● 06
郊外にひっそりと建つ喫茶店。大人の雰囲気が漂うクラシック調の店内にはあまり人がいない。しかしゆったりと落ち着いて話をするには最適と言える場所だろう。一番入口から遠い窓辺の席に座る2人はここに来るような年齢としては幼かったが、雰囲気だけはどこか溶け込んでいた。
「……それで? としか言えないわね」
冷たく切り捨てるように霧切響子は言い放ち、コーヒーを一口飲むと音も立てずにカップをソーサーの上に置く。オブラートに包むことをしない彼女のはっきりとした意見は、その向かいに座るななしのの心に真っ直ぐ突き刺さった。
「そうだよね……。ごめんね、響子ちゃん」
「私に謝ったところで何も解決しないでしょう? それよりも」
霧切には気になることがあるらしい。少し考える仕草を見せた。
2人は先輩後輩、友人という中である。端から見れば大人びており落ち着きのある振る舞いをする霧切が先輩のように見えるが、残念なことにななしのの方が1つ年上の先輩にあたる。
ここに2人が居るのはななしのが相談がある、と言って霧切に泣きそうな声で電話をかけたからだ。こうして彼女のために時間を使うことはさして問題ではない。タイミングが悪ければ本来の職、探偵という仕事に時間を割かなければならないが、現在手にかけている事件もなければ特に個人的な用事もなく、要するに程よく暇であったのだ。友人の相談事を聞くぐらい、と思って来たのだが。
「貴女、本当に解決する気はあるのかしら」
「どういうこと?」
「聞く限り、ななこさんの気持ちが見えてこないのよ。必ず曖昧に濁しているわ」
「そんなこと……」
「ない、と言い切れる?」
まるで母親に怒られる小さな子供のようにななしのは俯いて黙ってしまう。その目が見つめるのはまだ淹れたばかりのコーヒーだ。ミルクも砂糖も入れていない手つかずの褐色に染まるそこには、ななしの自身の顔が映り込んでいる。情けない顔だ、泣き腫らしたのが見るからにわかる瞼が憎らしくつい目を逸らしてしまう。
無言の肯定と受け取った霧切もまた、無言で返す。
ななしのからこうして相談という形で呼び出されることは何度かあった。その度に出てくる名前が『田中眼蛇夢』という、言葉にするのも恥ずかしい名前の男の話だった。最初にななしのからその名を聞いたとき、霧切は現実と妄想の区別がつかなくなった彼女が漫画の登場人物の話をしていると勘違いしたものだ。
どう聞いても2人は恋人であり、相談という名ののろけ話を聞いているだけではないかと苛ついたこともある、が昔の話だ。今はただ、自分のことを可愛い後輩として遊びに誘ってくれたり、時には探偵の助手として雑用をこなしてくれるななしのという1人の友人を振り回す、田中という男の存在がどうにも気に食わなくてしょうがない。
「……そんな男とは別れてしまいなさい。その方がななこさんのためよ」
どうせ彼女の人の良さを利用して無理やりつき合わせているのだろう。ずっとそう言いたくてしょうがなかったが、彼女はそれでも楽しそうに彼とのことを話すのだ。きっとそれは、彼女のための言葉にはならない。
しかし今回聞いた、いきなり女の子にキスマークを付けるというのは遺憾である。ななしのも困惑の表情で話していた。自分の友人をここまで困らせて、挙句には泣かせてしまう男に対して我慢の限界だったのである。
本音をそのままぶつけると、ななしの驚いた顔をして霧切を見る。てっきり怒るのだろうと思ったが予想と違う反応が返ってきたため、霧切も普段のポーカーフェイスを崩し、わずかに目を見開いて彼女の返事を待った。
「響子ちゃん、何言ってるの?」
「ど、どういうことかしら」
恥ずかしそうに顔を赤らめて、ななしのは一度だけ深呼吸をしたあと霧切を真っ直ぐに見据えた。
「わたしと田中くんはつき合ってなんかいませんっ!!」
泣きそうなのか、少し鼻が詰まった様な声が店内に響いた。
今更の事実とあまり聞かないななしのの大きな声に霧切は一瞬反応が遅れる。
「……お、落ち着きなさい。声が大きいわよ」
「あわわ、ご、ごめんっ、つい」
落ち着けと言われても頭に血が昇ってしまった彼女は、きょろきょろとテーブルの上を見渡す。そこには自分の携帯とコーヒーしかない。ともなればそのどちらかに手を付けることで気を紛らわすしかない。何か口に含めば落ち着くだろうかとコーヒーに口をつけたが、中にミルクも砂糖も入っておらず、熱も冷めていないそれは彼女の舌にはまだ早かったらしい。
「あっ……つうっ!」
「ああ、バカね。もう」
思いがけない苦さと熱さを一緒に勢いよく流し込んでしまったせいで、口元からカップを放す。カップの中にはまだ多量のコーヒーが残っていたのにそんなことをしたらテーブルに零してしまうのは必然だった。
霧切がテーブルに備え付けてあるナプキンを手に取り、零れた場所をふき取る。
「あはは、ありがとう。響子ちゃん」
「貴女のそういうところ、変わらないわね」
素直にお礼を言いいつもの笑顔を見せるななしのは、田中の事ばかりに頭を悩ませる恋に盲目な乙女ではない。ただの少しドジな、世話の焼けるどうしようもない先輩であり、友人だった。
コーヒーをやめて烏龍茶を頼み直したななしのは冷静な思考を取り戻していた。
「それにしても、聞く限り貴方たちは恋仲にあるものだと思っていたわ。勝手に判断してごめんなさいね」
「いいんだよ。わたしの話し方がそう聞こえてしまうものだったんだろうから」
烏龍茶の冷たさが心地いいのだろうか、ストローで氷をカラカラと回すとまたそれに口を付ける。無邪気な彼女の顔を霧切は見つめていた。どうも子供っぽい部分は抜けていないのだなと安心したような、笑いたくなるような。まるで自分が保護者になったように感じを覚えた。もしかしたら自分が少し、彼女と離れて変わったからかもしれない。しかしななしのはこれでも助手として調べ物を頼めば、割と役に立ってくれるのだから不思議なものである。
店員により霧切のコーヒーのおかわりが運ばれてきた。煎り立ての香りが彼女の鼻腔をくすぐった。
「だけど、これだけは私の見解で間違っていないと思うわ」
「ふぇ?」
「田中眼蛇夢は、ななこさん、貴女に惚れている」
ななしのは顔を真っ赤にさせて霧切の詳しい見解を聞く間、烏龍茶を3回ほどおかわりすることとなった。
●つづく。
@2013/09/08
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