夢小説 | ナノ





 お腹がいっぱいになったところで解散する。さっきのことなどもう忘れてしまったようで、そこには思い思いの時間を過ごすみんながいた。七篠はといえば、内心誰かに問い詰められるような気がしてビクビク怯えていたが、七海の無言の微笑みにより食事後はすっかりいつもの調子を取り戻していた。

 そんな、誰もが日常に戻ろうとしていたときである。

「……ん? 狛枝くん?」

 後ろから肩を叩かれた七篠は振り向く。そこにはにっこりと笑った狛枝がいた。

「やぁ、七篠さん。ちょっといいかな」

 七海と共にレストランをあとにしようとしていたのだが、そこを呼び止められる。どうやら話があるのは七篠に対してだけらしく、七海には一瞥もくれず真っ直ぐに七篠だけを見ている。
 ちら、と彼女が七海の方へ視線をやると、いいよとでも言うように軽く頷いてくれた。

「……うん、いいよ。どしたの?」

「ありがとう。キミのそういう優しいところがボクは好きなんだ。ああ、ここじゃなんだからさ、場所を移さない?」

 さりげなく告白してくるが、これは毎日のように彼が彼女へ言っていることである。よって誰も気に留めない。言われた本人も毎日相手をしていられないので、さらりとなかったことのように流してしまうのだった。

「わかった。どこならいいかな」

 まだ行くところを決めていなかったらしい狛枝は、少し考えた後、最初にみんなで集まっていたビーチを指定した。



 ビーチにはもちろん誰もいない。寄せて返す波の音とうみねこの鳴き声だけがそこにあった。陽は夕飯の間に沈んでしまったのだろう。薄暗くはあるが、まだ少し明るい。

「さてと、まずはボクの話を聞いてくれるかい?」

「どんな話? わたし何かしたっけ?」

「そんな困った顔しないでよ。大丈夫、そんな難しい話じゃないからさ」

 よくとんでもないセリフを吐いている人間に言われても、全く説得力がなかった。
 狛枝が自分の懐に手を入れて、何かを掴む。そこから現れたのは一枚の折り畳まれた紙切れだった。

「それ……!? どこで拾ったの!?」

「あ、やっぱり七篠さんのだった? 今日掃除当番でさ、たまたまロビーの隅から隅まで掃除してたら、ソファの下から出てきたんだよ」

「そっか、やっぱりロビーに……。ありがとう、返してもらえる?」

 ほっと安心したように和やかな表情を浮かべる彼女は、当然自分のものであるのだから返して貰えるだろうと右手を出した。

「えっ」

 その差し出した手に紙が乗せられることはなく、狛枝の手がその腕を掴み、前へと引っ張られることになった。
 そして目の前には狛枝の胸しかない。急な展開に戸惑う彼女は残った手で身を守ることもできず、顔面をそのままそこへダイブさせてしまう。

「ん……うっ! な、なに、こここまえだくん!?」

「ごめんね。でもさ、七篠さん。ボクはこれをキミに返すわけにはいかない。ううん、返したいと思わないんだ。……例えキミに嫌われることになっても、ね」

 狛枝は両腕で七篠を抱きしめる。彼女はひゃ、という短い悲鳴を上げることしかできなかった。突然の抱擁に対応できる冷静さなど持ち合わせているわけがない。ふわふわと柔らかな狛枝の髪が頬に触れている。彼の体温が全身に伝わってくる。彼の細かな息遣いが聞こえてくる――

「――『あなたのことが好きです。話しかけられるたびに、いつの間にか心を奪われていたようです』……だっけ? 宛て名も差出人の名も書いてなかったけど、キミの字だってことはすぐに気づいたよ」

 一気に七篠の顔が紅潮していく。あの紙切れが恋文だということは、読んでしまった彼にも、また書いた本人であり失くしてしまった彼女に取っても明白な事であった。

「ひ、ひど……」

「酷い? そうかな? ホントに酷いのは七篠さんじゃないの? ボクがキミのこと好きだってこと、気づいてないワケないよね。あんなに毎日告白してるのにさ」

「う、うう」

 毎日のように好き、と言われているのだから気づいていないわけがなかった。ただそれも連日言われていれば当たり前の行為に見えて、本気なのかどうかわからなくなっていたのも事実であり、七篠が感じていたことである。

「誰に渡すつもりだったのかわからないし、それを防いだとしてキミがボクを好きにならないことはわかってる。だけどさ」

 優しく頭を撫でながら語られる彼の気持ちは、痛いほど彼女に伝わっていた。いつの間にか狛枝のジャケットを力強く掴んでおり、その手は小さく震えていた。

「阻止できるものなら、阻止したい。これをボクが見つけたのもまた幸運だというなら、ボクはそれを信じて行動する。キミが他の男と仲良くしてるとこを延々と見せつけられるなんて、気が狂ってしまいそうだからね!」

「そんな、こと言われて……も……」

 焦る彼女の思考を埋め尽くしているのは、照れや恥ずかしさなどではなく、全く別のものだった。できる限り狛枝に顔を見られないよう、彼の胸に顔を埋めた。

「あれ、どうしたの?」

(書きかけで、失敗作で、しかも狛枝くん宛に書いたって、そんなの言えるわけない! 言える空気じゃない!)

 狛枝の毎日告白しに行くという行為は幸運にも、彼女の気持ちに影響を与えることができていたらしい。図らぬところで両想いだったのだ。
 しかしここでそう言ってしまう訳にはいかなくなった。どうにか嘘をついてごまかすしかないだろう。

「……実はあれ、書きかけなんだ」

「ふうん」

「だから誰かに今すぐ渡そうとか考えてもいなから、安心してください。……ってことで!」

 一瞬のことだった。安心したのか狛枝の腕の力が緩んだ隙に、七篠はするりと身を屈めてそこから脱した。また捕まることのないようすぐに距離をとる。ぽかんと口を開けていた狛枝はしかし、追いかけることはなかった。

「ねえ、その人は完成するまで待っててくれるかな?」

「さあどうだろうね」

 とても楽しそうに彼は言う。その手にはしっかりと小さな紙切れが握られていた。




●終わり。

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