夢小説 | ナノ


ロマンスは脱走した


 何度目かのゲームオーバーと表示された画面を見つめて、七篠はああと声を漏らした。悔しい、悔しいがその悔しさはどこにぶつけるわけにもいかない。全ては自分のゲームに対する実力のなさが原因なのだから。
 数日前に七海から借りたこのゲームは所謂RPG系の簡単な操作のみのものだったが、強力な武器を手に入れるミニゲームが難しく詰んでしまっていた。それが手に入らなければ今のようにあと少しのところで負けてしまうのである。
 彼女が綿密に作戦を練ることができるような人であれば勝つことも可能であったが、その手のことは苦手なためどうしても先に進めないのであった。

「また負けたのかよ?」

「またって言わないで! もう、次は左右田くんがやってみてよー」

 ベッドに寝転がりながら七篠は左右田にそのゲーム機を差し出す。彼は彼でテーブルの上で機械の部品を広げて弄っていたようだが、そんなことは彼女には関係ない。この部屋に来た時点で主導権は彼女に有るのだった。

「は? いや、オレはそういうのは苦手っつーか、よくわかんねぇし」

「七海ちゃんから聞いたよ? 素質がないことはないって」

 ただむきになり過ぎるところは否めないとも。単純なもので、多少褒めれば彼は作業の手を止めて彼女から差し出されたゲームを受け取り、挑戦してくれるのだった。にやり、と彼女は密かに笑って図書館から借りてきた恋愛小説を読むことに専念する。
 自分のコテージはエンジンやら工具やらであふれていて、新たな作業をするために場所が足りなくなったと、左右田が七篠のコテージにやってきたのはお昼を過ぎた頃のことだった。それがなぜ彼女の部屋に訪問する理由に繋がるのか。彼女が一番彼に優しくしてくれ、何でも言いやすい存在だからである。故に少しだけでいいから場所を貸してくれと頼みやすかったのもまた彼女であったのだ。
 特に何をする用事もなく、部屋を綺麗にしていた彼女は二つ返事で彼の頼みを受け入れた。テーブルさえ貸してしまえば静かなもので、時折気晴らしに話をしてはお互い好きなことをしていた。
 そんなこんなで早3時間経つ。左右田にゲームを預けてからは更に30分が経過していた。何度か七篠の詰んだところまで辿り着いているようだが、成果は芳しくない。
 七篠は読んでいた小説にしおりを挿み込むとそれを閉じた。なかなかに面白く綺麗な話で、こんな恋愛ができたら素敵なのだろうと、彼女はこの物語の主人公と自分を重ねていた。まだ最後まで読んでいないためどんな終わり方をするのかはわからないが、故に様々な妄想を働かせてしまう。
 いつかかっこいい男の人に突然告白されて、キスをされて、謎の追手に追われたりして、それはそれは波乱万丈な人生を送ることになるのではないかと。しかし現実にそんなことはあり得ないため、所詮は憧れだとそんな夢物語はすぐに頭から消してしまうのだった。
 もっと読み進めたいところだが、しかしお腹が空いてしまったのでは集中して読むことができない。ベッドから降り、溜め置いていたお菓子の箱を棚から出してくると、その中からポッキーと書かれたお菓子の箱を取り出した。

「ああー! くっそ……! もうちょっとだったのによォ!」

「さっきも同じこと言ってなかったっけ?」

「うっせうっ……、お、ポッキーじゃねーか! オレにもくれよ!」

「ん、いいよー。はい」

 そう言って彼女は箱の中から一本だけポッキーを取り出すと、自分の口に咥えて左右田の方を向くのだった。それを見て左右田は驚いた顔をする。

「おま、えっ、それって……は、はぁぁっ!?」

「そっちのゲーム飽きたでしょ? ポッキーゲームしよーよ」

 なんてことない、気晴らしに考えたただの冗談だったのだが左右田の方はどうやら本気と取ってしまったらしい。頬を赤く染めて恥ずかしがっているのであった。それが見れただけで七篠には十分である。彼はやはり純情であるということが確認できただけで、なんだか愛しく思えてしまうのだった。

「なーんて、じょうだ」

「や、やってやるよ……!」

「ん、ふへえっ!?」

「テ、テメーが誘ったんだからな! どうなっても知らねーぞっ! ホラ、これでいいんだろ? ……さっさとはいひひひゃがれ(開始しやがれ)」

 困ったことになった。ほんの冗談のつもりであったのに、どうしてか左右田の真っ赤な顔が七篠の目の前にあるではないか。
 彼女にとって更におかしいことは、ソニアソニアとばかり言っていた彼がどうして今、何とも思っていないはずの自分に対してこんなにも恥じらっているのか。そしてこのゲームは下手をしてしまえばいずれは、何とも思っていないはずの自分と唇を重ね合わせることになるわけで。彼の行動の意味がわからず彼女は開始の合図ができないでいた。

「……ほないならほっひはらいふぜ?(来ないならこっちから行くぜ?)」

 彼女の答えを待たずに左右田はさく、さくとポッキーを食べ始めた。あれこれ考えている暇などもう、ない。彼女もまた慌てて食べ始める。甘い甘い、チョコの味が彼女の口の中に転がる。
 焦ったせいで一口目を多く噛んでしまったらしい。一気に顔の距離が縮まってしまい、吐息が聞こえるほどのごく近くに左右田の顔があった。噛むことも飲み込むことも忘れられたまま、舌の上でチョコレートが溶けていく。甘いな、なんて考えて視線をそっと上に向けると、彼と目と目が合ってしまった。そうなるともう、彼女は息をすることさえ困難なほどに体を硬直させてしまう。そしてみるみる内にその体は熱を帯びていき、頬は紅く彩られていくのだった。
 限界と思った彼女は、それでもこういう時には不思議と自分の負けだけは回避したくなるようで、目を瞑って微動だにせずただ左右田が動くのを待つことにした。これが今の彼女にできる、精一杯の行動だったのである。
 彼女の固く閉じられた瞼と紅潮した顔、それに対してまた彼も動くことができないでいた。

(おっ、おい……。なんだよ、これ。して、いいってこと……なのか? いや、でもオレは……)

 しかし彼が動かなければいつまで経ってもこのままだ。彼女が自分に運命を任せてくれたというのであれば、ここは男として意を決しすべきことを成さなければならない。
 ゆっくりと、一つ二つと噛みしめていく。彼女の呼吸が耳によく響く。もう一口噛めば彼女の柔らかな唇が自分のそれに触れるだろう。いかに彼女の顔が熱を帯びているのか、触らずとも仄かに感じられるほどに接近していた。
 甘い言葉も優しい言葉も吐く、弱音を吐いたり減らず口を叩いたりをもする、緩やかに弧を描いては自分の名を呼んでくれる。そんな彼女の清らかな温もりに触れることが、あと少しで叶うのだ。
 それは、彼がいつの頃からか望んでいたことであり、そして密かに積み重ねられていった想いであり、この瞬間がそれを現実にする絶好の機会であることは確かであった。
 あったのだ、が。

「…………っだああああ!! できねえ! ギブ、ギブアップだチクショー!」

 七篠の口に咥えられていたポッキーの重量が軽くなる。途端、そこにあった熱い空気が一気に冷えたように2人を襲った。
 目を開けた彼女は、後ろに片手をつき、もう片方の手で自らの額を抑え悩ましい顔をしている、左右田の姿を瞳に捉えたのだった。
 この勝負の結果は彼女の勝ちである。僅かに残ったポッキーの欠片を冷静に自らの口の中に収めてから、彼女はようやく口を開いた。

「左右田……くん?」

 うーうーと唸っている彼を見て、ひどく胸が締め付けられる。そんなに自分とキスをするのが嫌だったのだろうか。それも仕方がない事ではある。どんなに仲良くあれど、付き合っているわけではないのだから。しかし彼女はどこか残念だと思ってしまうのであった。

「ああくそ、こんな卑怯なことできっかよォ……。七篠にだって選ぶ権利はあるだろーが」

「え……と、どういう……」

「はは……。オレ、やっぱ七篠のこと好きだわ。あのままだったらホントにキスしちまいそうで。その、悪かったな」

 彼は起き上がって何か吹っ切れたような顔をするとあさっての方を向きながら、照れくさそうに自身の頬を人差し指で掻くのだった。七篠と顔を合わせられないらしい。しかしそれでも彼が言葉を紡ぐ度に顔の赤味が増していくのは、彼女にはバレバレであった。

「わ、悪くないよっ!」

 彼女の小さな唇から飛び出した言の葉は彼の目を惹かせた。彼は呆けたように口を開いたまま、彼女の真っ赤な顔と真剣な眼差しをその目に映す。

「……は?」

「だっ、だからっ、左右田くんにキスされるの、悪くないの。むしろそういうの嬉しいっていうかっ、して欲しかったっていうか」

「ったく……七篠の気持ちはよーくわかったぜ」

「け、決してキス魔とか変な意味じゃなくて純粋にですね、あの……!?」

 彼女の唇が左右田の突然の口付けによって塞がれる。乱暴で不器用に押し付けられたものは、彼女の憧れていた恋愛小説の様にロマンチックなものではなかった。
 レモン味などではなくて、ほんのりとかおるチョコレートの味。優しい爽やかな香水のにおいなどせず、機械油の重たいにおい。何もかもが理想とは違っていて、決して綺麗なものではない。
 左右田は彼女の唇を解放すると、らしくない、けれども目の前にいる女の子一人をどきりとさせられるような男らしい真面目な顔をして、ぼんやりと見つめてくる潤んだ瞳と目を合わせた。

「も一回、ちゃんと言わせてくれ。菜々子、す……好き、だぜ」

「わたっ……わたしも、好きです。和一……くん」

 どんなに夢物語のように何もかもが成功しなくとも、素敵でなくとも、かっこいい告白を受けられなくとも、それでも。
 本当に好きな人と想いを伝え合い、ハッピーエンドを迎えて笑顔になれるところは、彼女が空想して望んだ恋愛の形と違わないのだった。



●終わり。


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