夢小説 | ナノ


これは聖戦です。


 そろそろ昼食の時間だろうとコテージを出た田中はレストランへ向かって歩きだす。そんな彼の耳に、背後から駆けてくる何者かの足音が聞こえた。振り向くとお菓子の箱を片手に、満面の笑みを浮かべた七篠がこちらへ向かってくる姿が見えた。
 あまり見ることのない彼女のはしゃいだ様子に悪い予感を感じ、田中は警戒体勢をとる。そんな彼に向って彼女はお菓子の箱を振りながら口を開いた。

「田中くーん! ポッキーゲームやろー!」

 そう言いながら田中の元へ辿り着いた彼女は、よほどそれをやりたくて仕方がなかったのだろう、息を切らせながらもきらきらと無邪気な瞳を彼に向けるのだった。

「なッ……!? た、戯けたことをぬかすなッ!」

 実行した経験はなくとも、その内容がどんなものであるのかは知っていた。故にそれをやろう、と好意を抱いている異性から誘われては動揺してしまうのも無理はない。彼女の期待の眼差しが眩しかったが、簡単に承諾できるような遊びではないことは重々承知していた。
 彼に断られたと思った七篠は悲しそうな顔をして、ポッキーと書かれた赤い小さなお菓子の箱を両手で掴み、拗ねた風に俯いてしまった。

「あ……あれ、嫌、だった? 日向くんや左右田くんはやってくれたんだけど……。でも、田中くんが嫌だっていうなら諦めるね」

 聞き捨てならない言葉が田中の胸を強く打ち、その衝撃で彼は内から襲う衝動に身を焼かれそうになる。

「日向や左右田が、だと……!? くッ……! なんということだ……。俺様意外にもその遊戯に誘われ相手をした者がいるなどとは……ッ! おい、ま、待て。どこへ行くつもりだ?」

「花村くんのとこにでも行こうかなーって」

「きッ、貴様は……! 貴様という奴は……!」

 おとなしい彼女が自分からそれをやろうと誘っている以上、そこに何らかの意図が隠されているに違いない。自分以外の他の人間がそれを知っている、彼女の心を知っている、というのが彼にはどうしても許す事ができなかった。

「よかろうッ! この田中眼蛇夢、この禍々しき呪われた力を解き放ち、貴様との決闘に挑もうではないかッ! 泣こうが喚こうが手加減などせんぞッ! フハハハハハハッ!」

 その言葉を聞いた七篠はぱあ、とその表情を明るいものにさせる。

「わーい! ルールは知ってるよね? 先に口を放しちゃった方が負けっ。ではでは早速……はいっ、そっち咥えてー」

 ポッキーを一本口に咥えて田中が反対側を咥えるように促す。楽しそうに上下にポッキーを揺らす姿は子供のように純粋無垢なものであった。

(フ、フンッ。動揺を誘っているつもりか? しかしこの様な邪悪なる儀式を心得ているとは……。七篠、やはり一筋縄ではいかん能力の持ち主ということか)

「はにゃはふん?(田中くん?)」

「そう急かすな。俺様は逃げも隠れもせん」

 では、と田中は彼女とは反対側のポッキーの先を口に咥える。この時点で既に相当な至近距離であり、目の前に七篠の顔が存在しているという事実を考えただけで彼の顔は赤くなってしまう。

「れはー……しゅたーと!(ではー……スタート!)」

 これは勝負である、それ以外の何物でもないと田中は自分に言い聞かせ、一つ二つと噛みしめていく。彼女もゆっくりとだがマイペースに食べ進めている。すぐに決着がつくだろうと思われたその単純な勝負は、彼女が途中で動きを止めた時点で複雑なものと化した。つられるように田中も動きを止め、彼女の様子を窺った。

(何故だ……? 何故に奴は動かんのだ……!? 不動明王の如く静止したまま揺るがないこ奴の目的は、一体……!?)

 彼女の作戦には余裕があるのか、口元に頬笑みを浮かべ目を閉じてしまっている。そのため田中は彼女に視線による威圧すらできない。八方塞である。
 残り2pも無い、吐息さえ相手に聞こえてしまいそうな僅かな距離で2人は微動だにしないのだった。

(しかしこのまま対峙を続けているだけでは、この″選ばれし者を決めるための聖戦″(セイクリッド・リボルト)に勝利することはできん。かといって言霊を放とうとすればその瞬間、七篠が動き俺様の口から菓子を抜いてしまうだろう。……かくなる上は)

 彼が懸命に思案している間、七篠は悪戯心で胸をいっぱいにしていた。

(日向くんも左右田くんも沈黙に耐えられなくてここでギブアップしちゃったんだよね。恥ずかしがって顔を真っ赤にしてる2人、可愛かったな……。田中くんなんて開始直後から顔赤くしてたし、そろそろギブアッ……!?)

 向こう側の負荷が無くなることを予想してにやにやと余裕の笑みを浮かべていた彼女の唇に、何かが触れる。そして思わず固く結んでいた口を開けてしまい、咥えていたはずのポッキーの先を離してしまう。

「あっ……」

「俺様の勝ちだな」

 そっと瞼を開けて見た彼女の眼前には、するりと口内にポッキーを収めていく彼の唇とそれにより構成されている彼の顔があり、七篠の体温は一気に急上昇する。そしてよろよろと後退りしては力なくその場に座り込んでしまうのだった。

「ククク……。生憎と制圧せし氷の覇王たる者がこのような茶番で無敗の歴史に傷を付けるわけにはいかぬからな。少々手荒な真似をさせてもらったが、悪く思うな。これも無謀に戦いを挑んだ貴様の浅はかさが招いた結果だ。……すみませんでした」

 悠々と語った挙句、自分がしたことや彼女の唇の感触を思い出したら耐えられなくなったらしい。沸騰しそうなほどに真っ赤にした顔をマフラーに埋めながら、彼はぼそりと謝罪の言葉を口にした。
 しかし謝られて困るのは彼女の方である。すみませんも何も、ちょっとした悪戯心で奪われたものはあまりにも大きかった。原因は自分にあるとはいえ、彼のことを好意的に思っているとはいえ、すぐに気持ちの整理がつくはずもない。

「ゆ、ゆるさ、ない……よ? だって、たなかく、わた、わたしに」

「フン。ならば勝者への褒美として、貴様を貰ってやらないことも無いが?」

 田中は自分で何を言っているのかわかっているのだろうか。それはつまり、彼女へ向けた大きな意味を持つ言葉である。熱と、じりじりと照りつける夏の日差しでのぼせきった七篠の頭はうまく働かず、今何を言ったのかという眼差しで彼を見上げることしかできなかった。
 そんな彼女の様子を見て、田中は仕方のないといった風な溜息を一つ吐くと彼女に視線を合わせるかのようにその場に正座する。

「菜々子、俺様は貴様を好いてやっている。よって、その……ええいッ! 察しろッ! ……付き合ってください」

「っは、はいいぃ!?」

「フッ、フハハハハハハッ! 貴様は今、肯定の返事を述べたなッ!? 前言撤回など、み、認めんぞ……?」

 不安げにマフラーの隙間から様子を窺ってくる彼は、照れた日向よりも左右田よりも可愛らしく、彼女の胸をきゅうと鷲掴んでしまうのだった。
 そんな照れた様子を見られないよう、必死にマフラーで表情を隠そうとする田中の手を、七篠の小さな手のひらが包みこむ。お互い初めて触れる相手の温もりに胸を高鳴らせた。

「こんなわたしでよければ、よ、よろしく、お願いしますっ」

「……ッ! こちらこそ……よろしくお願いしますッ!」

 2人の傍らに転がるポッキーの箱の中身は、夏の気温のせいなのかこの場の熱い雰囲気のせいなのか、原型を留めないほどに崩れてしまっているのであった。
 再戦しようかと思って箱から中身を取り出した時にそんな状態であるのを見てしまった七篠は、勿体無い精神で融けたチョコレートがかかった部分を一口食べた。途端につい先ほど起こった事が彼女の脳裏で蘇る。そしてほんのりと頬を朱に染めた。
 彼女は口の中に広がるこの味が何なのか知っているのだ。それは紛れもなく、今しがた始まったばかりの甘い恋の味なのであった。



●終わり。


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