夢小説 | ナノ


しんぐ・あ・そんぐ


 授業と帰りのホームルームが終了したが、毎日の記録簿をつけている石丸はまだ机に座って淡々と自らの仕事をこなしていた。そんな熱心な彼にクラスメイトの大和田や桑田が声をかけるが、もうすぐ書き終えるから黙っててくれの一点張りだった。
 いつもなら一日のことを書くだけで、しかも慣れた作業であるためすぐに書き終えるのだが、今回に限っては一週間分をまとめた文を書かなくてはならないのだ。石丸自身がやると言い出したことだが、いかんせん書く量が多い。更には自分で文章を考えなくてはならないため、他の者にとってはよくもまあ、といった具合に面倒なものにしか見えないのだった。

「……よし、終わったぞッ」

「おお、早ぇ! っしゃー、そしたら今日は石丸もゲーセンに連れてってやる! ホラ、さっさと行こうぜ!」

 石丸が作業を終えるのを待っていてくれたらしい、桑田が率先して誘いの声をかけてくれた。しかし石丸は難しい顔をして考え込んでしまう。

「ゲーセンとは、この間君達と行った場所か?」

「そうだぜ、兄弟。覚えてくれてたみてーだな!」

 大和田が嬉しそうに笑った。この間一度ゲームセンターに石丸を連れて行ったのだが、その際の彼の挙動不審っぷりたるや恐ろしいものであった。おそらく人生の中でそこに行ったのはその時が初めてだったのであろう、何もかにもが新鮮らしく一から十まで大和田に聞いていた。彼もそれなりに楽しんでいた様子ではあったが、やはり風紀委員としてはよろしくないと感じてしまうのだろう。

「いッ、いかんぞッ! あのような不健全な場所は滅多に行くものではないッ!」

「石丸っち行かねーんだか? たまには息抜きも必要だべ……」

「誘ってくれた君達には申し訳ないが、断らせていただく。すまない」

「やっぱりかー。ま、そうかなとは思ってたからよォ、気にすんな。またなんかあったら誘うわ」

 桑田はへらへらとしていて、あまり気にしていなようだった。ダメ元でも誘ってくれるところは彼らの優しいところである。その優しさに感謝しながら彼らを見送ろうと立ち上がる。そして教室を見渡したが、何かに気付いたようでまた難しい顔をしてしまった。

「どうした、兄弟。……あぁ、七篠だろ」

 その背後から声がかかり、石丸がはっとした顔で振り向くと何もかもわかったような顔で大和田が自分のことを見ているではないか。

「なっ、なんのことかね?」

「水臭えこと言うなよ。もうみんな知ってんだぜ? オメーが七篠に必ず挨拶してから帰るってことから……な」

「ぼ、僕は決してやましい気持があってそうしているわけではない。あくまで、クラスメイトとして、必要最低限の挨拶をしているだけだッ」

「自分で気づいてねーの? 七篠の前でだけ動きがオカシーから、バレバレだっつーの!」

 石丸はそれ以上何も言えなくなってしまった。正確にはまともに反論できなくなってしまっていた。ぽつりぽつりと事象を否定する単語は口から漏れているが、もはやそれは理に適ったものではない。

「桑田君、そろそろ意地悪も止めてあげてください」

 そこに救いの手が入る。舞園さやかの美声が故障しかかっていた石丸を現実へと連れ戻したのだ。教室に残っていたのは当然男子だけではなかったのである。

「舞園ちゃん! や、これは別にそういうんじゃなくてさァ……」

 舞園への弁解におろおろしている桑田を余所に、セレスが石丸の側に歩み寄る。

「殿方はもう少しデリカシーというものを持った方が良くってよ……ふふ、石丸くん。七篠さんなら音楽室へ向かいましたわ」

「すまない、いつかこの恩は必ずや返そうッ!」

「あらあら……では今度、紅茶でも入れていただこうかしら」

 セレスはわざわざ他人へ優しく助言をしたりはしない。恐らくそれが狙いであったのだろうが彼はそのことに全く気付いた様子はなく、素直に感謝するのだった。
 修羅場になりつつあるその場を離れて、音楽室への道を競歩のように進む。廊下を走ってはならないのという規則を風紀委員として破ることは許されないのだ。
 息を切らしながらようやくの思いで4階の音楽室の前までたどり着いたとき、石丸の頭をある考えがよぎった。

(僕はどうして、七篠君の居場所を聞いて、そしてここへ来たのだろう?)

 そもそもは彼女が教室に見当たらなかったという些細なことがきっかけである。ただそれだけの話であり、ただそれだけの事実だった。彼女がいないことによってさようならの挨拶ができなかっただけであるのに、何故ここに来てしまったのだろうか。
 音楽室の扉は目の前にある。まだ開けていないそこをそのままに帰ってしまってもいい。なのに自分の体は何かに突き動かされるように扉の取っ手に手をかけて、開けてしまった。
 開いた微かな隙間から流れてくる透明な歌声に息を飲む。

「……っわあぁあぁ!? 石丸くん!?」

 歌のない音楽が流れる。ボーカルのないそれを流しながら舞台の上で歌っていたらしい彼女は慌ただしく舞台袖に向かった。石丸が来たことにより一旦音楽を止めようと思ったのだろう、やがて音楽は止まり七篠が姿を現して入り口へ駆けてきた。

「どうして、ここに?」

「セレス君から七篠君はここにいると聞いて……」

「そっかぁ」

「邪魔してしまってその、申し訳ない」

「気にしないで。ちょっと歌いたかっただけだから」

 恥ずかしそうに彼女は言う。彼女は歌や音楽に関する超高校級ではないのだが、歌うことを趣味としている。歌唱力はそこそこあるようで、女子たちとカラオケに行くと舞園に次いで上手いと誉められていたようだ。
 所詮趣味とは言えど、少しでも舞園のように世間に認められるぐらい上手くなりたくて、今日はここで一人で練習していたのである。先ほどの音楽を素早く止めた点から見て、使い勝手がわかっていると考えられる。おそらく何度か繰り返し利用しているのだろう。
 しかしこのことはあまり人にしゃべってはいない。が、秘密という大それたものにもしたくはないため、誰かにバレたとしてもそれはそれだと思っている。

「わたしを捜してたの? 急ぎの用事?」

「い、いや、用は無いのだが……その……」

 詰まるところ、彼女に会いたかっただけなのだ。1日の最後に七篠という気になる女の子に一言、たった一言でもいいから声をかけたい。シャイな男の子の細やかな願いだ。
 ところが今日は彼女が見当たらず、どこかもやもやとしていた。そのもやもやの正体が彼女と会話を交わすことができなかったからということに、石丸が気づけるわけもない。

「七篠君の姿が無かったから、気になっただけなのだよ……。その、いつも、別れの挨拶を交わしてから帰るだろう」

「そうだね。あはは、石丸くんたらわざわざ挨拶するために来てくれたの?」

「ああ、そ、そうだッ! 僕は君と挨拶を交わさなくては帰りたくないのだッ!」

 帰れない、のではなく帰りたくない。それは明らかに石丸の個人的な意志が入ったセリフであった。
 不自然な言い回しにきょとんとした顔をする七篠、そして自分の発言が少しおかしいことに気づき石丸は訂正しようとするが、その必死さに七篠は笑みを溢してしまう。

「石丸くん、今度は合唱曲かけるから、良ければわたしと歌ってくれない?」

「僕は構わないが、七篠君の邪魔にならないだろうか?」

「ならないよ。石丸くんなら合唱曲を完璧に歌えるもんね。だから、ハモりの練習になると思うの。わたしがアルトを歌うから、石丸くんは主旋律のソプラノをお願い」

「そういうことであればお安い御用だ。任せてくれたまえッ」

 だったらそこに立ってて、と舞台の上を指で指し示す。しばらく彼がそこで待っていると、石丸の知っている、けれども決してカラオケには入っていないようなゆったりとした旋律が流れ始めた。駆けてくる彼女は石丸の隣に並ぶ。

「よろしくね、石丸くん」

 その口から流れるように紡がれるメロディは、石丸の歌声にそっと寄り添うような、優しさに満ちたものだった。どうしてここに来たのかと聞かれたならば、きっと今なら答えられる。この歌に包まれてみたかったのだと。



●終わり。


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