夢小説長いの | ナノ



16


 狛枝と田中が対峙する。片や飄々とし悪びれた風もない態度で、片や今にも相手を射殺さんとする鋭い視線を放っていた。
 狛枝の背後に立つのはななしので、そこから田中の姿を確認する事は容易であった。なのにせっかく拭ったはずの涙をまた瞳に溜めて、視界を濁らせてしまっていたのである。田中が今どんな顔をしているのか、薄らとしか見えない。唯一できることはこんな、泣き顔なんか見せちゃいけないとこれ以上涙を溢れさせないように何も考えずにいることだけだった。
 そんな状況は幾ばくも続かなかった。最初に動いたのは狛枝で、田中の殺気などものともせずに校舎の方に向かって歩き出したのである。田中の横を何事もなかったかのように通り抜けようとする。

「……狛枝」

「え? なんだい? こんな粗大ゴミの存在に気づいてくれるなんて、田中クンは優しいね!」

 さきほどまでななしのに向けていたものとは違う、爽やかな笑顔を湛えて彼は田中に答える。いかに話しかけてもらったことが奇跡であるか、体現するかのようにだ。
 普段から彼はこうであったが、それを知っている人はここでは田中だけだ。その変わり様を目の前で見せつけられるかの様に振舞われると、ななしのは驚きを隠せなかった。今までその口から出てきた言葉は辛辣なものであったのに、彼が田中に放つものは全く違うのである。彼女は彼の褒めたたえて媚びるようなきらきらとしたセリフに苛立ちすら覚えられず、そこにいる少年がさっきまで自分と話をしていた人とは別の人の様に感じられてしまい、ただ何も言えないのだった。

「あいつに何を言った」

「ああ、あの子に? なんてことないよ、彼女が田中クンの友達で会いに来たって言い張るから、身の程を教えてあげただけさ」

「奴は友達ではない。俺様の忠実なる下僕に過ぎん。だが、俺様の物に手を出すという事……即ちそれは俺様への冒涜に値する」

「そ、そうだったのかい……! それは失礼なことをしたね。ボクなんかが田中クンの所有物にお説教をするだなんて、144億光年早かった、ゴメンよ。ねえ、こんなカスみたいな存在を許してくれるかい?」

 そう言って話しかける先にはななしのがいた。彼女は突然向けられた穏やかな表情の彼の優しげな声に気が緩み、反射的に縦に頷いてしまう。そのせいで目に溜めていた雫がこぼれて彼女の頬を伝った。慌ててそれを拭っても遅く、田中はそれを見逃さなかったのである。
 もはや狛枝を咎める気はないらしくその存在に一瞥もくれず、田中は早足で真っ直ぐにななしのの元へ歩いた。苦虫を噛み潰したような顔をした彼は、彼女の目の前に着くと、こう言うのだった。

「行くぞ、ななこ」

「たなっ、が、くん゛っ……」

「情けない。貴様の魔力はその程度なのか」

 彼の声で名前を呼ばれたからだろうか、優しい言葉をかけてもらえなかったからだろうか、彼の姿を見て安心したからだろうか。何が引き金となったのかはななしの自身にも定かではなかったが、泣きたくないという意思とは裏腹に彼女は顔をくしゃくしゃにして泣きだしてしまった。こんなはずではなかったのだ。彼の前でこんなみっともない姿を晒すなど、絶対にしたくはないと思っていたのである。なのに、流れ溢れる涙は止まらなかった。
 両手で自身の顔を覆ってできる限りその有様を、情けない下僕の自分を彼に見せないようにする。いや、そんな自分に向けられる彼の視線から逃れるためにだったのかもしれない。

「無様だな。俺様の下僕が聞いて呆れる」

「うっ、ごめ、ごめ゛ん゛な……さい゛」

「……本当に、世話の焼ける」

 このままこの校門にいても埒が明かないと判断したのだろう。田中は彼女の片方の腕を掴むと引き摺るように強く引っ張り、後をついて歩いてくることを促した。目を閉じて手で塞いでいては自分の歩く道さえ見えず、転んでしまう。彼女はもう片方の手を自らの意思で顔から離して自分の手を引き前を歩く田中のうしろ姿を見た。
 いついかなる時も凛々しくて常に前を向いて歩いて、どんな向かい風の中ですら己の道を突き進んでいく覇王という名に相応しい彼の姿を、彼女の瞳が映し出す。
 自分が何に、誰に惹かれていたのか。彼女は自らの情けなさを思うあまり飛んで行ってしまった大事なことを思い出した。こんなところで泣いてる場合ではない。
 田中に連れられてこれより向かう先はあの、ファザール商業高校だ。そしてウサギ小屋のあるあの人気のない裏庭が最終目的地となる。田中も先ほどメールで彼女からそこに来てほしいと伝えられていたため、そのことはわかっている。結局、ななしのが迎えに来させられこんな予想外のアクシデントが発生する事になってしまったが、今となっては些細なことだった。ほんの少し彼女が弱気になって目的を失いかけていたが、そんなことなど彼にとっては大きな障害に値しないのである。彼女の目的を知ることの方がよっぽど重要だった。

「……田中くん」

 彼に引かれるがまま歩いてきた彼女だったが、少し駆けて隣に並んだ。そんな彼女の様子に気づいても田中の手は彼女の腕を離す事はしなかった。

「フン、ようやく己を取り戻したか」

「うん。さっきは……ごめんなさい。怒ってる?」

 田中は答えない。隣を歩く彼女に目もくれずただ前だけを見ている。黙って歩けという事なのだろう、目的地に着くまでの間それ以上彼が口を開くことは無かった。
 沈黙を保ったままななしのの家の前を通り過ぎる。田中の家は今通ってきた道なりにあったのだろうが、彼女はまだそれを教えてもらってはいなかった。きっと彼もその家から、希望ヶ峰学園まで一人で歩いて通っていたのだろう。その道は決して長いものではない。しかし2人で歩くと短く感じるそのありきたりな道は、一人で歩いた時に本当の長さを感じさせるのだ。
 ひと月程度しか経っていないのに、あの頃と言いたくなるほどの懐かしい感覚がななしのの胸をくすぐる。こうして2人、並んでこの道を歩くのはいつぶりになるだろう。きっとあの時にななしのが彼に何かを言えていれば、もっと事は円滑に済んだのだ。こうしてうだうだと回りくどいことをしなくとも、いろいろな人を巻き込まなくとも済んだのである。何か言えるとしたら何だっただろう、と彼女は考える。田中が転校すると告白してくれたときに、偽物の笑顔を作っていた自分がもし違う行動を選んでいたとしたら。今ならそれをはっきり形にできる様な気がした。

「田中くんが転校するなんて、ほんとは嫌だったんだよ」

 ただの沈黙と2人の足音だけが、やけにななしのの耳に大きく入り込んでくる。何も口に出していないはずはのに、田中の動揺が伝わってくるような気がした。それは彼女の腕を掴む彼の手が、微かに動いたからかもしれない。



 高校に着くなり、用務員に話を通してななしのは田中を学校の敷地内へと引き入れた。裏庭には外から回ることができる。彼女に誘われるように舗装された砂利道を進む。
 ここに僅かな期間在籍していたとはいえ、他校の生徒がそう易々と入れていいものなのだろうかと田中は疑問を持った。超高校級のと説明すればよほど何かある所でない限り、希望ヶ峰学園の生徒は大抵どこへでも入れてしまうものであった。彼女もきっとそのように用務員へ話を通したのだろうと彼は勝手に想像していた。
 ウサギ小屋に着いた。田中が魔力が高いと特に愛情を注いでいた一匹の白いウサギも、他の3匹と仲良く小屋の中で休んでいる。しかし構ってくれていた田中がやってきて嬉しいのか、彼が小屋に近づくとそれぞれ餌をねだる様に網の張られている手前の方へのそのそと
動き出した。

「貴様ら、元気にしていたか? ククク……やはり俺様がついていないと覚醒できんか。よーしよしよし。そう焦るな。大地と太陽の力が宿りし糧は均等に分け与えてやろう。フハハハハハッ! 寛大な主人を持ったことに感謝するがいいッ!」

 田中は手近な場所に生えていたクローバーをいくつか採取して、それを群がるウサギたちに与えてだした。興奮してならないのか高らかに笑ったりして何やら楽しそうである。その様子をななしのが一歩下がったところから見つめている。ウサギたちとの久しぶりの触れ合いに喜びを隠せない田中は彼女のその視線に気づいていないのだった。

「用務員さんに、ウサギさんが大好きで触りたいお友達がいるって言ったら、入ってもいいよって言ってくれたんだ。放課後だけだったらこれからまた会いに来てもいいって」

「なッ……! そッ、それは真かッ!?」

「うん。田中くん、ここのウサギの事気にしてたもんね。これでいつでもここに遊びに来れるよ」

「そう……か……。ふっ……ふふふはははっ! よくやったぞななこ!」

 彼は心底嬉しそうである。しかし彼女の話したいこととはこのことが主ではない。満足気な笑みを湛えて近寄ってくる田中を見ながら、ここからが自分の正念場だとそっと深呼吸した。今、この機を逃してはならない。
 彼女の耳には何も聞こえない。ひたすらに耳の中がぼう、と熱さを感じさせる音を放っている。それは緊張しすぎているせいなのだろう、頬に赤味がさしてきた。早く言わなければ彼にその変化を悟られてしまうだろう。勇気を振り絞るかのように握った拳に力を入れた。

「……そのときは、わたしも一緒にいて、いいかな」

「ほう、何故だ? 進んで俺様の護衛をするというのか? なかなかに殊勝な心がけではあるが」

「そうじゃなくって、わたし、田中くんの隣にいたいの! 下僕としてじゃなく、ななしのななこという一人の女の子として」

 彼女の言いたいことを理解してしまったらしい、見る見るうちに田中が顔を真っ赤に染め上げた。見開かれた瞳と、開けられているが何も音を発さない彼の口は驚きの感情を見事に表現している。ここまで言ってしまえば、もう後には引けない。

「きッ、貴様の、言霊の意図が、理解しかねる……」

「今までずっと田中くんと一緒にいたけれど、田中くんと離れてようやくわかったの。自分の気持ちが」

「……やめろ」

「ちゃんと聞いて。あのね、わたし田中くんといる時が一番楽しい。所詮下僕としか見てもらえないのかもしれないけれど、これがわたしの本心」

「……やめろと言っているのが聞こえんのか」

 田中は何も聞きたくないとでも言うように眉を顰めた。それでも彼女は言葉を紡ぐことをやめない。たとえそれが希望と絶望、どちらの道に繋がるのかわからない、どちらの道も有りうる不確かな未来を予感させたとしても、この想いだけは迷いなどなく確かなものなのである。

「あのね、わたし」

 息苦しい、と思った。その時にはもう田中の体温がななしのの体を包み込んでおり、口元にに強く押し付けられた彼の体はその先を口に出す事を許してはくれなかったのである。何が起きたのかといえば一目瞭然で、彼女は田中に抱きしめられていたのだった。
 もはやななしのの頭の中は真っ白だ。告白のために用意していた綺麗な言葉も彼に伝わるようはっきりと言わなくてはという決意も覚悟も、何もかもが消えてなくなってしまった。残っているのはどうしようという、どうしようもない混乱した5文字で、彼女の思考回路内でぐるぐると現れては消え現れては消えを繰り返している。
 耳元に届くのは彼の呼吸する音。こんな間近に彼の顔があるのだ。首元を覆うマフラーにより触れ合う事はないが、布一枚隔てて頬に感じるそれは紛れもなく彼の頬だった。
 彼女の顔は過熱のあまり耳まで真っ赤である。口はうーうーと息苦しさを訴えるように唸ることしかできず、なにかしなくてはと動かした両の腕は震えていてそっと彼の衣服を握ることしかできない。布越しに伝わる彼の温度もまた、熱を帯びていた。



●つづく。

@2013/10/3
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