● 04
田中が2個目のかぼちゃパイに手をつける。ななしのは次の行動がとれず、空虚な瞳で彼が食べる様を見つめ続けた。
彼の言葉は至極簡素なもので、たった一言で終わった。それがどういうことなのかと考えれば言葉通りの意味であったが、ななしのの頭の中で整理するにはたった一瞬では微塵も足りない。
「あ、え、たなか、くん。ごめん。今何て言ったっけ?」
「聞こえなかったのか? 希望ヶ峰学園から通知書が届いたと言っただろう」
「きぼうがみね、がくえん……。なんで?」
「超高校級の飼育委員として認められたらしい。フッ、下界の者共に紛れこの能力を隠してきたが……奴らの目は俺様を逃してはくれないらしい。行かねばならんようだ」
おめでとう、という言葉が素直に出てこない。彼の才能が認められ、更にはあの、希望ヶ峰学園への入学を認められたのだ。祝福してやるのが常というもの。なのになぜだろうか。疑問ばかりが、言ってはいけない言葉ばかりが彼女の脳内を埋め尽くしていく。
「……嬉しい?」
弱々しい掠れた声が田中の耳に届く。ななしのは喜んでもいなければ悲しんでもおらず、だが無表情と呼ぶには苦しそうだった。自分の一言が彼女にどんな感情を抱かせたのか、察するという事に関して絶望的に鈍感な田中には想像すらできないのである。だからこそその問いかけが何を意味するのか、気づけない。
「……愚問だな。悦ばしいことに決まっているだろう!」
「そっか。ふふ、おめでとう、田中くん!」
「あ、ああ……ありがとう」
ふわりと笑う彼女はいつもと変わらない優しい声色で祝福の言葉を放つ。彼が気がつかないように、本当に聞きたいことがそれではないということがわからないように。
胸の鼓動が速くなるのを感じる。小さく深呼吸して自分に大丈夫だと言い聞かせる。そう、一言聞くだけだ。
「それで、いつ編入になるの?」
「7つの星の輪廻が巡る頃だ」
つまりは1週間後である。
(……全然大丈夫じゃないや)
鼻頭が熱くなる。隠すように、彼女は最後のサンドイッチの欠片を口に入れる。随分と手に持ったまま食べるのを忘れていたらしく乾いてしまっていた。口内の乾燥も相まって美味しくない。味わうこともなく、流したい涙と共に飲み込んでしまうのだった。
どんなに部屋に引きこもり、寝ずの夜を過ごそうとも現実の朝は必ずやってくる。
目の下に隈を作ったまま、ななしのはもぞもぞと芋虫さながらに布団から這い出た。カーテンを開けるとそこには眩い朝が広がっており、暗闇で携帯を見続けた目に痛かったのか顔をしかめた。
部屋の時計を見ると6時半を指している。昨日のように急ぐことはないが、学校に行く支度をしなくてはならない。
結局の帰り道では下らない話をして特に何事もなく終わった。田中は彼女の家の先にある自分の家に、いつも通り帰っていった。変わったことと言えば彼女がその背を少しの間見つめていたくらいだろう。
ちょうど歯磨きを終えたあたりで玄関のチャイムが鳴る。今日は落ち着いてそこへ向かい鍵を開けて扉を開く。
「おはよう」
「おはようございます。ククク……今日は随分と眠そうだな。貴様の眼が影に侵されているぞ?」
「ちょっと、眠れなくて……ごめん」
「……何かあったのか」
「サイト見てたら夢中になっちゃって」
「ハッ、とんだ愚行だな! そんなことでは覇王の護衛役は務まらんぞ」
「ちゃ、ちゃんとお弁当は持ったから 大丈夫だよっ」
鍵をかけて家を出る。学校までの道を2人横に並んで
歩きだした。
道中、田中の格好を訝しげに見てくる者が何人かいたが今ではすっかり慣れてしまっており、彼等には田中の横でななしのが軽く会釈を返すのである。すると不審者でないことがわかったように、すぐに視線を外す。もちろんそれだけで全ての人に理解して貰える時ばかりではないが、ここ1年と少しで随分と絡まれる数は減っていた。
「ななこよ、本日の贄は何を用意した?」
「ドライカレー作ったよ。田中くんカレー好きだもんね」
「フハハハハハハ! 貴様にしては上出来だ! 特別に褒めて使わそう」
「ありがとう。今日はどんな頼まれごとされてもすぐにお昼はあそこに行くから」
「貴様が雑種どもの願いを叶えてやる能力を持つが故に、逆らえぬ定めの持ち主だとは承知している」
お人好しである彼女は困っている人を見るとつい何かしてあげられないかと考えてしまうらしい。善人、善行に限るが頼まれごとは基本的になんでもこなしてしまう。そのせいかよく雑用を任されたりしている。
しかし影の役者とでも言うのが最も近いであろう彼女の協力は、決して表面化するものではない。気づいたら誰かがやってくれていた、気づいたら終わっていた、気づいたら直っていたなど、彼女が直接的にやりましたとわかることはほとんどないのだ。よってその功績が称えられることもないのである。
「どうしても断れなくて……。なんでだろ」
「……案ずるな。なに、俺様は沈黙と無関心を好む身である。貴様が来なければ孤高の刻を愉しむとしよう。白き魔獣と戯れることも必要な儀であるからな」
あの場所にはベンチの向かいにウサギ小屋がある。愛らしい彼らは田中が近づくだけで嬉しそうに寄ってくるのだ。彼はそこで昼食をとることを常としており、教室で過ごすことは基本的にない。彼曰く教室は俗世の毒が強すぎて気が狂いそうになるらしい。ここが一番澱みが少なく落ち着くと、裏庭を住家の様に好んでいた。
田中ならば授業など出ず、ウサギたちと悠久をすごすことになっても、恐らく飽きることなく生きていけるだろう。それにストールの中には破壊神暗黒四天王が住んでいる。彼らがいる限り田中が孤独に嘆くことはまず、ない。そうななしのは見ていた。
そんな彼にとって、ななしのは自分の必要性を疑問に感じることがある。果たして自分がある日いなくなったところで彼が寂しいと思うかどうか、甚だ疑問に思っているのだった。
校内の廊下は生徒で溢れており、まだ入学して2週間しか経っていない彼らの――田中の恰好はあまりに人目を引きすぎていた。隣を歩く彼女にとっては当たり前の姿だが、奇異の目が田中に集中してしまうのは致し方ない。それだけ異質な恰好なのである。
「またあとでね」
「フン、貴様と締約した覚えはないが、下僕としての自覚があるのならば主の元へ集うがいい」
田中は1組の教室へ向かって歩いて行く。ななしのは3組の教室に入ると自分の席に着き通学カバンから教科書類を取り出した。机の中にそれをしまおうとして、自分の机の前に幾人かの女子生徒が駆けてきたことに気づく。
「……ななしのさん、あの人、なんなの?」
「ちょっと変な恰好してるけど、頭いいって話聞いたことあるし」
「ねぇねぇ、下僕とかって何!? どういう関係!?」
「普通の関係じゃないの!? てか、ストールの中にハムスター飼ってるとかマジ?」
どやどやとやってきた彼女らはななしのに疑問の雨を降らす。うろたえてばかりの彼女だったが、田中のことをしきりに聞いてきているのだと理解して慌てて口を開いた。
「あ、あの! し、質問は一人ずつでお願いしますーっ!」
女子高校生というのは何事にも興味津津らしい。2週間ずっと彼と登校し続けるななしのの姿と2人の摩訶不思議な会話は、十二分に彼女らの好奇心をくすぐる存在足りえていたのである。
●つづく。
@2013/09/05
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