● COCK COCK まだ昇りきっていない太陽と薄暗さで少し寒気を感じるような朝の気温の中、七篠のコテージの扉が開く。出てきたのはもちろん彼女本人である。
ふあ、と小さく欠伸をしながら辺りを見るがこんな早朝に誰かが起きているわけもない。どうやら無駄に早く起床してしまったらしく、散歩にでも行くかとコテージの扉を閉めて、静かな夏の島へと歩み始めた。
砂浜に届く波の音だけが唯一、島の静寂を破る。それでも激しくはない波の打ち付ける音は七篠の心を乱すことはなく、ただ砂と戯れていた。
昼間みんながいるときの賑やかさと比べたらどんなに違うことか。なぜだか知らない世界にいるような錯覚に陥り、少し楽しくなってきた彼女の視界に先を行く人影があった。長いマフラーをゆらゆらと風に遊ばせて歩く姿は、そう、田中のものに違いないだろう。
何をしにどこへ行くのか。はっきりと目的地が決まっているようで、彼は背後を尾ける七篠の存在にまるで気づいていない。隠れるところもなければ足音を紛らわすための雑音もない一本道で、ただ後ろをついて行く。
やがて辿り着くのはこの島の、誰がどう管理しているのかわからない牧場だった。彼はそこへ迷いのない足取りで入って行ったきり出てこなくなってしまった。
入ってみるか、それともこのまま何も見なかったことにして帰ろうか。入り口でうじうじ悩んでいたが、やはりここは入ってみるべきだろう。田中はあの超高校級のメンバーの中で一番よくわからない人物であったが、彼のことを知る良い機会になればいい――そんな一縷の望みを抱きながら、七篠はそこへ足を踏み入れた。
牧場の、養鶏場の薄暗い小屋の中に彼の姿はあった。小屋の中で放し飼いのようにされているニワトリたちは、居る場所は様々であれど眠りについているのかおとなしい。
そのうちの一匹の前に彼はしゃがみこんでいる。
「あの……なにしてるの?」
入ってみたいという気持ちと彼に声をかけなくてはという気持ちが相まって出た言葉はそれだった。小屋の中に一歩、足を踏み入れた。
彼女の存在に気付いた田中は赤い方の瞳で彼女を睨む。
「……黙れ、雑種。外にいろ。それ以上歩むことをすれば、命は無いと思え」
低く小さな声で彼は言った。
やっぱり彼はよくわからないし怖いもう帰ろう、と思う。純粋に、やはり彼はわからないのだ。日向曰く素直じゃないだけらしいがどうしてか、七篠には怖い人としての印象が強いのだ。それはきっと彼のことを『超高校級の飼育委員』という肩書でしか記憶していないからだろうと、彼女はわかっていた。ならば話をして知るしかないのだが、どうきっかけを掴むべきかそれすら当てがないのである。
小屋の外に出て、ああやっぱりだめだなあと一人肩を落とす。しかしここで諦めてしまっては本当に、彼と仲良くなるきっかけを失ってしまうかもしれない。彼は『帰れ』でもなく『失せろ』と言ったわけでもないのだ。『外にいろ』と、そう言っていたのを思い出す。
(ちょっと待ってみようかな)
仄暗い小屋の中から田中が出てくるまでと、牧場に設置された頑丈な柵に寄りかかり彼が出てくるのを待つ。ちゅん、と小鳥がさえずる声が聞こえてくる。もうすぐ夜明けなのだろう、空が淡く白んできたようで七篠は海が見える方へ顔を向けて眩しげに眼を細めた。
「わっ……あ!? 何!?」
突如聞こえるニワトリの鳴き声。明らかにそこの飼育小屋から響くものだった。それにしても大音響である。
その初めて生で聞く声に驚きながら小屋を見ていると、中から一匹のニワトリを抱えた田中が現れた。
「ククク……魔獣の雄叫びに恐れを生したか? 奴らは貴様より上級の次元に身を置く者達だ。フン、貴様など端から相手になどされていない。脅えるだけ無駄というものよ……」
「び、びっくりしただけだもんっ」
「吠えるな雑種が!」
「ひぃっ」
大きな声で鳴くニワトリよりも田中の方が今はよっぽど怖い。
怒っている様に見える彼が自分の方に近づいてくるのがわかったため、どうしようと脳内で思考を巡らせる。だめだ、ここには逃げ場などない。
田中の抱えるニワトリに目が行く。どうしたことだろう、立派な鶏冠を持つその一匹は低く唸っている。元気がなく、弱々しそうな様子は先ほどの鳴き声を上げられるようには到底見えなかった。
「その子、どうしたの?」
「……魔獣といえども心は硝子細工のように繊細だ。咆哮を上げられぬときもある」
つまりは、なんらかのストレスによって鳴かなくなってしまったニワトリの様子を見に来ていたらしい。田中がいつから早朝に彼らの様子を見に来ているかはわからないが、飼育にかける彼の熱意はやはり相当のものである。
「ニワトリさん、抱っこしてみてもいい?」
「ほう、臆さず立ち向かうというのか。……丁寧に扱え。さもなくば貴様は毒の刃により制裁を受けることになるだろう」
「う、うん。気をつけます……」
「羽を押さえながら掴め」
そっと手渡されるニワトリは大人しく、不規則に首を動かしている。ふわりとした羽の感触とヒトと同じ、生きとし生けるものの体温が腕から伝わってきた。おそるおそるふわふわの白い羽毛を撫でてみると、予想よりも硬くしっかりしていた。繰り返し撫でていると心地いいのか、こここと嬉しそうに鳴いた。
「かわいい……」
その様子を見ていた田中が、驚愕の表情を露にした。
「貴様……! 魔獣を手懐ける術を会得している、だと……!? 馬鹿なッ、この島に俺様以外の術者がいるなどありえんッ!」
「え? なんのはなし……」
「フハハハハハ! 悦ぶがいい! その魔術を以て覇王に仕える許可を得たことをな!」
ニワトリも七篠も首を傾げて田中を見る。
「田中くん?」
「七篠、貴様を鳥術の使い手として認めてやろう」
「あ、ありがと……う?」
鳥を扱うことに長けている事実はないのだが、今のニワトリへの接し方が彼のお気に召したようだ。満足気に笑っている。
「フッ……己の未熟さを改める気があるのならば、明日もこの場所に、来い。手解きをしてやろう」
朝日に照らされて太陽の暖かさを感じる。きらきらと輝くような始まりの朝だ。どこか爽やかな気分にさせる風がそっと頬を撫でる。こんな朝も悪くないかもしれない。希望に繋がる何かが生まれそうな、そんな予感がした。
●終わり。
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