● 05
クラスの中で友達を作るきっかけができた。ななしのにとっては心が躍るような嬉しい出来事であり、揚々とした感情は隠しきれるものではなかった。
そんな浮かれ調子の彼女は本日も足取り軽く、裏庭へとお弁当を片手に向かっていた。彼女がどんなに早くそこへ急いでも、田中は先に着いている。そしてウサギたちを一頻り愛でたあと、自分の昼食を始めるのだ。
今日もやはり彼は先に来ており、ウサギに餌を与えていた。その様はいつ見ても不思議な感覚をななしのに植え付ける。穏やかな表情で彼らと接する田中は、普段の作ったような嘲笑的なものではなく、もっと彼の中身を引き出したような、ありのままを晒け出したようなものに見える。
「よーしよし。そうだ、お前ならば立派な魔獣になれる。人間共を根絶やしにするにはまだ魔力が足りんが、素質はあるぞ……」
網の間から田中に与えられたセリの葉を白いウサギが咀嚼する。言われたことを理解したのかしていないのか、ウサギは小さく首を傾げた。そんな彼らのほのぼのとした場景に向かってななしのが近づく。
「田中くーん! お昼だよっ」
「貴様ぁぁッ! そこへ直れッ!」
「えぇえぇえ!?」
ご機嫌気分も吹っ飛んでしまうほどの威圧感溢れる怒号にななしのは取り乱した。直れ、の意味がわからず狼狽えるが、体育の授業でそんなことをやったと思い出し気を付けの姿勢を取った。
「田中くん……?」
無言で近づいてくる彼に怯える。ななしのの眼前まで来て止まると田中は彼女を見下ろした。身長の高い彼にそうされれば威圧感はたまったものではない。怯えながらもななしのは田中の左右違う、2つの瞳と目を合わせる。ウサギに対するものとは打って変わった静かな憤りを含んだ眼差しだ。
「ななこ、貴様口を割ったな」
「え……」
「俺様が超高校級の飼育委員だと、人間共に広言していいと許可した覚えはない」
ななしのははっとする。そしてクラスの女子たちにそれを言ってしまった自分の声が脳裏に蘇る。確かに、彼女は田中のことを聞かれるあまりつい口を滑らせてしまっていた。
「その失態により俺様の元へ女人共が群を率いて襲撃してきたではないかッ……! この瘴気に満ちた邪気腕に躊躇なく触れようとする者もいれば、破壊神暗黒四天王を拝ませろと懇願し田中キングダムを侵略しようと企む輩も次々と詰め寄ってくる始末ッ!」
女子から女子へ情報が伝わる速度はとてつもなく速い。更に学校という限られた空間であれば、1時間程度で全クラスの誰か1人はその話を聞いているという状況になる。さすれば当然、彼のクラスにもその影響は及ぶわけである。授業の合間のわずかな時間であれば尚更話が広まる速度は増す。
「知将″蜃気楼の金鷹″ジャンPは騒がしくて眠れんと憤慨していた。クッ……俗世の奴ら共の″超音波″(ソニック・ウェーブ)を侮っていたか……。貴様、一体自らがどれ程大きな過ちを犯したのか、理解しているのか?」
ジャンPは今は田中のストール内ですやすやと眠っている。だがそれも今ここにいるからであり、また質問攻めにあえばその安らぎも束の間となってしまうかもしれない。
田中の発言は聞いていて痛いものであるが、本気でそのあたりを演じきっているところや可愛らしいハムスターを連れているという田中の見た目とのギャップもあり、女子を飽きさせなかった。
「わた、わたし……、その、悪い事じゃないと思って、言ってもいいと勝手に判断しちゃって、田中くんがそんな目に合ってるなんて知らなかったの。ごっ、ごめんなさい!」
なんにせよ、自分の発言により田中が迷惑を被っていたのである。既に取り返しのつかない事態になってしまっているのだから謝るより他にできることはない。
「ふっ……謝れば済むと思うのか? 貴様の愚行、万死に値する!」
「しぬの!? わたししぬしかないの!?」
だからといってどうすることもできない。今更さっき言ったのは嘘ですと全校集会なり各教室を回るなりして叫んで来ればいいのだろうか。そんなことは彼女にとって相当な地獄であるが、効果があるとは思えないのは誰でもわかることだ。
しかし田中に許してもらえないことも辛い。
「貴様が心より反省し、尚も我が下僕としてあり続けると忠誠を誓うのであれば……フッ、許してやらんこともない」
ななしのは田中の忠実なる下僕……という設定を出会ったその時から与えられている。何を今更と言えるほどにそのことは日々聞かされてきた。だからここでその関係を終わらせるか、ただ現状ある関係を保つかどうか。何故今になってその選択肢を用意するのか田中の真意は図りかねたが、ななしのの答えは1つしかない。
「うん。忠誠を誓います」
「ほう……後悔しないな?」
「しません。今までだってそうだったんだから、これからも変わらないよ」
「雑種如きが生意気に吠えるなッ! フン……どうやら覚悟だけは立派にあるようだな。そこは認めてやろう」
「許してもらえるってこと?」
この一連のやりとりが意味することはどういうことなのだろう。ななしのは許してもらえる術を彼の言葉から探しているのだが、一向にそれが見えてこないのである。今までも田中の難解な口調に混乱することもあったが、ここまで読めないやりとりは初めてのことで酷く不気味に思えた。
「フハハハハハハ! 詰問に答えただけで許されるとでも思ったか? 否ッ! だが、万死は撤回してやろう。……その代わり、罰は与えねばならん」
死ななくても良い、と言われ安堵したのも束の間。田中がななしのの制服のシャツに手をかける。今まで一度たりとも彼が彼女の身に付けているもの、彼女自身に触れたことはなかった。 なのに今、この状況である。一体何をする気なのかわからない。動揺を隠せずにいるとシャツの一番上のボタンが田中の手によって外された。そこでななしのの頭に一気に血液が上昇していく。
「たっ、たなかっ、く、ん! なに、なんですか、なにを……!?」
「黙れ。貴様に口を開く権利などない」
落ち着いた低い声と田中の真剣な眼差しに怖じ気づくと、それきり何も言えなくなってしまう。それでも恥ずかしいという気持ちは言葉にせずとも体が表してしまうのだ。彼女の顔は頬を中心に紅く染まり、体は熱を感じ始めていた。そんな体の変化が見られる一瞬のうちに、2つ目のボタンが外される。
「ななこ。下僕の証を刻んでやろう」
ぐいとシャツの襟元に手をかけて彼女の肌を露出させ、そこに田中が顔を近づけていく。避けようにも既に田中の左手がななしのの肩を掴んでおり、動くことを許してくれない。
「ひゃっ……!? っく、う……!?」
熱く火照った体の、鎖骨のあたりに彼の唇が触れる。彼女の体温と相反してそれは冷たい。鋭敏な箇所にそんなものが当たれば禁止されようともつい声が口を突いて出てしまうのは当然だった。
首もとにかかる熱を帯びた吐息、小さな吸着音と微かな痛み。それを感じとったあたりで田中が何をしたのか、血液の巡りすぎた彼女のぼやける頭でもそれは明白だった。
「……なん、で……こん、な、ことっ」
「これが貴様への罰だ。フッ、俺様の下僕であることを努々忘れるな」
「だからって、なにもこんなの」
「ななこ、誰が異論を許可した?」
「……ごめんなさい」
羞恥を感じているのはどうやら彼女だけのようであり、田中は至って神妙な面持ちで睨むのだった。
下僕の証、と呼ぶものが上手く付けられたかどうかを確認すると、彼はボタンを閉め直してやり彼女の肩から手を離した。
ななしのははっとして周囲を見る。誰かに今の行為を見られていないだろうか。
幸いここは校舎の窓から四角になっており、まず誰かに見られることもなければ来る生徒もいない。だからこそ田中に群がる女子たちもここまで追ってはこないのだ。2人以外の者が来るとすれば、せいぜい放課後に用務員が小屋の掃除と餌やりに来る程度だろう。 そしてそれは今日も相変わらずの様子で、人の視線を感じることはなかった。
「田中くん……あの……」
「貴様の罪は許された。ククク……俺様が寛容であることに感謝するがいい。さあ、贄を食す時間を始めようではないか! 無駄に費やす時間などないのだぞ。″時の支配者″(クロノス)に刻を止めさせてもいいが、やつと死闘すればまず下界の時間を狂わせてしまうため良策とは言えぬからな」
「そう、だね。早く食べようか……」
まだ胸の鼓動が収まらない彼女とは対称的に彼は普段通りであった。さっさと先にベンチへ座る彼のあとを追う。
せっかくのお昼ご飯だというのに、自分が作ったドライカレーの味も田中の母の作った弁当の味もわからないまま、ななしのは腹を満たし終えるのだった。
●つづく。
@2013/09/07
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