● 05
眠りから目を覚ますと、まだ夢の中だろうかと錯覚するほどに白い、清潔な天井が彼女の視界を迎えてくれた。気怠い意識の中、顔を横に向けてみるがそこにも同じ白のカーテンレールが置かれていて誰の姿も見られない。
あの後、十神がここまで抱え連れてきてくれた。すまない、と謝られたあととにかく安静にしているように言われ、目を閉じている内に眠ってしまったらしい。
授業には出たかったが、さすがにそれは無理な状態だっため、先生に説明をしてくれるという十神の厚意に甘えることにした。今は何時限目なのだろうかと確認したく思い、体を起こす。少し腹部に痛みが残っているが、動けないことはなさそうだ。と、何かひやりとしたものが腹部に触れていることに気づく。
「シップ、貼ってくれたんだ……」
保健の先生だろうか。もしも十神がやってくれたというのであれば、少し恥ずかしい。いや少しどころではない。応急処置とはいえ年頃の女の子がシャツを捲り上げられ、素肌を露わにされたという事実を簡単にそうだったんですかと受け入れられるわけがないのだ。まともに顔を見られないかもしれなくなってしまう、一体誰がやってくれたのかはっきりさせなくては。
一人で羞恥に顔を赤らめていると、部屋の扉が開く音が聞こえた。入ってきた足音はゆっくりとななしのの方へ向かってくる。
「……起きていたか」
開けられたカーテンの間から、十神の顔が覗いていた。
「と、十神くん! あああありがとうね! ここまで運んでくれたり、いろいろと」
「気にするな。むしろ悪いのはこっちだからな。それで、具合はどうなんだ?」
大丈夫だよと伝えると安心した様子でベッドの横に置いてある椅子に座った。
既に体育着から制服へと着替えている彼を見たところ、先ほどの体育の授業は終わっているらしい。ということは眠っていたのが数十分程度ということはなさそうだ。
「お昼休みはもう終わってる?」
「ああ。さっき五時限目を終えてきたところだ。昼休みにも見に来たが、その時は口をだらしなく開けて寝ていたな」
「え!? そんなにひどかった!?」
「到底女の姿ではなかったぞ。よくもあんな醜い姿を晒せたものだ。いっそモザイクでもかけるべきだな」
「すみません、醜くてすみません! 次から紙袋被って寝ます!」
「バカが。窒息するだろう。……そんなに必死にならなくとも、今のはただの冗談だ。つまらんくらい、至って普通に寝ていた」
冗談の割には相当ボロクソに言われていた気がするが、醜態を晒していないとわかればそれだけでいい。寝顔を見られたということが胸をもやもやとさせたが、彼はただ心配して見にきてくれただけだ。何も気にすることはないと心を落ち着けさせる。
とにもかくにも彼の話を聞くところ、二時間程度も寝ていたらしいことから、あと残るは一時限のみというところか。
「無理して授業に出なくともいいが……」
「出る! 出ます!」
予想通りの返答だった。あまりに早い返事に彼女の熱意が確かに感じられて、自然と十神の口元が綻ぶ。
「だろうな。一人で立てるか?」
十神が手を貸そうとしてくれたが、そこまでしてもらう必要はなさそうだ。保健室のベッドも案外柔らかかったため快適に寝ていられたらしく、体が痛いということもない。さすが希望ヶ峰、こういうところにも抜かりがないようだ。
「桑田の奴も、ななしのに申し訳ないと言っていた」
「いや、あの時はわたしが余所見したのが悪いだけで。桑田くんは悪くないよ!」
「フン……本人に言ってやれ」
保健室を二人で出る。廊下の空気を感じると少し肌寒いなと思うが、それは当然のこと。着ているのが制服よりも薄い体育着なうえに、今は冬だ。暖房が効いているとはいえこのままではよろしくない。着替えなければと早足で教室に向かう。
「また転ぶぞ」
「へーきだよ! ああっと、それよりも」
「なんだ?」
「わたしのお腹にシップ貼ってくれたのって保健の先生……かな?」
できればそうであって欲しいという願いを込めて、そう聞いた。
「それは違う。今日は保健教師は出張でいないらしいからな」
その願いはいとも容易く打ち砕かれた。となれば、状況からしてもう残り一名のみしか思いつく人物はいないわけで。その予想はできれば外れて欲しいものだったが、肯定されることしか想像できない。だんだんと頬に熱が集まってくる。
「だったら、十神くんが……?」
「バ、バカか貴様は! この俺がそこまでしてやるなど、あるはずがないだろう!」
嘘を言っているようには見えない、十神の全力の否定だった。
「え、じゃあ、誰が?」
そうなると生まれてくる当然の疑問だが、予想できる人物がまったく思いつかず、わからない。
「さあな。……俺は知らん」
彼でないことは確かで、彼以外に自分を心配してやってくる者といえば謝罪の念を持って来ることが予想できる、桑田ぐらいだろうか。優しい不仁咲やしっかり治療をしてくれそうな石丸。様々な人の顔が浮かぶがいまいちピンと来ない。
あれこれ考えているうちに、気がつくと目の前に教室のドアがあった。
「とりあえずそれは後でいいだろう? 今は着替えてくるのが先だ。授業に遅れてもいいのか」
「う、うん! そうだね」
誰かの優しさに感謝しながら、まだ少し痛む腹部に手を当てる。ありがとう、と心の中で呟くことしかできないのが歯がゆい。
先に教室へ入っていく十神に続いて彼女が入ると、ななしのの元へ一番先に駆けてきたのは桑田で、舞園がその後ろでどす黒い笑みを浮かべていた。
「無事だったんだな! あん時いきなり声かけてホンッッットにごめんな! ななしのちゃん!」
「そんなに気にしなくていいんだよ! わたしの不注意だからっ」
「ななしのさん、怒っていいんですよ? 桑田君、もう少し誠意のある謝り方をした方がいいんではないですか。女の子に怪我をさせるような男ってどうかと思うんです」
「だだだだから悪かったって! 申し訳ないって思ってるッ! だから、その、スイマセンでしたッッ!!」
「ま、舞園さん、もうやめてあげてよぉ!」
不仁咲が必死に止めに入っていたが、舞園の怒りは収まらないらしい。言葉で責めることは止めたが、始終笑顔で桑田を見ていた。そんな中、当事者のななしのはお腹の痛みを忘れて笑ってしまい、むせてしゃがみ込みまたもや謝罪の嵐を食らっていた。
●つづく。
@2012/02/28
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