● はじめまして、よろしくね
各クラスに決まった担任はいない。希望ヶ峰学園ではクラス内から一人、リーダーを選出しその人物がホームルームを取り仕切ることになっている。いわゆる学級委員長というやつだ。毎年決まってその役に当てはまるような人物が一人は入学するため、第77期生もまた御多分にもれずその制度により統率がとれていた。
田中のいるそのクラスでは十神がその役をかって出ており、彼の言葉でクラスは纏まっていたのだった。今日もその巨体を揺らしながら彼は黒板と教卓の間に立つ。実に狭そうであるが彼はそれを気にした様子もなく、胸を反らせ威厳ある態度で教室内を見渡すのだった。
「実にいい朝だな、愚民共。誰一人欠けることなく真面目に出席とは大変喜ばしいことだ」
十神は既にここにもう一人、生徒が加わることや事情を知っているらしい。教卓から見えないはずがない誰も座っていない窓際の一番後ろの席について、彼は敢えて触れないのだった。
その右隣には田中が座っているが、彼もまたどういう意図でそれがあるのかは知らない。しかし誰も座らないのであればそれはそれで何事も無く、彼の平和は保たれるのである。田中は我関せずといった様子で四天王に餌をやっていた。
しかし他の生徒はそうではない。当然、朝から用意されていた謎の空白の席に疑問を持たないわけがなく、そのことについて問いかけようと澪田ががたりと音を立てて机から身を乗り出し、元気よく手を上げた。
「ハイっ! ハイっ! 豚足ちゃん! しっつもーんっすよ!」
「全く……貴様は落ち着きというものをもう少し持った方がいい。一体何だ?」
「ハイっ! あの席にチューモクっす!」
彼女が両手で指差すのは例の席である。昨日までは用意されていなかったそれが忽然と朝から当たり前のように置かれていては、澪田以外も気になってしょうがないというものだ。追い打ちをかけるかのように左右田が立ちあがった。
「もしかしてテンコーセイとかが来んじゃねーのか? なあ、十神〜。オメーは知ってんだろ? もう教えてくれたっていいじゃねぇかよォ」
「あー! 左右田ったらまた女の子のこと考えてるでしょ! クスクスッ、どんな子が来たってアンタなんかになびくわけないのに、これだから自覚のないドーテーお馬鹿は困るよねえ。脳ミソに潤滑油さしといた方がいいんじゃない?」
「うっせ、うっせ! 西園寺テメー!」
「ガタガタ抜かしてんじゃねェよ……。たかが机が一コ増えてたくらいで、んな大騒ぎする事ねェだろ。少しは黙れや」
「だってよォ……。やっぱさ、もしホントにテンコーセイだったら歓迎会とかするだろ!? そういうのマジ楽しーじゃねーか!」
「うっは! 唯吹もガンガンブリバリ歓迎しちゃうっすよー! 開会と閉会のテーマソングは唯吹が作曲するっすね。みんなで歌える24時間ぶっ通しセレモニーの幕開けっす!」
「それってアレか、持久戦だな!? 一番最後まで生き残ってたヤツが優勝ってことだよな! ワクワクしてくるハナシじゃねーか……!」
「終里、オメーなんか勘違いしてるだろ! 燃えあがってるとこワリィけど方向性ちげーからな!」
勝手な想像を膨らませられるだけ膨らませた彼らの話は尽きない。いい加減この辺りで収拾をつけなければこの無意味な空想上の議論は延々と続くだろう。しかし十神は何故か教卓からその光景を黙っているのだった。何か考えがあるのだろうか。
しかしいつまでも誰かが止めないわけにはいかない。そろそろホームルームの残り時間も少なくなってきた頃、耐えかねた小泉が立ち上がり事態を終わらせるべく口を開いた。
「ちょっと! 少し静かにしなさいよね! まったく……結局どういうことなのかなんて、十神の口から聞かなきゃわかんないでしょ? ていうか、いい加減説明しなさいよね」
その効果たるや歴然で、彼女の一声で口々に勝手なことを言っていた面々は大人しく席に座るのだった。文句を言う者は誰一人いない。彼女を怒らせると論理的に叩きのめされることを知っているからだ。そして彼女の言うことは常に正論なのである。
最後に左右田が座ると、場を静観していた十神がようやく口を開いた。待ってましたとばかりに皆の視線が彼に集中する。
「フン。貴様らは実に興味深い話をするものだな。……歓迎会の計画とやらは俺も賛成だ。しばし耳を傾けていたが、なるほど。悪くない」
「え、じゃあ……マジ、なのかよ?」
「貴様の予想も存外当たるものだな。さあ、待ちくたびれていただろう? 頃合いだ、入ってくるがいい……ななしの」
「なん、だと……!?」
十神の言葉に一番に反応したのは、転校生を待ち望んでいた左右田でもなければ声がかかるまで教室の外で待機していたと思われるななしのでもない。騒ぎに関わることなく傍観していただったはずの、田中だった。
田中は徐々に開けられていくドアに目を奪われる。愛しいその人が本当に、そこにいるのだろうか。そんなはずはないと彼に疑われながらもドアの隙間は止まることなく確実に広がっていき、現れようとする誰かを彼の瞳に映そうとする。少しずつ少しずつ、願っても願わなくてもその人物はこの教室へ足を踏み入れるのだ。
そしてそろりと侵入してきたそれは、教室の床に足を着けると同時に声を放つ。
「あ、の……! 初めまして! お、おはようございますっ!」
頬を赤くし目を瞬かせながらひょっこりと姿を現した人物は、紛れもなく田中がよく知っているななしのという少女だった。ファザール商業高校の制服に身を包んだ彼女は、田中の記憶にある恋人の姿と完全に一致していた。
それでもまだ本物であると信じられないのか、どこか不満の残る表情のまま田中は彼女を睨みつけ深く黙り込む。そんな彼の様子までまだ気づけないでいるななしのは、十神の手に誘導されるまま緊張した面持ちで教壇へ上がった。きらきらと期待に満ちた好奇の瞳が彼女へと集まる。
「わーい! ななこおねぇだー! って、一体どういうこと!?」
「えっと、ななこちゃん? で間違いないんだよね……? な、なんで……?」
「ななこちゃーん!! きゃっほーう! 唯吹だよー! こっちこっち、こっち向いてほっほーい!」
「はわぁ!? ななこさぁん!? うゆぅ……一緒にお勉強、することになるんですかぁ? ふふっ、う、嬉しいですぅ」
彼女を既に知っている者たちは思ったことを次々に口走る。よってまた纏まりのないお喋り大会が始まろうとしていたが、今度は十神がしっかりとそれを遮った。
「静かにしろ! おい澪田……貴様は机から降りて席に着け、はしゃぎすぎだ! ……フン、これだから平民というものは。いいか、では本題に入るぞ」
十神はななしのが今この教室にいる経緯を説明し始めた。
彼女が超高校級の恋人という才能枠で入学したこと。それがまだ試験段階のため確定的なものではなく、一ヶ月の試験的入学の上でそれを持続するか否か、最終判断は事務局がするということ。
彼の説明が先に進めば進むほどに、どういうことなのかという訝しげな視線がななしのの体に集中していく。それを説明することもできない彼女はただ行き場なく目を泳がせた。
手紙と理事長に言われるがままに来てしまったものの、やはりここの面々は超高校級の才能を持つだけあって、一般人の自分とはどこか次元の違いめいたものを感じるのだ。その存在感に圧倒されて頭の中は真っ白である。何を話したらいいのか、どんな表情をしたらいいのか、何もわからずにただ十神の説明に肯定する様、首を振ることしかできないでいた。
「と、まあ……貴様らへの説明はこんなところだな。異論は受け付けん」
嘘ではないにしろ正式ではない転校生の出現に皆驚きを隠せず、教室内はどよめきに包まれる。なんせそんな話はこれまで聞いたことが無いのだ。
しかしそういった異様なことが常に行われているというのは、希望ヶ峰では最早当たり前のことである。故に彼らの事態を把握する能力は高く、この突然の転入生という異例の事象はすぐに、明瞭な一声によって喜ばしいこととして受け入れられることになった。乾いた拍手の音が教室に鳴り響くと同時に、その声は発せられる。
「あっはは……素晴らしいよ! また新たな希望の種が生まれたってことだよね。なんて素敵なことなんだろう……! さ、みんなでこの希望を開花させられるよう協力し合おうじゃないか!」
誰よりも先に口を開いたのは彼女の転入を心から喜び、新しい希望との出会いに身を震わせる狛枝だった。またお前かとでも言うように皆の呆れた視線が彼に浴びせられるが、ななしのだけは彼の姿を目に入れた途端に全身を凍りつかせてしまった。
(あの人、あの時の……!)
できればもう会いたくはなかった、彼女に希望ヶ峰とはなんたるかを説いた人物である。そして一般人である彼女がいかにここに相応しくないかとも言っていた、忌まわしい記憶しか思い起こさせない人物でもあった。目が合えば爽やかに微笑んでくれるのだが、その腹の底で一体何を飼っているのかわからない。恐ろしい人だとななしのは警戒しつつ、苦笑いして返すのだった。
「あーあ、また狛枝がクサいセリフ言ってるよー。希望がどうのはともかく、わたしはななこおねぇで遊べればいいや!」
「唯吹もななこちゃんと愉快なスクールライフできるなら大歓迎っすよ!」
「ンフフ……女の子が増えるのは大歓迎さ。ホラ見て、ボクの下半身も喜んでるよ!」
「ってちょっと待てよおい! いきなりキツイ下ネタ飛ばしてんじゃねー!」
「左右田さん、転入したばかりの女の子の前で突然はっきりとそう言ったセリフを吐かれるのは、よろしくないと思います」
「えっ!? 元はと言えば花村が……い、いや、スミマセン……でした」
左右田がソニアの叱咤により涙目になったところで、ななしのは小さく笑い声を漏らした。彼女の緊張もようやく解れたようである。すっかり狛枝という人物への恐怖心も薄れたようだ。
「なんにせよ、新たに一人増えるとはなかなか刺激的なことだ。悪いことでは無いだろう。ななしの、何か一言皆に挨拶してやってはくれないだろうか」
「あ、はい!」
辺古山に促されてそういえば全く自己紹介をしていないことに気づいた。下手に知っている人物が多かったため、すっかり頭から抜け落ちてしまっていたらしい。そのため上手い言葉が何も浮かんでこなかったが、行き当たりばったりだと勢いに任せることにして今まで閉じっぱなしであった口を開く。
「ななしのななこです! 超高校級の恋人候補として選ばれた……みたいです。かなり突然ですけど、一ヶ月間お世話になります。ど、どうぞ仲良くしてくださいっ!」
勿論だよ、こちらこそなどと優しい歓迎の言葉と拍手が彼女を迎え入れてくれる。温かな皆の対応に、もう場違いがどうのなどと細かいことは気にならなくなっていた。ここで何ができるかはわからないが、精一杯皆についていけるよう努力する。自分が意識して今できることをやるだけだと思うのだった。
ではそろそろ席に着こうかと教室の奥に歩みを進めれば、はっきりと見えてくるのは恋しいあの人である。ご丁寧にも彼女の席は彼の隣だ。この位置づけが学園側の計らいによるものなのは明らかで、それに対してななしのはなんとも形容しがたいこそばゆい気持ちを抱く。緩んでしまう口元に抑制など効かない。
ここが今日から自分の席になるのかと、居場所を確かめるかのようにななしのは机の表面に触れ、それからゆっくりと音を立てないように椅子を引いて座った。そこで気が抜けたのか一つ大きく息を吐くと、ほんのりと頬を朱に染めたまま隣を向いた。
「まさかこんなことになるなんて、夢みたいで……わたし自身まだいろいろ混乱中なんだけどっ……。でも、またこうして田中くんと一緒に学校に通えるの、う、嬉しいから……! 一ヶ月、よろしくねっ」
改まって言う事ではないが、しかし自分がどういう思いでここに来たのかを知って欲しかったのだ。正面を向いたまま田中は彼女の声を黙って聞いていた。
そしてゆっくりと一度だけ瞬きをすると横目で彼女を睨みつける。あからさまに不機嫌な様を見せる彼にななしのは不安げな顔で彼の言葉を待った。
マフラーに埋まった彼の唇が紡いだのは小さく、しかし彼女の耳には確かに届くほどの低い声色だった。
「……フン、解せんな」
何が彼の気に障ったのだろうか。ななしのが予想していたものとは程遠い、むしろ真逆の反応を示す彼の胸の内は全く読めない。彼女は行き場に困った顔を前の方に向ける。そこには上機嫌な笑みを浮かべている狛枝の顔があった。
「あ……どうも」
「やあ、また会ったね。ちゃんと覚えてるよ。田中くんの所有物、兼、超高校級の恋人……ななしのさん」
よろしくと微笑みかける彼の笑顔はとても不気味で、やはり何を考えているのかわからない。握手を求め差し伸べてきた彼の手を拒否するなどななしのにはできず、恐々と彼女も手を差し出した。
しかしどんなに得体の知れない相手であっても人間であることは確からしい。彼の手には間違いなく体温があり、彼女が差し出した手を優しく握り返してくれるのだった。
●つづく。
@2013/11/30
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