● 02
しん、と静かで物音一つしない部屋。それもそのはず、厚い防音の壁が他からの騒音を完全に遮っているのだ。普段なら特別な用事がなければ使わない、ここ音楽室に一人の人物の影があった。
「うーん、ここでいいんだよね……」
椅子に腰掛け、入り口や天井に視線を泳がせる苗木。挙動不審なのは、おそらくもうすぐ来るであろう人物を待っているからだ。
手に持った紙切れに目をやる。手のひら大に切られた斜線入りの紙に、拙い字で『放課後、誰にも気づかれないように一人で音楽室に来てください。絶対に一人でだよ!』と書かれているそれは、あの時ななしのに握らせられたものだ。
どういうつもりなのだろう。考えてみても何も心当たりがない。
告白、という線は薄すぎてすぐに消えた。彼女はどこか苗木を敵対視しているところがある。それは最近になってのことだが、それに関して特に思い当たる節はないのが不思議で、それでも嫌われているというのはなんとなく感じていた。だから告白は絶対にない。
そうすると残るは何だろう。嫌いになった理由を言いにわざわざ呼び出したのだろうか。はたまた決闘の申し込みだろうか。
「あっ……苗木くん?」
気がつけば遠慮がちに開かれた扉の隙間からななしのの顔が覗いていた。目が合うや否や苗木の元へ急いで駆けてくる。
「お、遅くなってごめんね! 教室のドア閉めようとしたらレールから外れて倒れちゃって、大和田くんと一緒に直してたの」
「ええ!? いや確かに最近建て付け悪いと思ってたけど! なんで!?」
「引いたら動かなくて、無理に動かしたらバターン!って」
ななしのは超高校級のドジっ子……ではない。しかし不運なのか本人が抜けているのか、普通なら有り得ない失態をよくしでかす。教室のドアがはずれるなどわざと壊そうとしない限りそうそう起こることではないが、彼女ならあり得ると苗木は納得した。
「ってそうじゃなくて! ボクはどうして呼び出されたの?」
「ああそう! そうだよね! 実は聞きたい事があるのです!」
本当にこの部屋には二人以外誰もいないか周りを確認し、苗木に真剣な眼差しを向ける。睨むようなそれに一瞬怯んでしまう。そんな彼にビシリと人差し指を突きつけて。
「霧切ちゃんと、どうやって仲良くなったの!?」
ほんのりと朱に染まった頬が、本気さを伝えていた。なんと言うこともできず、ただただ拍子抜けであった。
隣同士で椅子に座る。苗木が話終えるとななしのの口からは盛大な溜め息が出てきた。特に重要なことは得られなかったらしい。
どうやって、と聞かれても。苗木自身わかっていないのだからどうとも説明仕様がないのだ。気がついたら彼女の対応が柔らかいものになっていて、だんだんといろいろな話をするようになっていった。そんなところである。
ちなみに霧切と苗木が仲良くなったのはつい最近のこと。それまで深く関わりを持つことはなかった二人が、いつの間にか和やかに談笑している。そんな場面を見たななしのは、なぜそういうことになったのか、苗木が一体彼女に何をしたのだろうか。
「わたしだって、霧切ちゃんと仲良くなりたいのに」
疑問と嫉妬を持ち出したら、止まらなくなったらしい。ストーカーもどきの一件がその結果だった。
「だからボクへの風当たりが強かったんだね……」
「うん! お門違いだってわかってたんだけど、悔しかったの。……ごめんね」
「理由がわかったからいいよ。ボクも、聞かれたことに答えられなくてゴメン」
どうしたものだろうか。ななしのはおそらく、霧切に嫌われている訳で
はない。好かれている訳でもない。お互い積極的に会話する方でもないから、だんだんとというのが難しい。何かきっかけでもあればいいのだが。
「もう同じクラスになって一年になるのになあー。明日って、何日だっけ?」
「14日だね。世間一般としてはバレンタインと呼ばれる日だけど」
そこまで言って苗木は気づく。なんだか自分がバレンタインのチョコが欲しいと言っているみたいではないか。欲しいことは欲しいが、無理に寄越せという、そんなつもりはないのだと伝えなければ。
「バレンタイン……」
「あっ、ほら、でも、必ずしも女が男にあげなきゃいけないってルール、最近じゃ薄れてきてるよね。友チョコとかって」
「苗木!!」
「はい!?」
「くん!!」
「え!?」
何かを思いついたのか、ななしのの目が輝いていた。ぐっと力強く拳を握りしめて立ち上がった。
とにかく、元気になったのなら何よりである。さてこれで解放してもらえるだろう、そう思ったとき。
「もうちょっと聞きたいことがあるので、付き合いなさい!」
どうして断らなかったのだろう。誰か、誰でもいいからこの部屋に入って来て助けてくれないだろうかと、熱くなるななしのに付き合いながら、ひたすら願うのだった。
●つづく。
@2012/02/15
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