10000打企画夢 | ナノ

01

 下校時間が遅くなり、さて帰路につくかと玄関から一歩踏み出した彼女はふと何の気なしに空を見上げた。そこには茜色に透き通るような青を重ねた、綺麗な色彩画が一面に広がっていたのである。なんて素敵な光景だろうと、彼女は心を打たれた。
 色彩の魔術に突き動かされるように、彼女は下校の道を変えてみようと今日はいつも通らない方の、海岸沿いを歩いてみることにしたのだった。夕日に照らされ黒と白で構成されている海はきらきらと光り、彼女の瞳に幾つもの輝きを散りばめた。手前には薄い、黄土色の砂浜が広がっており、砂に混じった透明な石たちがその存在を示すかのように小さく輝きを放っている。
 そんな絵画のような綺麗な光景の中に、ひとつ、動く黒い影があった。砂浜に棒状の何かで不思議な紋様を描く人らしきシルエットは、どこかで見たことのあるような輪郭をしていた。奇妙なその存在に彼女は目を凝らす。
 そしてそれが誰か、ということに気付いてしまった。途端、彼女の脳裏に蘇ってくるのは海馬の奥底に閉じ込めて二度と日の目を浴びることができないようにしたはずの、黒い記憶だった。
 どくん、と彼女の心臓は強く脈打つ。ここにいては、いけない。あの人に気づかれては、いけない。
 手に提げたスクールバッグを力強く、千切れるのではないかというほどに両の手で握り締める。音を立てないように後ずさりをして、遠くに見える影に気づかれないようにそっとそこから離れる。もういいだろうかと、こちらからも影を見ることができなくなった瞬間、彼女はそれに背を向けて全速力で走りだした。
 
(なんで、なんで、今更)

 記憶の引き出しからもう一度顔を出した嫌なものは、どんなに思い出す引き金となった影から離れても彼女の脳内から出て行ってくれることはない。頭だけではなく目、鼻、口、喉を通って次々と体中を蝕んでいった。無我夢中で走っている間にもその進行は止まることなく、遂に足まで到達し彼女の足を縺れさせた。
 びたん、という思いの外軽い音と共に、コンクリートが彼女の体と手のひらを受け止める。幸いにも灰色の地面に顔を叩きつけることは無かったが、それでも痛いものは痛い。衝撃を受けた箇所がじんじんと痺れるような感覚におそわれる。だが一番痛いところはそんな、目に見えるような場所ではなかった。
 急いで立ち上がり、制服に付いた砂や土を手で叩いて落とす。そうして下を向いている内に、彼女の目には涙が滲み出してくるのだった。
 こんな大衆が行き交う歩道の真中で泣いていてはいけない。目から溢れ出てきた雫を適当に腕で拭うと、また走り出すのだった。

 いつもより何倍も長く感じた帰り道を走り切りやっとの思いで家に辿り着く。親に平静を装い、ただいまを言ってから自室に閉じ籠った。ひどく荒い、自分の呼吸する音だけがそこにある。電気は点けていないが、夕日が照りつけて眩しい。それは先程の見てはいけない光景を彷彿とさせてとても不快であった。苛ついた足取りと手つきで彼女は部屋のカーテンを閉める。遮光用のものではないため微かに光が透けるが、それでも無いよりはマシであった。
 薄暗い部屋の中、彼女は力尽きたかのようにベッドに倒れ込んだ。仰向けになって深呼吸をして自らを落ち着かせようとするが、そんなことをしても無意味だ。込み上げる黒く澱んだ意識が彼女の心臓をぎりぎりと締め付ける。いっそ、このまま息の根が止まってくれないだろうかとそっと目を閉じた。
 瞼の裏には真っ暗闇が広がっているはずなのに、何故だろうか。あの絵画的に美しい風景と、そこにひとつ動く影があるあの景色がそこにはあった。目を閉じても、開けても、今日見たあの光景は瞳に焼き付いて彼女を悩ませる。
 正確にはその光景事態は、なんてことないただのひとつの景色に過ぎない。だがそこにいた人物は、確実に彼女の汚く醜い、忘れられない過去を思い起こさせる人だったのだ。



 夢の中だ、と直ぐにわたしは気付きました。ふわふわと実感のない足元に、白くぼやけた視界。それでも夢の中という事はわかり、体は自由に動かせるようでした。正面には見覚えのある廊下が見えます。以前通っていた小学校のものと、とても似ているように思えました。
 周りはどうなっているのだろうかと首を動かすと、不思議なことにいつもわたしが見ている景色とは違うような、不思議な感覚におそわれました。
 その違和感の正体は高さでした。高校生であるわたしの身長からは考えられないほどに視界の位置が低いのです。そう、まるで小学生と同じくらいのような……。

『七篠、呆けた顔をしているが……どうした?』

 後ろから声がかかったのでわたしは振り返りました。誰だろうと思ってその人の顔を確認するべく一生懸命頭を上に動かそうとするのですが、おかしいのです。どうやっても体が言う事を聞いてくれず、その人物の顔を目でしかと見ることができないのです。
 自分の夢の中であるはずなのに、思い通りにならない。もどかしさに苛々とする私の感情を無視して、口が勝手に動きます。

『なんでもないよ、――ちゃん』

 誰の名を紡いだのか、よくわかりませんでした。ただそれを口にするのはとても懐かしいなと感じたことは確かです。誰の名前を言ったのかわからないのに懐かしいと感じるだなんて、荒唐無稽な話です。
 その子はわたしの手を握りました。自分の手よりも少し大きく、ごつごつとしたその手は男の子のものです。
 彼に手を引かれるのが嬉しくて、胸をどきどきさせながら一緒に歩きだします。

『ねえ、きょうはどこへ行くの?』

『俺様のひみつきちだ。とくべつに貴様も中に入れてやる。こうえいに思えッ!』

『わあ、ありがとう! 楽しみっ』

 わたしが満面の笑みでお礼を言うと、彼は照れくさそうに顔を赤らめました。顔は見えないはずなのに、どうしてかその事だけは確かにわかるのです。

『……どういたしまして』

 小さな声で呟く彼は、恥ずかしさを紛らわすためにわたしの手を強く握りました。少し痛かったのだけれど、照れ隠しだとわかったので気にしないことにしました。彼が内緒の秘密基地に特別に案内してくれるというだけで、わたしの胸の中は嬉しさで満たされていましたから。そんな些細なことなど気にならなかったのです。




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@2013/10/21

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