10000打企画夢 | ナノ

06

 彼の反応は昨日とまるで一緒であった。勇気を出して話しかけたのだがそのことに対して全くの無反応だったのである。ある程度予想はしていたものの、現実にそれを受けることになれば想像よりも遥かに辛く虚しく感じてしまうのであった。
 折れそうになる心を奮い立たせ、今にも崩れてしまいそうな足を動かす。彼の後を追って、ひとつひとつ、ゆっくりと階段を降りていく。そんな彼女の前方で、彼はどこからともなく取りだした木の棒を手にすると砂浜に術式のようなものを書き始めた。それが彼の日課であるのだろう。こなれたように目にもとまらぬ速さで数式にも似た解読不能な文字を羅列していく。そのうち彼は懐から小さな手帳を取り出し、それを見ながら魔法陣を描いたり幾つもの紋様を並べて描いたり、小さな声で呪文らしきものを唱えたりと様々な行動をとるのだった。
 目の前で行われる儀式めいた光景をぼんやりと、彼女は見つめていた。これに一体どんな意味があるのか、それは彼にしかわからないことである。だが彼女はそのいくつかを昔、よく目の前で見ていたのだ。見たことのない術式を彼が書いていればその都度一体どういう意味なのかを問い、自分も真似していたものである。
 彼の背後できらきらと光る海が、眩しい。瞬きすら忘れて見ていた彼から一旦目を離し、幾度か瞬きしてからもう一度彼を見なおした。無心で作業に集中する彼の後ろで、隣で、目の前で、はしゃいでいる幼い少女が瞬きをする度に見えたような気がした。しかし4度目に目を開いた時には、もうそれが彼女の瞳に映り込むことはなかった。
 彼女は彼から目を離し、スクールバッグから魔法の書を取り出し手に持つと砂浜全体を見渡した。それを片手に何かを探すかのようにゆっくりと歩みを進め、顔を左右に動かしている。どうやらすぐに目的の物は見つかったらしい。足を止めた場所で彼女が地に手を伸ばし掴んだのは、細長い木の棒であった。それをもう片方の手に持ったまま彼の近くへと駆けていく。

「田中くん!」

 名前を呼ぶ彼女に彼は見向きもしない。動きに狂いが生じることもない。しかしだからといって思いついた行動を止めるつもりは更々なかった。彼女は虚しさに耐えるよう歯を食い縛り、砂浜と木の棒を睨みつけた。
 悔しさに負けてしまいそうになる気持ちを整えるかのように、大きく深呼吸する。そして思い立ったことを実行するべく、魔法の書のとあるページを開きそこを指でしっかりと留めると、木の棒で彼と同じように何かを砂浜に描き始めた。
 仲直りの魔法を実行しようというのである。その魔法陣は手本を見ながらでも今の彼女に描くことは難しく、けれども言葉よりも何よりも彼女の意思を的確に彼に伝えられる唯一の手段であった。
 がりがりと砂浜を抉っていく木の棒の先。想いの分だけそれは深く強く線を描いていく。少し前の彼女なら、馬鹿らしいと一蹴していた行為であろう。だが今はそんな感情はどこにも存在していなかった。懐古する腕の感覚に導かれるまま描きあげたそれは、片手に持つ幼い魔術師たちの描いたものと同じ形をしていた。
 描き上げたそれが仲直りのための魔法陣と違わないことを確認すると、彼女はもう一度彼に呼びかけるべく、からからに乾いた喉にひとつ、唾を飲み込ませて大きく息を吸った。

「ねえ、田中くん! 聞こえてるよね? 聞こえてないわけないよね? わたし、あなたに伝えたいことがあるの! ううん、言わなくちゃいけないことが、あるの」

 背を向けたまま無反応を貫く彼に、彼女の声は本当に届いているのだろうか。海岸に響く情けない自分の声にさざ波が嗤っているように錯覚しそうになる。

「わたし、あの頃、田中くんと居ることを恥じました。あの時も今も、本当にわたしは自分勝手で、自分本位の考えしか持ってなくて。うん……馬鹿でどうしようもないよね。でもね、わたし、ずっと謝りたいって思ってた。そんなことを思ってしまった自分を許してくれなんて言いません。でも、田中くんを傷つけたことは事実なのだから。そして今それを過ちだと自覚して後悔していることも事実だから。だから……謝らせて欲しい、です」

 そして、もし許されるならば。足元に一瞬視線を落として描かれた魔法陣がそこにあることを確認する。
 だが彼は聞いているだろうに、彼女に顔を向けることすらしないのだ。それどころか足元にまた新たな魔法陣を描いている。彼女の振り絞るような言霊は、彼の魔術の研究という日課の些細な雑音にしかとられていないというのだろうか。
 もう彼の中に自分など存在しておらず、無関係な赤の他人、下等な雑種と同等で、話しをすることすら思い出す事すらどうでもいいものなのかもしれない。それでも、彼女は良かった。ここまで徹底的に彼が彼の意志を貫くというのであれば、一生この十字架を背負って生きろというのだろう。
 しかしそれならば彼女も、徹底的に自らの意志を貫いて応えるべきである。謝罪をはっきりと言葉にして彼の元を去ろうと彼女は覚悟した。

「ごめんなさい! 謝って済むことじゃない、だろう、けれど……!」

 どんなに想いを込めても、どんなに叫んでも彼には届かないのだろうか。もう、やり直しはきかないのだろうか。覚悟を決めてきたはずであったのに、彼女の心は折れそうになる。やはりこんな結果は、嫌だった。
 じわりと彼女の視界が熱い水の膜で滲んでいく。魔法の書も棒切れも、緩やかに力を失う彼女の手から滑り落ちていく。

「ごめ、ん、な……さっ……ごめ、んなさぁぁあい……! がん、だむちゃ……ぅぁああん……!」

 ぼろぼろに崩れ落ちた彼女の心は遂に、許して欲しいという、そしてまた前のように仲良く話がしたいという願望を剥き出しにしてしまった。どこまでも醜く、脆弱で愚かだと彼女は彼女自身を呪った。感情に振りまわされてはいつだって意志を貫ききれない、どうしようもなく人間である自分が憎くて憎くてしょうがない。それでもこうして強い振りをして、敬愛する彼と同等であろうと偽ろうとする自分が大嫌いで。そしてそんな自分を優しく支えてくれていた彼が、田中眼蛇夢が、これ以上ないほどに大好きだった。
 溢れる涙が零れ落ちないように、醜い自分を隠すかのように彼女は自らの両手で顔を覆う。抑えきれなかった涙がぽたりぽたりと重力のままに落ちては、砂浜の色を濃くしていく。

「ようやく俺様の魔法が効いたか。菜々子」

 足音など聞こえなかった。だから一瞬何が起きたのか理解できず、不意に目の前から耳に入り込んできた突然の低く懐かしい声に、彼女は思考停止せざるを得なかった。

「随分と俺様の魔力を感知するまでに時間を要したな。だが、確か貴様は下級魔術師だったか。フッ……知識も素質も乏しい身でありながら感知できただけマシだと思ってやることとしよう」

「……え? 眼蛇夢、ちゃ……ん?」

 懐かしきその呼称を呟きながら顔をあげると、目の前には満足気ににやりと笑う田中が立っているではないか。しっかりと視線が合う。しかしそこに先ほどまでの冷徹さを感じることはなく、いつか見た穏やかな優しさを感じたのだった。

「あらゆる幻覚に惑わされ己の身すら守れん者が、俺様の下僕など通常ならありえんのだがな。しかし……俺様がついていなければまた″侵食する幻惑″(サイコ・コントロール)の餌食になるやもしれん。貴様がまた下僕として術を学びたいと願うのであれば、それを無効化する俺様の結界内に存在する事を許してやろう」

 彼の言葉と表情には彼女に対する怒りや憎しみ、黒い感情が何一つ含まれていなかった。昔のことを、あの時のことを彼は一切気にした風もなく彼女に微笑み、もう一度共に居ることを許してくれるというのである。
 あまりにもことが上手く進み過ぎている気がしてならないらしい。あっさりと彼の口から『許す』という言葉が漏れたという現状に戸惑う彼女は、ただ彼の顔を見つめて口を半開きにすることしかできないでいた。なんと答えればいいのか、まるで頭が働いてくれなかったのである。

「俺様の魔力に圧倒されて答えられんのか? いま一度問おう。再び、共に歩むか?」

 先ほどの言葉は聞き間違いではなかったのだ。彼の口から確かに放たれた彼女の謝罪を受け入れてくれる言葉が再び彼女の耳に届くことで、ようやく止まってしまった思考回路が動き出す。答えなど、最初からこの結果を望んでいた彼女には聞くまでもない。

「うん……! ありがとう……よろしくね、眼蛇夢ちゃん」

「フッ、貴様ならばそう答えると思っていたぞ。そうでなくてはつまらんからなッ! フハハハハハハッ! さぁ、俺様の技を伝授してやるとするかッ!」

 嘘も偽りもなく、作ったものではない心からの笑顔で、彼女は綺麗に笑った。
 その返事を聞いて彼も高らかに笑う。そして彼女の足元にある魔法陣に目をやった。おそらく自分が作った魔法陣を一から十まで覚えているのだろう。彼女がそれを今、描いていたということに対して何か思う事があるらしい。目を細めて鼻で笑うのだった。

「くだらん、実にくだらんものを描いたな」

「でも、これのおかげで眼蛇夢ちゃんと仲直りできた……んだと思ってる」

「自惚れるなッ! 貴様の魔力など数値にしてみれば1しかないのだぞ? 魔法など操れるわけがなかろう。そもそも貴様と″世界聖戦″(ハルマゲドン)をした覚えなどない」

 確かに言われてみればはっきりと喧嘩したわけでもなく、なんとなくで離れてしまったわけであり、それに対して仲直りというのは些か語弊があるのかもしれない。少しずれた考えで描いた彼女の魔法陣が、彼に何らかの作用を引き起こしたということは無いだろう。

「貴様がこうして再び姿を現し正気に戻ることができたのは、全て俺様の魔術によるものだ」

 自慢気に怪しく笑う彼にどういうことなのかという視線を送ると、彼もまた言葉にはせず視線で答えた。彼が見ろ、とでも言うかのように目を向ける砂浜のそこには彼女の描いたものと似たような魔法陣があった。しかしどこか違うそれは、あの魔法の書の中で見かけたような気がしてならない形をしていた。
 しかし簡単に思い出す事の出来ない彼女は、先ほど砂の上に落としてしまった魔法の書を足元から拾い上げる。砂を軽く払ってぺらぺらとページを捲っていくと、きちんと見ていなかった最後のページにそれと同じものを見つけた。そこには稚拙で読みにくい字と、歪んで決して綺麗とは言えない魔法陣が描いてある。

「友だちをよび出す、まほう……」

 下方に『お友だちとはなればなれになったら、これでよび出します。あいたい時に、いつでもあえるね。』と魔法の詳しい概要が書かれていた。
 そこで全てを理解した彼女は、なんと自分は大きな勘違いをしていたのだろうかと気付く。一度は治まった感情の波がまた一気に溢れ出して彼女を襲った。耐えることなどかなわずぼろぼろと大粒の涙が両の目から雫となり落ちて、魔法の書を濡らした。
 彼は端から彼女を拒絶などしていなかった。そうだと思い込んでいたのは彼女だけであり、彼はここでおそらく待ってくれていたのだろう。この魔法陣を描きながら、彼女が再び以前のように無邪気に話しかけてくることを。
 あの時、彼女の言葉に対して怒ってもいなければ憐れんでもいなかったのだ。今の今までずっと、彼はただ待っていただけなのである。
 憎しみも恨みもない。彼の胸に存在していたのは、純粋な優しさと己を貫く信念だけだったのだ。




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@2013/10/30

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