夢小説 | ナノ





 彼の住む家は先ほどの飲み屋街から10分程度歩いたところにあった。おそらく同居している人はいないのであろう、暗闇に佇む家屋を七篠はじっと見つめた。田中が超高校級の希望ヶ峰学園から卒業したとは聞いていたが、あまりにも目の前にある建築物が立派で豪勢なものであり一人で住むにしては大きなもので、思わず苦笑いを零してしまうのだった。
 呆気に取られている場合ではない。彼女はぐい、と田中の服の裾を引っ張り、彼を玄関の前まで連れてきて家の鍵を出させる。

「俺様の……領域に到達したのか」

 歩いている内にいくらか酔いが醒めたのだろう、聞きとり辛かった呂律が今ではもうはっきりとしていた。

「ここまで連れてくるの大変だったんだからね。ではさっさと中に入りましょーっ」

 彼女は玄関の扉が開くと田中の背を押して中に押し込めようとする。ここまですればもう彼女の役目は終わりであり自由の身だ。そろそろ眠気と外気の冷たさに耐えられなくなりそうであった彼女は、早く家に帰って休みたい、という思いに駆られていた。
 明日は休みだ。例え今夜中一人で酔い潰れることになったとしても、一晩眠って酔いが醒めれば自分の身の回りの片付けくらいはできるようになるだろう。少々具合が悪くとも寝ていればどうにかなるものである。それに彼とて馬鹿ではない、どれほど飲めば身に危険が及ぶのかぐらいは酔っていてもわかるはずだ。
 玄関で靴を脱ぎ、ふらつきながらも壁に手をついて廊下を進んでいく彼の背を見つめる。手を貸すべきだろうか、しかし許可も無く人様の家に上がり込むという事実が彼女を躊躇わせた。

「……くッ!」

「あっ、あぶな……!」

 彼が倒れそうになるのを視認するや否や、彼女は許可がどうのという考えなど捨てて彼の元へ駆け寄った。

「田中くん、だっ、大丈夫……!? 気持ち悪い? 吐きそう?」

 持っていたコンビニ袋をフローリングの床に投げ出して、彼の背を優しくさすってやった。くわん、と酒の入った缶のぶつかり合う音が鳴る。袋の中から幾つかの缶が零れ出しては重い音を立てて廊下に転がった。その中にはミネラルウォーターのペットボトルが一本だけ混ざっている。それこそ具合が悪くなったときに必要になるかもしれないと考慮して買ったものであった。
 田中は俯いたままで壁と床に手をつき荒い呼吸を繰り返している。廊下の電器を付け忘れてしまったために彼の表情が彼女には全く見えない。 しばらく背をさすり、声をかけている彼女がどうしようと辺りを見回したところ、そこでようやく手近なところに転がっているペットボトルの存在に気づいた。慌ててそれを手に取り蓋を開ける。

「これ……お水っ! さっぱりすると思うから飲んでっ」

 彼女の差し出したそれを受け取った彼は、飲み口に唇を付けゆっくりと静かに、中身を喉に通していく。爽やかに透き通る冷たい水が彼の体にはいい鎮静剤となったらしい。ボトルから唇を離した彼の呼吸はさきほどよりも落ち着いたものになっていた。

「気分はどう?」

「……フン、いくらかはマシ、といったところか……。感謝する、七篠」

「良かった……! これ以上飲むとホントにどうにかなっちゃいそうだし、今日はもう寝た方がいいよ。寝室まで行くなら手を貸すか、ら、……ぁぁあって、ひ、ひゃあっ!?」

 薄ぼんやりとしか彼の輪郭が分からない暗闇の中、突然どこからか伸びてきた腕に体を捕らえられ、引き寄せられた彼女は戸惑う。酒のにおいと布越しに伝わってくる熱により自分が彼に抱きしめられたのだと気づいた瞬間、彼女は自由であるはずの両手すら動かせずに激しく動揺してしまうのだった。四肢に伝わる熱はおそらく、彼の体温なのだろう。それにつられるかのように彼女の体温も上昇していく。

「あわ、あわわわこここれはどういうことで、ね、寝るんじゃなかったの!?」

「今宵は、俺様の魔力が弱まっている……。ここで好機と見た″組織″の手先による夢魔の幻術に襲われてしまえば、力の暴走によりたちまちこの世界が滅んでしまうやもしれん」

「すいませんよくわかりませんです」

「だが、それを封ずる手が一つだけある」

「えっと……何、なんですか、ね」

「貴様がここに存在して俺様を結界で守護していればいい。夜が明けるまで、な」

 抱きしめられる力が強くなる。押し付けられた彼の体の肉感に、ああこれは夢ではないのだと確信する。もはやどちらの体温なのかわからないほどに体のあちらこちらが火照ってしまっていた。
 こんなところで寝たら風邪をひいてしまう、布団で眠るべきじゃないのかな、買ってきたお酒、どうしようなどとどうでもいい事ばかりがぐるぐると彼女の脳内を駆け巡る。それはこの、彼が自分を抱きしめているという事実をなるべく考えないようにするためだった。
 彼に対してその気が無いのであれば、本当は突き放したり逃げ出したりしなければならないのだろうが、包み込むように優しく体に触れる腕が、寂しいと言っているようでそれを撥ね退けることがかなわないのだ。そこに彼女は愛しさを覚えてしまう。
 結局は抵抗する行動が出来ず、彼の背に腕を回して衣服をぎゅう、と掴む。彼女のその行為に安心したのか、しばらくすると彼の穏やかな吐息が彼女の耳に聞こえてきた。相反して七篠の心臓はまだ激しく脈打っており、眠るどころの話ではない。そして徐々に彼の体の負荷が彼女にかかっていき、それに彼女の体が耐えられるはずもなく、やがては重なる様にして緩やかに2人は床に倒れ込んだ。強打しないようそっと硬い床の上に頭を乗せる。

「……七篠? ああ、ここに居たか。俺様から、離れ、るな……よ……」

 田中は衝撃により一瞬起きたようだったが、何事も無かったかのように七篠を抱きしめ直して、その胸に顔を埋めてまた目を閉じてしまう。やがて規則正しく呼吸する音が聞こえてきた。
 見事に熟睡してしまっているらしい。そんな彼の髪を優しくなでる。思っていた感触とは違いさらさらとした髪質が彼女の指先をくすぐるのだった。

「……一人で居るのが寂しいなら、そう言えばいいのに」

 明日、小鳥の囀りが聞こえる頃、果たして彼はどんな顔をして目を覚ますのだろうか。この状況に陥ったのは自分の行動が基因しているということを記憶していてくれるのだろうか。ほの暗い天井を見つめながら想像を膨らませる。
 胸の上ですやすやと、子供のように安らかな寝息を立てる彼を一度見て、彼女もまた静かにまぶたを閉じるのだった。



●終わり。

| ≫




相互さまとの妄想話で盛り上がってできたはなし。
わたしが書くと甘くならないのはどうしてなのか…!



back top
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -