● 05
丸一日も寝ていただなんて迂闊であった。とんでもない失態、許されない過ちである。
よく考えてみればもっと早く気づけたはずであろうに、モノクマがくれたヒントによりプログラム改竄が行われたことを知れて、安心しきってしまっていた。常に予測不能の事態が現れては全てを狂わせていく状況で、考えることを止めてしまっていた。
道理で体が痛く、喉が渇いているはずである。一日中ずっと寝ていることしかしていなければ、この症状も納得がいくというもの。それに今更気づいても、もう遅い。悲劇の宴は彼女の介入無しで開催されているのだった。
まだ間に合うかもしれないと、行動するべくななしのはベッドから転げ落ちる。七海の心配する声と制止を振り切り、靴を履くことすら忘れてコテージの扉を開き外に出た。
煩いくらいに星が夜を照らしている。外灯などなくとも明るいプールサイドを、力の入らないはずの足を無理矢理に動かして駆けた。間に合え、間に合えと願いを込めながら旧館を目指して。
あと少し、というところで出入口の扉の前に誰かがいるのを見つける。誰だろうかと目を凝らしてみるが、それよりも先に声が届いた。
「なにやつ!? そこで止まれッ! さもなくば俺様の……フン、どんな″使い手″が現れたのかと思えば、ななしのではないか。血相を変えてどうした、悪魔に追いかけられでもしたか?」
田中の明瞭な声がななしのの鼓膜を震わせる。彼女の記憶によればここに居る人物は七海であるはずだったが、その人物がななしのの付き添い役となってしまったため何らかの理由により彼が配置されることになったらしい。本来あるべき現象と違うため理由を聞きたいところだったが、今は残念ながらそれどころではなかった。それにしても厄介な人がこの位置につくことになったなとななしのは苦い顔をする。
「っちが……! あのねっ、中にっ、入りたいんだけどっ」
「ハッ! 残念ながら貴様に宴に参加する権利などない。誰も通すなと、暗黒御曹司をも越える魔力を身に宿した者に命を受けているからな。俺様は与えられた役割を全うせねばならん。よって貴様がここの館へ足を踏み入れることは不可能なのだ! フッ……出直してくるがいい」
この状況はまずい、と彼女は予測する。彼がパーティー会場へ居ることで捜査に重大な貢献をしてくれることになるのに、もし仮にここで殺人が起こってしまったとしたらそれを導いてくれる者が、証拠が一つ消滅してしまうことになる。
床下に繋がる通路の存在が明らかにならないのだ。ななしのはもちろんこの旧館にそれが有ることを知っているが、パーティーに参加していない彼女が突然現れ突然床下に通路があります、と言うのはあまりに不自然である。
要は殺人を止めることができれば済むことなのだが、入口には強力な盾となる門番がいる。この目の前にいる田中眼蛇夢という人物は強固な意志を持つ一筋縄ではいかない人物だった。なかなかどうして、ここを通り抜けることは至難の業だということを彼女は知っていた。
「どうしても……行かなきゃいけないの」
「ほう、だがそれは叶うことは無い。俺様という最強の術師がいる限り、一歩たりとも足を踏み入れることはできんぞ」
「譲っては、くれないんだね」
もう諦める他にないであろう彼女は、それでも引き下がることなくゆっくりと田中に近づいていく。
「……何の真似だ? 俺様と決闘でもしようというのかッ!? 愚かな……身の程を知るがい、いッ……!?」
田中は動揺をその顔に浮かべる。そしてみるみるうちに赤く赤く頬を染めていくのだった。それもそのはず、ななしのが彼の胸に飛び込み抱きついていたからだった。
「きッ、貴様ァッ!? 何、なに、をッ……離れろ、さもなくば俺様の全身を覆いし毒が貴様をッ」
彼女の温い熱と柔らかな腕が、胸が、指先が、彼の体に触れている。不意打ちの感触に彼は戸惑い思考も行動も硬直させてしまう。顔を真っ赤にしてしまうのは彼だけでなく彼女もまた同様にであったが、確たる目的がありそれを実行した彼女は当然次の行動をすぐに取れる。一瞬できた隙を見逃さない。
「襲ったりしないよ。だって田中くんは……優しいもん」
動けずにいる彼の胸から素早く抜け出し、館の入口の扉に手をかける。鍵はかかっていないようだ。
「くっ……!? 俺様に忌まわしき言霊を浴びせるなどッ……! 待てッ!」
「っ……ごめんね!」
追いかけようとする彼の方を見ることも無く彼女はその身を館の中へと滑り込ませた。振り返っている余裕などない、まっしぐらにパーティ会場であるホールへと廊下を駆け抜けていく。鼻腔をくすぐる肉料理のにおいに一瞬自分も食べたい、などと食欲をそそられる。だが目的はそれではないのだ。息を切らせながら、賑やかな声が聞こえてくる会場の扉を開け放つ。
「何っ……!? 誰だ!?」
「ちょっと、ななこちゃんじゃない……! 十神から目覚めたことは聞いてたけど、もう動いて大丈夫なの?」
「おおー! お肉に釣られてこんばんちわっすね! こまけーことは置いといて、さあさあ早くこっち来るっすよ!」
皆の視線がななしのに集まる。田中に誰も中に入れないよう指示を出していた十神は厳しい表情を浮かべていたが、他のメンバーは大丈夫かと声をかけてくれたり笑顔で受け入れようとしてくれたりと好意的に彼女を迎えてくれるのだった。
しかしそれに一つ一つ答えている時間など残されていない。適当に相槌を打ちながらどうするべきか、と考えて会場の奥へ進む。
「それ以上動くな。……田中はどうした?」
険しい表情の十神が彼女の前に立ち塞がった。そして場の雰囲気を壊さないよう静かな声で彼女に話しかけてきたのだった。
口の周りに食べかすを付けたままでもその威厳と迫力は普通のものではない。ましてやこちらは焦っているというのに彼は実に冷静な声で話しかけてくるのである。どう説明したらわかってもらえるだろうかとななしのは悩ましげに眉をひそめた。
「えっと……口説き、ました」
「フン。もう少しマシな嘘は吐けないのか? どういうことか説明しろ」
「うっ……やっぱりダメか……。けど今はそんなこと言ってる場合じゃ無くて……!」
すぐそこ、十神の背後にはもう彼女が辿り着かなくてはならない場所、テーブルが見えているというのに彼の巨体が進行を許してくれないのだ。
早く、早くしなくてはと焦る彼女とそれを問い詰める十神の姿を瞬きもせずに横から見ているのは、冷淡な瞳だった。それが動き出すまであと幾ばくも無い。今か今かとその時を待ち望む狂気がここに在ることを知っているのは、ななしのただ一人だけだ。
「ごめん、十神くん……!」
「なっ……!?」
彼女は十神を突き飛ばした。転がることは無かったものの、意表を衝いたその行動は彼女をテーブルまで至らせるだけの隙を与えてくれた。突如として始まった彼女の奇行に会場がざわつく。悲鳴にも似た声が上がっているが、しかしその言葉に対して説明している暇などない。
そして、彼女がテーブルへと辿り着いたその瞬間、会場に小さな電子音と何かが弾ける様な音が鳴り全員の視界が暗転する。
「うわっ、停電だよ!」
「おい貴様ら、その場を動くなよ!」
停電というアクシデントに皆は動揺し、口々に騒ぎ立てる。そんな中、ななしのはテーブルの前にしゃがみこみ、その下に誰も入ることができないように構えるのだった。
(これでなんとか、照明が復旧するまではもってくれる……!)
その僅かな時間だけでいい。犯人たり得る人物がしようとしていること、また床下にに潜むもう一つの殺意がそれを狙い、罪を犯すことを防げればここで殺人など起きないのである。
なんとか間に合った、と暗闇の中誰がここを突破しようとしても防ぎきるつもりで体勢を整えていた彼女であったが、それは悲しいことに彼女の望む様な結果には繋がらなかった。
「……えっ」
ななしのの口から小さく声が漏れる。
(なんで……)
体が押される。彼女の体を乗り越えてテーブルの下にある何かを求めるようにではなく、″彼女の体をテーブルの下に押し込む″事だけに集中した力で。
それは強く勢いよくななしのの体を床へと転がした。碌に力の入らない体では抵抗などできず、進行を防ごうと広げていた手は宙を掴むことしかできなかった。
(だめだ、だめ、これじゃ)
一刻も早くここから出なければと血の気が引いていく体を奮い立たせたが、もう遅かった。
「あっ、がっ……!? あ゛っ!?」
″それ″は、彼女の柔らかい肌に音も無く貫通した。鋭い針のようなものが何度も何度も彼女の体から生えては引かれ、生えては引かれを繰り返す。だんだんとその先を鮮血に濡らしながら、彼女の肌に止めどなく幾つもの小さな穴を開けていくのだ。
「いっ、いだっ、あっ、ああああっ……!?」
何度も何度も繰り返され、なかなか止まないその痛みに涙を流す。なぜこんなことをするのか、もうやめてくれと口にすることすら叶わないほどに絶え間なく針は彼女を突く。
やがてななしのは悲鳴すら上げることができなくなり、意識が飛ぶ直前、床下を覗くことができる僅かな隙間から誰かの泣き顔が見えたような気がした。閉じられた彼女の瞼の隙間から滴り落ちた涙がその人に届くことは、なかった。
Chapter.1絶望から始めよう……Dead end.@2013/11/22
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