10000打企画夢 | ナノ

書いた、波にさらわれた

 丸い、手書きの文字が羅列されている便箋を彼女は不機嫌な顔で睨みつけている。文をなぞる目の動きは左と右の行き来を何度も繰り返していた。そこに並べられている言葉の数々はどれもこの文を送る相手へ向けた好意を謳ったものであり、言葉にすることは憚られるような甘い想いに満ち溢れている。詩のように綺麗なものばかりのそれを読み進めながら、次第に彼女の手は震え始めた。

「こんなんじゃだめだあああっ!」

 七篠はその紙の途中まで目を通していたが、羞恥に顔を赤く染めるとぐしゃぐしゃに握りつぶして床に投げ捨ててしまった。可哀相に、小さくされた便箋は破れることはなかったが、ここまでしなくてもというほどに強く圧縮されていた。それはまるで彼女の心の乱れ度合いを表しているかのようである。
 足元に転がったそれを拾うのは、彼女の感情が荒れている理由を知っている小泉だ。手にした丸い紙くずと化した便箋を見ると、またやっているのかとでも言うかのように溜息を大きく吐いた。

「ちょっと、これで便箋何枚目?」

「ああう、小泉ちゃん。6枚目くらいかなあ……。多い?」

「少しね。けど、まだ納得できる出来にならないんでしょ。なら仕方ないんじゃないかな」

「そっか、そう、だよね」

 気を取り直して彼女はまた、テーブルの上に置いてある予備の便箋を1枚手前に引いた。さて今度はどう書こうかと思考を巡らせる。これで7枚目である。マーケットから持ってきた便箋に限りはないが、何度も失敗を繰り返していてはだんだんと嫌気がさしてくるものだ。最初小泉が見ていた彼女の顔は笑みを湛えていたはずであったが、今では憂鬱に目を細めて辛そうにしていた。
 彼女が想いを認める文に苦労するのも仕方がない、と小泉は頭を抱えて文面を考える七篠を見ながら思う。なんせ送る相手はあの田中なのだ。想いを伝えようとしたところで一筋縄でいかないことは明らかである。あんな変てこな格好をして、意味のわからないことばかり話す男の一体どこがいいのだろうかと疑問に思うが、彼女には彼女にしかわからない田中のいい所があるらしい。否定的な意見を口にすると、そんなことないよと恥じらいながら反論されるのだ。恋する乙女のその言葉に小泉は何も言い返せないのであった。

「真昼ちゃーん……。もうなんて書いたら伝わるのか、わかんないよ」

「素直な気持ちをぶつければいいのよ。難しい言葉使うとあいつのことだから変な解釈するだろうし」

 そんなアドバイスをもらったところで彼女の書く手が進むはずもなく、止まった手と宙を見つめる瞳が思考停止を示していた。こういうものに悩みは付き物なのだろうが、彼女は些か重症らしい。このまま便箋と戦い続けても埒が明かないだろう。

「ちょっと外の空気吸ってくるなんてどう? 気分転換も大事じゃない?」

「外……うん。ちょっと行ってこようかな。ありがと、真昼ちゃん」

 勧められるがまま彼女は書きかけの便箋を残してレストランを出て行ってしまった。誰かに見られたら不味いだろうに、そこまで気を回しているような余裕がないくらい七篠の頭は田中の事でいっぱいなのだろう。このままにしておくわけにもいかない、片づけようと小泉はそれを手に取った。
 決して盗み見るつもりはなかったのだが、どうしても目についてしまうそこに書かれている文字は、最初の1行で止まっていた。なんだ書けているじゃないかと、思わず笑みを溢す。そして裏返しにし、便箋の束の一番上にそっと重ねるのだった。
 それを書いた本人の七篠は散歩気分でふらふらと道を歩いていた。とりあえず島を一周回って帰ろうかと適当に視線を巡らせていると、牧場の所でやけに目立つ紫色のマフラーがなびいて中に入って行くのが見えた。想いを寄せるその人に違いないと思った彼女は後を追いかけようとしたが、その後に入っていく人物を見て足を止めた。

(ソニアちゃんだ……)

 誰がいつどこでお出かけチケットを使うのかなんて、七篠に分かるはずもない。だからそう、田中が誰とお出かけしようと彼女の知った事ではないし、その事によって誰かが何かを思うかもしれないだなんて事も、田中の知った事ではないのだ。
 けれども彼女の目に映る光景は息が止まりそうになるほどに辛いものだった。田中とソニアが2人きりで牧場へと入っていった。その事実は七篠には受け入れがたい現実だった。
 自分が悶々としているうちに想いを寄せるその人と誰かがいい仲になっているなんて、あり得ない可能性ではない。ここにいる全ての人がその感情を持ち得る人間なのだ。だからこんなことがあっても仕方がないと割り切るより他に方法はなく、もちろん七篠自身もそれぐらいわかっているつもりだった。なのに、湧き上がる哀しみが彼女の思考を埋め尽くす。
 2人の様子が柵の間から見てとれる。田中は背を向けていてどんな顔をしているかわからなかったが、ソニアの楽しそうな横顔が七篠の胸を絞め付けた。嫉妬と焦りが彼女の中に生まれる。かといって今ここで2人の間に割って入るような、思いきったことができるほど七篠に行動力はない。切なげな表情を浮かべたまま、牧場の前を通り過ぎレストランへと帰るしかないのだった。

 落ち込んで曇った顔をした七篠を迎えてくれたのは、小泉のお帰りなさいだった。テーブルの上には七篠が投げ出していったはずの文房具類が整頓されて置かれており、その他に小泉の前にはたくさんの写真が並べられていた。自分の今まで撮って溜めておいた物を整理していたらしい。幾つかの写真は重なり合っていて、なにかの規則に沿って順番に並んでいた。

「なんだか、余計に浮かない顔して帰ってきたわね……」

「う、ううう……。見たくないものを見てしまったのです……」

 泣きそうな声でそう呟く七篠を見て、小泉は小首を傾げた。しかしすぐに何かに思い当たったのだろう。全てわかったというような顔で口を開いた。

「もしかしてソニアちゃんと田中が一緒にいるとこ見ちゃった、とか?」

 七篠は答える気力もないのか黙ってこくりと縦に頷いた。俯き落ち込んだまま、彼女は小泉の向かいの席に座る。もう諦めてしまったのか、そんな気分ではなくなってしまったのか、文房具を取ってまた便箋に言葉を綴ることはなく小泉が写真を選別するさまをじっと見つめた。

「あの2人はねえ……。うん、アンタが心配するようなことは無いと思うけど」

 ただ仲が良い、というよりも田中の後をソニアが追っかけているだけの関係であり、おそらく友達以上の何かではないだろう、と小泉は思っている。むしろそんな関係になっていれば、左右田がもっと騒ぎ立てているはずだ。だがそんなことはなく平常運転で今日も朝からソニアの尻を追っかけまわしていたため、あの2人の仲が進んだなんてことはないだろう。
 写真を見ながらそんな説明をしていたが、七篠がその言葉をただの慰めとして受け止めたのか真実として素直に受け入れられたのかはわからない。けれども泣きそうな顔でありがとう、と微笑んだその弱弱しい顔は見ている方が辛いものであった。
 そんな彼女は違う事を考えようと小泉の並べた写真をじっくりと見ることにした。どれも笑顔ばかりの、綺麗な場面が収められた心が温まる写真ばかりである。先日、澪田と西園寺がはしゃぎすぎてプールに落ちた時の写真や、七篠と七海がロビーでゲームをしていた時の写真まで様々だ。

「あれ、これ……」

 その中でふと目に留まったのは、七篠が一人映っている写真だった。何をしていたかは覚えていないが、その表情は笑顔だった。

「それね、ふふ。アンタと日向がおしゃべりしてた時の写真よ。でもね、よく見て。もう一人写ってるでしょ」

「え? 誰が……」

 小泉に言われるがままそのもう一人を探すと、たまたまそこを通りかかったらしい田中が、遠くの道から七篠の方を見ているのであった。流石、超高校級の写真家といったところだろう。こんな遠くから撮られたものであっても、彼がその時どんな表情をしていたのかはっきりと見ることができる。

「田中くん……怒ってる?」

「そ。どういうことかわかるわよね。つまり」

 その時レストラン内に2人のものとは違う足音が響いた。音の発生したそこへ目を向けると、七篠の悩みの種である田中が立っていた。

「どっ、どどどうしたの田中くん!?」

 今の今まで彼の事ばかり考えていたところに、突然その本人が現れたのだ。動揺しないわけがなく、とっさに七篠は持っていた写真を隠すように裏返して伏せた。

「フッ……俺様を呼ぶ声が聞こえたものでな」

「どんな地獄耳してんのよ……」

「七篠ごときのか細き声量であっても、召喚の術式を唱えられれば姿を現わさねばならん。それが因果律の定めというものよ。して、七篠。俺様が憤怒に身を震わせたと言っていたが、どういうことだ?」

「この写真がそう見えただけなの。ほら、見えづらいかもしれないけど、ここに小さく田中くんが写ってるでしょ?」

「む……」

 彼女が指し示す写真を見るためにはどうしても距離を詰めなければならない。屈託のない笑顔で説明しようとする彼女に近づくと、田中の顔は赤くなってしまうのだった。その様子を見て小泉は早くくっついてしまえ、とやきもきした感情を迸らせていたが、そう簡単にいかないのがこの2人なのである。

「ほらここ。なんだか怒っているように見えるんだけど、気のせいかな?」

 目を凝らしてそこを見てみるとその時何があったのか思い出したのだろう、はっと何かに気付いた田中は七篠の手からそれを奪い取った。

「こッ、これはッ……! 貴様が眼にしていいものではないッ!」

「あっ、えっ、ちょっと、返してええ!」

「それアタシのなんだけど! こら、返しなさい!」

 そうして1枚の写真を取り合っているのだが、どうにも田中の身長が高いため2人は取り返す事ができない。仕方がない、ここは協力し合おうという合図を七篠が目で小泉に送った。肯定の意を示して小さく頷く小泉が、田中の正面より頭上に掲げられた写真を取ろうと必死に手を伸ばす。そうして田中が小泉に気を取られている間に、七篠が彼の背後より椅子を踏み台にして写真を取り返そうと試みる。
 だが、甘い。写真を掴むことができた七篠であったが、それと同時に田中が背後の気配に気づいて振り向いたのである。彼は彼女の行為を防ごうと空いている手を伸ばした。

「ふふん、そんなの当たらな……ひゃっ!?」

「なッ!? くッ……!」

 田中の手を避けようとしたことで七篠はバランスを崩し、椅子の上から前方に倒れ込んでしまった。当然その先には田中がいる。彼の動体視力を以ってすれば避けることも可能であったが、敢えてその体で彼女の体を受け止めた。柔らかな肢体がその屈強な体にぶつかる。女の子一人の重みなどで彼は倒れることは無いらしい、少しよろめいたが彼の四肢は彼女の体をしっかりと抱え込んでいた。

「いったあ……って、田中くん、ご、ごめん! 大丈夫!?」

「覇王の体を緩衝として扱うとは……。だが、貴様の体すら受け止められぬ田中眼蛇夢ではないッ! ……怪我は、ないか?」

「うん、ありがとう……」

 顔を赤らめる2人の足元に紙きれの様なものが滑り込んできた。視線をどこにやっていいのかわからずに困惑して俯いていた七篠は、すぐさまそれに気づいて慌てて田中の服を掴んでいた手を離す。そして紙きれの正体が田中にまだ見せてはいけない、書きかけの恋文である事を視認するとしゃがみこんで回収した。
 おそらく先ほどのやり取りでいつの間にかテーブルに衝撃を与えてしまっていたのだろう。そして気付かぬうちに滑り落ちていた便箋がここに着いてしまったのだ。

「なんだ、それは?」

「なんでもないのっ! まだ、完成してないから……」

 必死になって文字の書かれている箇所は隠したのだが、この紙が便箋だと彼は気付いてしまった。何が書かれているかはわからないが、この島でわざわざ便箋を使って書くものと言えば限られている。彼女に密かに想いを寄せていることもあり、すぐに一つの答えを導き出してしまった。そうなれば自ずと出てくる疑問がある。

「何者に宛てたものだ?」

「……ないしょ」

 七篠は、まさか本人を目の前にして貴方ですなどとはっきり言えるはずもなく、奪い返した写真と便箋を胸に抱えそっぽを向いてしまった。

「そう、か……」

 どこか落ち込んだような暗い顔をして彼はその場を去って行った。彼のそんな横顔を見て何か悲しい勘違いをし始めたと悟り、小泉は溜息を吐いた。世話の焼ける、不器用な2人である。

「それ、渡しちゃえばよかったのに」

「だっ、だめだよー! 全然書けてないし、この後の言葉だって思いつかなくて悩み中だし」

「あいつにはそれで十分よ。だって菜々子ちゃんの素直な気持ちが書いてあるんでしょ?」

「だけど……」

 いまいち煮え切らない様子の七篠を見て、遠まわしに言うのは効果がないと思った。大人しい彼女にははっきり言わなければ、今がどれだけ良い、告白のチャンスであるのかわからないのである。

「けどもへったくれもない! さあ、今なら間に合うから行った行った! 早く行かないと、誰かに奪われちゃうわよ?」

「それは嫌!」

 小泉の『誰かに奪われる』という言葉に敏感に反応した彼女は、意を決したのか便箋を持って田中の後を追い、レストランを出て行ってしまう。そんな、真っ赤に染まった顔を湛えて走っていく彼女の背を、小泉は母親が子供の成長を見守るような視線で見つめていた。
 どんなに綺麗な言葉や脳内から必死に捻り出した文章を書いても、伝える前にその相手を誰かに拐われてしまっては元も子も無い。だからこそ絶好の機会である今、小泉は七篠の背を押したのである。
 結果が見え見えの、真っ直ぐな想いの辿り着く先を想像して、小泉はカメラを手に取りこっそりとバルコニーへ足を運んだ。そこに最高のシャッターチャンスが待っているだろうという期待を胸に宿しながら。



●End.

@2013/10/10

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