夢小説長いの | ナノ



未来機関の彼女のおしごと


 常夏と言われるだけあって、この島──ジャバウォック島は常に熱気に満ちていた。唯一の救いは湿気が少ないことぐらいだろうが、以前、ななしのは蒸せ返るような暑さに倒れたことがある。島に最初に来たときであった。
 何の前準備もせず、未来機関の制服である長袖のスーツと長袖のシャツを着込み、更に下はパンツスタイルだったため、歩き始めて30分で意識を失った。誰がどう見ても自業自得で、いまだにななしのの胸に黒歴史として深く刻まれている忘れ難い失態である。
 すっかり慣れてからは温度に合わせて好きな格好をするようになったが、今日はどうしてもスーツを着なければならない日だった。
 さすがに上着を着ると暑いため、半袖のワイシャツにタイトスカートという少し砕けた格好だが、この格好をすると気が引き締まり、自分がここに居る理由を否が応でも思い知らされる。
 仕事だ。それ以上でも以下でもないのである。



 ななしのななこは未来機関第七支部に所属する人間だ。支部長である月光ヶ原の指揮の元、絶望を治癒する方法について精神面から調査をする部署に彼女は勤めていた。そうは言っても大それた仕事を任されることはなく、書類整理をひたすらにこなすだけの毎日を送っていた。三年間無遅刻無欠勤、勤務態度も極めて良好だと、その仕事ぶりは一度月光ヶ原直々に褒められたことがあるくらいに真面目で優秀なものであった。
 しかし、一向に進まないのは絶望を治癒する方法の研究である。こういう実験をしました、失敗に終わりました。そんな書類を幾つも見てきたななしのは、何か他に出来ることはないのだろうかと内心何か大きな行動をしたくてたまらずにいた。かといって、特に何かに秀でているわけではない彼女ができることと言えば、お得意の書類をまとめる作業ぐらいである。
 この未来機関で新たに身につけたことは、せいぜい絶望しない為の対策と、絶望した者を元の状態に戻すための簡単な心療的治療の知識ぐらいだ。深く踏み込んだ治療は月光ヶ原が直接行うため、下っ端のななしのには遠い世界であった。
 それでも機関を辞める気は毛頭無く、現在の仕事を嫌うでもなく、世界を救うための役に立つのであればと彼女は自分の職務を懸命に全うし続けた。
 そんな呼吸をしない紙きればかりを相手にしながら、憂鬱な日々を過ごしていたある日、彼女にとんでもない誘いが舞い込んできた。

『初めまして、ななしのななこさん。第十四支部から来た苗木誠です。月光ヶ原さんからキミの話は良く聞いてて、えっと……突然のお願いで申し訳無いんだけど、ジャバウォック島で監視員をしてもらえないでしょうか?』

 就業時間の後に少しだけ話がある、と月光ヶ原に言われた為、ななしのは大人しく仕事場で待機していた。しかし時間になって開かれた扉の向こう側に居たのは、月光ヶ原ではなかった。
 そこに姿を現したのは、部内でも、各支部でも知らない人はいない、絶望の残党を匿った張本人である苗木誠という人物であった。
 彼のことはよく様々な人から聞いていた為、事実と合っているのかどうかはさておきいろいろと知っていた。
 人類史上最大最悪の事件全ての元凶である江ノ島が行ったコロシアイゲームの生還者であり、絶望の残党を保護して島に隔離し、秘密裏にプログラムを使用して更正を強制的に行おうとして失敗した、あらゆる方面から様々な意味で要注意人物とされている者だ。
 失敗した、と書面上で見た覚えがあるのだが、絶望の残党をその後どのように処理したかという書類は見たことが無かった。一体どうなっているのか、島にまだ彼らがいるのか。部内で根も葉もない噂が飛び交ったが、結局まだ島にいるが、隔離しているため危害は無いという話以上の確たる情報は掴めずにいた。
 しかしどう考えても彼らを生かしておくのは危険である。それ自体に疑問を抱き、責任を取らせようと機関の中には未だに苗木の追放を望む者も少なく無かった。
 ななしのとしては、それだけのことをしておきながら未だに支部に配属されているという事は何かがあるのだろうと、その”何か”に興味があるだけで、苗木を特にどうこう思うことも言うこともなかった。
 彼の顔は写真でしか見たことはなく、実際に会うのは初めてであったが、あまりに穏やかな物腰につい笑みを零して応対する。

『初めまして。突然過ぎてすぐにお返事はできませんが……まず、どういった内容のお話なのか教えてもらえませんか?』

 初めましての握手を交わしながら苗木に詳しい話を尋ねると、どうやら複雑な事情がありそうである。長い話になるかもしれないと勘付いたななしのは彼に椅子に座ることを勧めた。遠慮がちに促されるまま座る彼の様子は大人しい従順な子犬にも似た雰囲気があり、どう見ても一人で大きなことを為すような人物には見えない。もう少し厳格な人物を想像していたななしのは拍子抜けしてしまうのだった。
 お茶でも入れますねと気を利かせて、彼女は一度席を立つ。もしかしたらこれは人生の転機になるのかもしれないと、彼の提案に沸き立つ心を抑えながら。

 彼からの依頼は、ななしのに監視員として絶望の残党たちと島に一緒にしばらく住んでもらい、彼らの様子を定期的に報告して欲しいとのことだった。三ヶ月毎に個人の面接を行い、様子が変わった者や急に不可思議なことを口走る様になった者、行動に不審な点が目立つ者がいないかどうか報告する。それが彼女に求められた主な仕事内容だ。
 この仕事の目的は、上層部を納得させる事なのだと彼は言った。今は苗木とその信頼のおける仲間たちが島と島に住む者を管理しているが、本当は秘密裏に絶望の残党たちと徒党を組み、未来機関へクーデターでも起こそうとしているのではないかと疑惑を持たれてしまったらしい。ならばどうしたら良いのかと言えば、苗木と全く接点が無い人物に彼らの管理を任せ、その人物からの報告を元に改めて絶望の残党たちに危険性はないと示す必要があった。
 まず白羽の矢が立ったのは月光ヶ原だった。彼女なら相手の心理状態をいとも容易く理解する事ができ、微々たる嘘をも見抜くことができるだろう。支部同士の会合で何度か顔を合わせることはあれども、苗木と特に親しいという訳でもない為適任とされた。しかし支部長の彼女を島に置いてしまうという事は、支部の存命に関わる問題である。彼女無しでは絶望を治癒する研究が滞ってしまうと上層部は口々に反対した。
 他に候補がいないか苗木たちが頭を悩ませているところに、月光ヶ原から苗木に申し出があった。『信頼できる部下が一人いる。自分の代わりにその人物に任せてみてもらえないだろうか』と。



 バインダーを掴む手にいつの間にか力が入り過ぎていたらしい。これから面接を行う人物の為の、何も書かれていない白い紙。端の方に皺が刻まれてしまっていることに気づき、ななしのははっと我に返る。いくらでも替えは利くが、これも経費の内の為勿体無いと彼女はそこを撫でて伸ばそうとする。

「なんでわたしだったんだろう……」

 何度撫でても完全には元に戻らない、撚れてしまった紙を見つめながらぼそりと呟いた。
 そもそも月光ヶ原と直接話をしたのは数えるほどである。なのになぜ『信頼できる』と苗木に伝えて自分を推薦したのか、どれだけ考えても謎であった。体の良い厄介払いをしたという可能性は捨てがたいが、組織に迷惑をかける行動をした覚えも無い。自覚の無いところで失態を犯してしまったのだろうか。人員が増え過ぎて左遷する必要があったのだろうか。
 いずれにしろ心当たりはなく、明白な理由が無いままここに住んで6ヶ月である。もう理由をあれこれ推測するのも億劫になってきていた。
 悩むのはやめよう、とななしのは椅子に座ったまま大きく伸びをする。ずっと面接を行ってきたため肩が凝っていたのだ。おおこれは気持ちが良いとすっかり誰もいない部屋でリラックスする。

――コン、コン。

 そんな彼女の気の緩んだ所で、不意に扉をノックする音が響いた。

「うっ……!? ああーはい! ど、どうぞーっ!」

 慌てて気持ちを切り替え姿勢を正す、彼女の視線の先で開けられた扉の向こうには、この南国の島に似つかわしくない格好をした人物が立っていた。この気温では暑苦しそうな紫色のストールを身に付け、長い着丈の学ランを着込んでいる。彼こそが先程退室した左右田の次に面接を行う、田中眼蛇夢であった。

「……失礼する」

 彼は丁寧にななしのに向けて一礼し入室した。そして扉の所に留まったまま動かない。すぐに中央にある椅子に座ればよいのに、面接官であるななしのの指示を律儀に待っているらしい。

「えっと……どうぞ。お掛けください」

 ななしのも彼の態度に倣い、面接の練習をした時に見たうろ覚えの知識でそれらしい行動で応える。彼と視線を合わせて微笑み、片手を椅子の方向に向けて傾け座るよう促した。
 田中は彼女の言う通りに従い、真っ直ぐに歩んでくるとまた一礼して静かに椅子に座る。彼の堂々たる態度がななしのを威圧する。根が真面目であるところは恐らく両者に共通する点であるのだが、如何せん気の持ちようが違うのである。片や自信に満ち溢れており、片やふわふわと不安定で手探り状態だ。後者のななしのは彼の持つ存在感に押し潰されそうであった。

「それでは、面接を始めます……!」

 難しい、と感じる。左右田の時のように適当では、きっと彼の世界に呑まれてしまう。それほどに彼は独特の雰囲気を持っており、どこにも隙が無いように見えるのだ。実際彼と話をするのは大変困難で、ななしのは以前の面接の時に尋常でないくらい苦労していた。
 しかし、今度こそ彼の情報を正確に掴み纏めなければ。彼女は真剣な眼差しで田中を見つめる。

「フン、オブザーバー如きが俺様の“情報“(ステータス)を得ようなどと、嘗めた真似をしてくれるものだな。だが、敢えて教えることで改めて恐ろしさを再認識する、と考えれば悪い試みではないか……特別に許可してやろう。決して忘れることがないよう魂にこの名を刻んでおけ。我が名は田中眼蛇夢! 制圧せし氷の覇王とは俺様のことだ! よろしくお願いします」

「は、はい! ななしのななこです! よろしくお願いします!」

 両者は座ったまま互いに小さくお辞儀をした。それが合図だとでも言うかのように、ななしのはバインダーに挟んでいたペンを抜き出し手に持ち、いつでも何でも書き込めるよう構えた。
 斯くして、ななしのによる田中眼蛇夢の面接が始まったのである。



●つづく。

@2016/10/24
|



back top
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -