夢小説長いの | ナノ



プロローグ


 時計の秒針が刻む規則的な音と、時折開けた窓から入り込む生温い風がレースカーテンを揺らす音。そして遠くに聞こえる波のさざめきが、この部屋を包む静寂の中で奏でられていた。室内に明かりは付いていなかったが、昼間ということもあり強く射し込む太陽光のおかげである程度の明るさは保たれていた。しかし、この部屋は元々照明器具が必要なほどに大きい為、日の光だけでは足りず、隅の方の床には暗い影が落ちていた。
 部屋の中央は光に照らされて視界は良好のようである。そこには椅子が二つと、それに各々座っている人物が二人居たのであった。
 穏やかな雰囲気の中で、懸命にボールペンを握る指先がバインダーに挟んだ紙の上を勢いよく滑っていく。おそらく書いた本人にしかわからないであろう真っ白なコピー用紙に並べられた字は、良く言えば達筆、悪く言えばミミズが這ったような字だった。
 最後の句点を書き上げたところで情報を書き留め終えたらしいその人物は、ようやく紙に向けていた顔を上げて正面を向いた。ニット帽を被り、何やら退屈そうに欠伸をする人物と目が合う。

「ん? 終わったのかよ?」

 彼は待ちくたびれたとばかりに言葉を吐く。

「はい、これで左右田くんの面接は終わりです。今回も特に問題はないようですね。お疲れさまでした」

「おう! お疲れさんっしたー」

 向かい合わせに椅子に座った二人は顔を合わせて互いに微笑んだ。二人の間にテーブルなどの障害物は一切ない。部屋の中央で使用している二つの椅子以外にもインテリアはあったようだが、使う必要が無かったのだろう、端に置かれて片付けられていた。この面接の為にわざわざ移動させたようである。

「まぁ、大したことしてねーし、平和そのものってカンジだよな。この面接もいらねーんじゃねぇの?」

「それは皆さんの様子を見てたら少し思いますけど、でもお仕事ですから!」

 とんでもないとばかりに勢いよく否定する彼女は今にも椅子から立ち上がりそうであった。しかし左右田にからかわれていることにすぐに気がつくと、浮かしかけていた腰を落とし椅子に座り直す。落ち着かないその様は、新人という彼女の会社での立ち位置をそれとなく表していた。
 社会人に成り立てと言わんばかりの幼顔に似つかわしくないスーツを着込んだ姿は、まだ場数を踏んでいない素人にしか見えない。これでも数年は同じところに勤めているのだが、まだあどけなさは抜けずどこに行っても一度はからかわれてしまう始末であった。この地に足を踏み入れた時も散々ネタにされて笑われたものである。
 しかしそれは悪いことだけを引き起こしたわけではない。例えば目の前いる左右田はほぼ同じ年齢だが、ななしののことを妹の様に可愛がってくれる。変に気を遣うことなく話をし合えるところは、本当にありがたい。

「つーかさ、ななしのちゃんってホント真面目だよな。大して歳も変わんねーのに未だに敬語だしよォ」

 左右田は面接終了を告げられてもすぐに出て行こうとはしなかった。ななしのはそれを咎めることは無く、小首を傾げながらバインダーを両手で胸の前に抱え込み、彼の質問に答えるべくしばし考え込んだ。彼が提案するようにしたいのは山々であったが、立場上どうしたら良いものか考えあぐねている部分なのである。おいそれと次からそうするね、などと簡単に受け入れられる案ではなく。

「だって皆さんとはあくまでお仕事上お付き合いさせて頂いている身でありますし……。それに私情が生まれそうな接し方は良くないと思っているんですよ」

「でももう、この島に来て6ヶ月になるだろ。流石に他人とか思えなくなるんじゃねーの?」

 6ヶ月。つまりは半年だ。もうそんなに経つのかとななしのはここに来てからの事を思い出す。気を抜くとうっかり、仕事上ここに居るということを忘れないそうになるくらいに、この島に住む”彼ら”は彼女に対して優しかった。
 楽しい事も怖い事も悲しい事もあった。しかし結果として、ここで暮らしていた間の経験は、この島に隔離されていると人伝に聞いていた彼ら――絶望の残党たちのイメージを大きく覆すようなものとなった。
 とはいえ、ここでの出来事を素直に受け入れ、この島に住んで生活している人たちに心許せるようになったのは、つい最近の事なのである。それまで先入観に囚われて見ていたことを申し訳なく思うくらい、彼らは彼女に対して紳士的に接してくれた。部外者である人間に、不自由のないように気を遣ってくれる彼らの姿に最初は戸惑ったものだが、決して他意はないのだと今では感じ取ることができる。

「確かに皆さんとても仲良くしてくださるのでお友だち感覚は否めません。ですが……」

 そこで言い淀んだ彼女に対し、左右田は意地の悪い笑みを浮かべた。

「絶望の残党と馴れ合う気はねーって?」

「……っ! わたしはそんなこと思ってません!」

「いやそこは思ってもいいんじゃね!? オレ達だってわかってるからよ、その、許されないことをしちまったってのは。だからここに居るんだしよォ……」

 世界を震撼させた史上最大最悪の事件の全容を知っている彼らを恨まない者など存在しないだろう。ななしのとてここに来た当初は例外ではなく彼らを恨んでいた。家族も友人も住む場所も奪われた人間が、奪っていった人間に対して、普通であれば憎しみを抱かないはずがない。
 だが、彼らは自分たちが世界にしてきたことを自覚し、受け入れた上で償いをしようとしている。誰にも迷惑がかからないと未来機関が用意したここで、世界から切り離されてもひっそりと希望の手助けをし続ける彼らの姿は、ななしのの心境を複雑なものにさせた。
 心を許せるようになったとはいえ、未だに整理がつかない感情もある。それらを全て無かったかのように扱い完全に受け入れるにはまだ時間が足りなかった。

「みんなの事は、大好きなんですよ。一緒にいると楽しいし、面白いです。でもだからこそ距離感をどうしていいのかわからないんです……」

 すっかり落ち込んだように下を向いてしまうななしのを見て、左右田はさすがにからかい過ぎたかとばつが悪くなり苦笑いした。
 彼女が常に島の事、島に住む自分たちの事を気にかけてくれていることを左右田は知っている。監視官としての彼女の立場がどういうものであり、自分たちと接するべき姿勢も概ね理解はできる。
 けれども彼女自身が”仕事”という境界線を越えたくても踏み込めずにいるということは、左右田だけでなく誰から見ても明白であった。もっと仲良くしたい、そんな意思が最近の彼女の言動から察する事ができた。
 しかし根から真面目らしい彼女はそれを自分からしようとはしない。自分から働きかけることで、所属する機関や”彼ら”に迷惑がかかることを考えてしまうからなのだろう。
 ならばこちらから動いてみてはどうだろうかと、左右田たち絶望の残党は思い立った。”彼ら”の何気ない会話の中で生まれた意見に反対する者はおらず、満場一致でななしのとの友好関係を深めることにしたのである。
 彼女が迷惑と受け取っているようであれば無理強いはしない。そう取り決めて。
 まずは彼女が頑なに崩そうとしない敬語をどうにかできないものだろうか、と考えていたのだが、いい案が思いつかずそれぞれ独自の角度から彼女に試みることになっていた。
 しかし左右田の企みは失敗してしまったらしく、ただななしのの悩みを深くさせてしまっただけのようだった。もしこのことが日向にバレたりでもしたら、『そんなストレートにいきなり突っ込まれたら困るに決まってるだろ』と諌められてしまうことだろう。

「あー……オレも適当に言っただけだからあんま気にすんなって! ななしのちゃんがあんまり純粋にオレ達のこと考えてくれるみて―だから、もう少し仲良くできねーかなって思っただけ」

「はい、わたしも仲良くしてもらえれば嬉しいです。でも……もう少し時間が欲しいです」

「いーっていーって。まだまだここにいなきゃいけねーだろうから時間はたっぷりあるしな。とりあえずななしのちゃんのメーワクにならないように気をつけるぜ。んじゃ、次のヤツ呼んでくるな! ……誰だっけ?」

「ありがとうございます、左右田くん。次はですねー」

 この面接は名簿順で行っている。今日中に全員分を終わらせなければならない。順番を忘れることがないよう、あいうえお順に各生徒の名前を書き連ねた紙をどこかにあったはずなのだが、すぐには見つからない。どこかにやってしまったらしい。今手に持っているバインダーに挟まる紙の束を捲っても出てこず、どこへやっただろうかとななしのは周囲を探す。
 すると椅子の下に滑り込んでいた一枚の白い紙を見つけて拾い上げた。いつの間に落としてしまったのかわからないが、あって良かったとばかりに笑みをこぼす。

「次、は……うん」

 ななしのは紙に書かれていた名前を見て、柔らかな笑みを一瞬で凍りつかせ目を細めた。

「……田中眼蛇夢くんですね」

 左右田はななしののか細い声を聞き漏らさなかった。そしてどういう思いでその名前を口にしているのか、瞬時に理解する。

「ま、ガンバレよ! なんとかなるって!」

 突き抜ける様に明るい声が室内に木霊する。ななしのは引き攣った笑みのまま名簿が書かれた紙からその声の主である左右田へと視線を移した。満面の笑みを浮かべて椅子から立ち上がる彼は、彼女の考えていることを知りつつもそれを面白がっている様にしか見えなかった。

「待って。行かないでください。お願いします」

 ななしのはすぐにこの場から立ち去ろうとしている彼の背に向けて、懇願するように手を伸ばした。しかし彼女の悲痛な声が届いても彼は足を止めることなく、この部屋の出入り口の前に立ち今にも出て行こうとしている。

「面接は一対一でやるもんだろ? 邪魔者はさっさと退散すんぜ」

「この際機関に行って特例として認めてもらいますので、お願いですから残って通訳してください! 狛枝くんにも断られて為す術が無いんですよ!」

 必死の制止を無視して、左右田は扉に手をかけた。

「そこはあれだ、男気見せろよ、ななしのちゃん!」

「男気って、わたしは女ですよ!? 待ってくださ……もう、この薄情者ーっ!」

 爽やかないい笑顔を最後に見せて、左右田はこの部屋から出て行ってしまった。あとに残されたのは悔しそうに彼が出て行った扉を見つめるななしのだけである。戻ってくる気配は微塵も無い。静かな部屋に扉が閉まる小さな金属音が鳴ったところで、彼女は伸ばしていた手を下げて深いため息を一つ吐いた。

「ああどうしよう……田中くんって何言ってるのかわからないんだよなあ……」

 ここへ来てから”二回目”ではあるものの、彼女にとって最大の難関がまた訪れてしまうのだった。



●つづく。

@2016/10/24
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