、会話になっていないという呆れだった。
 叶國はといえば見事に撃沈していた。特にないなんてことはない。好きなものなら例えば彼と同じく動物とか、もっと答え方は様々あるはずだった。嫌いなものがゴキブリだなんてどこの小学生の回答だろうか。むしろ小学生の方がもっとまともに自分の好き嫌いをはっきり言えるかもしれない。ということは自分はそれ以下かと悩ましげに机を睨みつけていた。

「叶國おねぇ!」

「っ!?」

 今日は驚かされてばかりだ。叶國が顔を上げれば楽しそうににこにこと無邪気な笑顔を湛えた西園寺がいた。

「あの中二野郎となんかあったのー?」

「……無い」

「ホントにー? わたしに嘘ついたりしてないよね? だってさー、あいつが自分から叶國おねぇに声かけるなんて妙じゃーん。てかどういう風の吹き回し? なんか弱み握られたとかじゃないよね?」

 叶國はぶんぶんと激しく左右に首を振る。するとこれ以上彼女に聞いても面白いことを聞き出せないと思ったのか、西園寺はふーんと言って今度は田中の方へ聞きに行くのだった。しかしやり取りは今の叶國とのものと一緒で、結局2人の間に何があったのかは聞き出せないという結果に終わった。

 何も収穫が無かった。覇王たる俺様がという自尊心を押し殺し仕方あるまいと意を決して叶國に問いかけた田中であったが、話しかけるなとでも言うかのように彼女に睨まれた上に得たものが何も無かったのである。特に無いというのは逆を言えば何でも好きだということに繋がるのかもしれないが、それにしても範囲が広すぎる。おまけに余計な詮索をしてくる者までついてきてしまい鬱陶しいことこの上なかった。
 というわけで他の人がいない時を狙い再度彼女に話しかけてみることにしたのだが、まず会話を成立させることが難しかった。

「……おい、貴様の趣味はなんだ?」

「……読書」

「そんなことは百も承知だ。ならばどういった分野の書物を選択している?」

「……いっ」

「い?」

「いろいろ……っ!」

 二言三言会話をしただけでまるで避けるかのように、いやもう避けられている以外考えられない様な勢いで逃げてしまうのだ。さすがにここまであからさまにされれば田中も傷つく……かとこっそり様子を窺っていた周りは思っていたが、どうにも彼は諦めが悪い性分らしい。次こそはと彼女に話しかけることを止めないのである。

(わたし……恨まれてるのかなあ……)

 田中を撒いて先に教室へ帰ってきた彼女は机に突っ伏して考える。
 決して悪気があってやっているわけではないのだろうが、あまりにも頻度が多すぎる。先ほどので8回目くらいだ。聞いてくる内容もまちまちで主に叶國のことについてであったが、何も知らない彼女には彼の目的が何なのか本当にわからないのだった。
 これは嫌がらせなのだろうか。昨日のことを根に持たれて、自分に付き纏ってくるのだろうか。たかがあれだけでここまでされる、というのも納得がいかない。けれども彼にとってはひどく腹立たしいことだったのかもしれない。だとしたら、このストーカー染みた行為は謝るまで続くのではないだろうか。
 叶國も馬鹿ではない。そう結論付けた時に取らなければいけない行動は、一つだとわかっていた。

(謝る……か)

 気が重い。できればこういった感情を伝えることはやりたくない、苦手なことだ。どういう顔で言えばいいのかもわからない。けれどもやはり、悪かったという気持ちが頭の中を駆け巡ってしょうがないのである。これをすっきりとさせるには避けて通れない行動なのだった。



 最早一体最初の目的が何だったのか、田中の中でも次第にわからなくなってきていた。とにかく叶國の情報を引き出そうと躍起になるばかりで、自分がなんのためにそんなことをしているのか。
 焦るあまり見失いかけていたが、彼は昼休みになり1人になった時、ようやく冷静な判断をできる思考を取り戻していた。
 昼食の時間にはさすがに動物小屋のある場所に行くという日課があるため、叶國に話しかけるということはしない。1人で黙々と動物たちの世話をしつつ母親の作ってくれた弁当を食べるのだ。

(叶國め……俺様から溢れる忌々しき邪気を察知し逃げるとは。奴の魔道探査能力を甘く見ていたか……くっ!)

 一筋縄でいかない相手となれば彼の中に流れる悪魔の血が騒ぎ出すらしい。彼は左腕を押さえながら苦虫を噛み潰す様な顔をしていた。
 ただ一度だけでいい、彼女が喜ぶ顔――笑った顔が見られればそれで満足なのだ。彼の中の罪悪感は消失する。なのにどうやっても彼女が好むことを想像できない。傷の埋め合わせが、叶わない。
 好きなものも嫌いなものも趣味も、これといって特別抜きん出て言うほどのものが無いのであれば、後は一つ一つ反応を確かめていくしかないのだろうか。途方もない話である。
 生死の境を彷徨いながら弁当を食べ終えた彼は、ご馳走さまと言って弁当箱を布で包む。考え事に夢中になっていたため、今日は少しマシだった。
 ふう、と一息ついて動物たちと戯れようとベンチから腰を浮かした時である。

「……あの」

「何奴ッ!? ……む、叶國ではないか。俺様の背後を取るとはやはり、俗世の者ではないなッ! 差し詰め俺様の存在を脅威と感じた未来からの使者……というところか。フッ、ならば俺様に正体を見破られないよう接近を避けていたことも頷ける」

「それは……」

「ククク……何を言おうと俺様には一切の誤魔化しは利かんぞ。俺様は勇者も闇の王も天を統べる神々でさえ裸足で逃げ出す狂気の魔術師だからなッ!」

 叶國は、聞いてもいないのにべらべらと口を動かす彼に呆気に取られていた。未来からの使者だのなんだのと、昨日よりもわけのわからない単語を聞いて言葉に詰まった。
 けれどもそんなことを聞きにわざわざ彼がいるここへ来たわけではないのは、彼女が一番よくわかっていた。昨日のことを謝りに来たのである。いざとなると何をどうしたら上手く謝れるのか全く分からなくなり、足が竦んでしまう。やはり謝るのはやめにしようかと心が折れそうになるが、ここで何もせずに帰ってはこの先一生こういう場面で悩んでしまうことになりそうだ。覚悟を決めるしかない。

「たっ……たなか、くん!」

「む……!?」

 彼の名前を呼んだのは初めてだった。自分の口からそれが出ること自体が恥ずかしいらしく、彼女は一気に顔を赤くしていく。一旦深呼吸後で、もう一度大きく息を吸い込んで口を開いた。

「あの、昨日は……いきなり邪魔とか言って……ご、ごめんなさい……!」

 どういう顔をしていいか、どういう形なら誠意が伝わるのかはわからないが、わからないなりの彼女の精一杯のごめんなさいだった。深く深く頭を下げる。
 田中は突然の彼女の言葉にただ驚いていた。どちらかと言えば悪いのは怪我をさせてしまったこちらの方だとばかり考えていたのに、まさか彼女の方から謝罪を述べてくることになるとは予想だにしなかったのである。

「きッ……貴様ッ……!?」

 この動揺は隠しようがなかった。先を越されてしまったということと、まさか彼女がという二重の不意打ちが彼の心を乱れに乱れさせた。
 叶國は田中が昨日のことを根に持っているのだと申し訳なく思い謝りに来ただけであったため、何故彼がこんなにも悔しそうにしているのか全く分からない。様子がおかしいと少し怯えた様な瞳で彼を見つめるのみである。

(クッ……! 何ということだ……。奴も俺様と同様に罪を贖わなければならんと感じていた……だと……! しかも正攻法で来るとは……おのれッ……! し、しかし、ならばこちらも正攻法で対応するべきか? わざわざ俺様が策を練るまでも無かった、ということか……?)

 最初からお互い素直に謝っていれば済んだ話であるのに、どうしてか拗れに拗れてこんなことになってしまった。田中は彼女の好みについて聞いたり悩んだりせずに済み、彼女は彼に付き纏われることもなかったのである。
 そしてここで彼が謝れば、全て丸く収まるのだ。

「……フン。貴様が素直に負けを認めた、ということか……」

「あ……うん。だって原因はわたし……」

「だがッ! 俺様にも非はあった。貴様を負傷させたのは他でもない、俺様の従えし魔獣なのだからな……。あ奴の失態は主人である俺様の失態だ。……すまなかった」

 田中は行儀よく頭を下げた。それを見て叶國は慌てていいよと声をかける。事の発端は自分であるのだから、何も彼に謝って貰おうなどという気は更々無かったのだ。むしろ申し訳なくなってしまう。仕込まれたかのように綺麗にお辞儀をするものだから尚更であった。
 紆余曲折はあったものの、かくして両方素直に謝罪したことで昨日の件は無事解決したのだった。しかしお互いの気持ちがすっかり晴れた訳ではない。それぞれに疑問が残っていたのである。

「……あの、わたしを、追い回してたの、なんで……?」

「フッ、貴様への償いをしようとしたのだが、その過程で必要だっただけだ。特に深い意味はない。そんな下らんことよりも、何故雑種共に転んだと嘘を吐いた?」

「……説明するの、面倒だったから」

「なッ……!? そ、それだけかッ!? 他に理由があるのではないのかッ!?」

 もっと深い意味があるのかと勘ぐっていたのだが、彼女は聞き返してもこくりと頭を縦に振って呆けた顔をしていた。本当にそれだけの理由らしい。おかげで田中は女子たちの非難を浴びずに済んだ訳であるが。

「貴様は……もっと博学多才で賢しいという見込みであったのだが……」

「……意外?」

「ああ。どうやら勝手な"幻影"(イマジネーション)を貴様に映していたらしい。だが今回のことで貴様のことが少し理解できた。ククク……今後は俺様の目を欺けると思うな。未来人めがッ!」

 全く違うのだが、彼は彼女を未来人とすることでどこか愉快で楽しそうだったため、彼女は田中が満足したのならばまあいいかと何も言わずにその様子を見るのだった。
 そんな彼のマフラーの中から小さな影が現れる。昨日叶國の指先に齧りついた犯人であるマガGだった。
 なぜ今姿を現したのか、高らかに笑う主人の顔の横で彼は彼女に視線を向ける。何が起こるのかと期待の眼差しを向けていると、彼女と目が合うや否や申し訳ないと表現するかのように可愛らしくお辞儀をしたのだった。
 その愛くるしい姿を見て、動物好きの彼女が喚起しない訳が無い。子供のように瞳を輝かせた。

「田中くんに……もうひとつ、わたしのこと教えるね」

「なにッ!? 自らデータを提供するとは言い心がけではないか。身を滅ぼしかねん行為だが、貴様がどうしても聞いて欲しいと泣きつくのだから仕方あるまい。聞いてやろう」

 叶國は余裕の笑みを浮かべる田中の頬の近くに居るマガGにそっと手を伸ばした。彼は一瞬身を縮こまらせたが、彼女が優しく笑みを零すとその導きに従って軽々と新たな地点へと跳び移った。今度は齧ったりなどしない。ふわふわの体毛を持つ体が彼女の手のひらの中でちょこまかと動いた。

「あのね……動物がすき、です」

 田中に向けて、これが幸せですと表情で語って見せた。

「きッ、貴様……! 笑った……だとッ……!?」

 田中は彼女の表情が変わったことを、信じられないといった目で見つめた。どんなに疑いたくなるほどの事実であっても、紛れもなくそこにあるのは叶國の柔らかな頬笑みで、彼女の目の前に居る田中に向けられたものだったのである。
 これがどんなに珍しいことなのか、クラスメイトの誰一人として彼女のこんな顔を見たことがないという事実も、彼は当然知らない。
 知っているのは自分のことだけだ。もう少し彼女の事を知りたいと思う胸の中で灯った感情を、彼はこの時確かに自覚したのである。



○終わり。


*2014/03/27




@闇華さまへ

≫何度も書き直したのですが、結果的にとっても長くなってなんだか夢主ちゃんの性格が初っ端とんでもないことになってて、そしてお待たせしてすみませんんん…!
無口っ子が意外と難しくてまさかのこの制作期間です…。もう本当に何と言っていいのやら。大変お待たせしましてごめんなさい!
書いてみて『無口』という子の表現がいかに難しいのかを実感しました。
魔力も文章力も1すらないことがバレバレですひいい。もう少し小説とか読んで勉強しますね…はい…!
兎にも角にも、だいぶ時間が経ってしまって本当に申し訳ないです。まだ訪問してくださってましたら、読んでいただけますと嬉しいです〜!


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