● ホワイトデー@石丸変換なし その背中を見つけた時、明らかに普段と雰囲気が違うことにすぐに気がついた。どんよりという形容詞が一際似合ってしまう彼の今の姿は、朝の清々しい天気とはまるで正反対である。声をかけるべきか迷ったがかけないのも可哀想で、早足で追いつくと背中を軽くぽんと叩いた。
「ななななんだね!?」
「驚き過ぎだよー。おはよう、石丸くん」
「う、うむ。おはよう!」
暗い顔をすぐに切り換えて彼女の方を見る。キリッと締まったその表情はなんらいつもと変わらなく、先ほどまで肩を落としていた彼と打って変わって輝いていた。
見間違いだったのだろうかと見紛う程の変わりようである。彼が誤魔化すのが上手いことは既に知っていたため、気になるのは当然で。
「さっき落ち込んでなかった?」
「うッ……それは……」
疑問を投げかけるとやはり図星を突かれたらしく、観念して悩ましい表情へと顔色を戻した。
「実は……僕はキミに謝らなければならないんだ」
「謝る? 思い当たることがないけど」
石丸にはよくしてもらっている。勉強を教えてもらったり、何かと頼まれ事をすれば手伝ってもらったり。謝らなければならないのは逆に彼女の方だと言えるくらい、彼には世話になっているのだ。酷いことをされた覚えはないし、最近彼のせいで悪いことが起きた記憶もない。
さっぱり心当たりがなく困った顔で考えていると、彼女が思い出すより先に石丸が口を開いた。
「キミは、バレンタインに僕にチョコをくれただろう」
「うん。それは覚えてるよ! ……おいしかった?」
あの日貰ったチョコレートは脳裏にまだ色濃く焼き付いていた。彼女の好きそうなファンシーな箱を開けると、丸いチョコレートケーキが姿を現し、高鳴る鼓動をそのままに一口食べてみれば、瞬く間に手作り特有のできたて感と柔らかさが彼の舌を包んだ。気がつけば夢中で平らげてしまっていたことを石丸は忘れていない。
「もちろんだッ! 丁寧に作られていて、甘さは控え気味なのが僕の口には調度良かったぞ! あんなおいしいチョコレートケーキは食べたことが……ッと、そうではなく!」
上目遣いで少し照れくさく聞いてきた彼女に勢いよく熱弁してしまったが、語るためにバレンタインの話を持ち出した訳ではない。咳払いを一つして話を仕切り直す。
「今日はホワイトデーだそうではないか。チョコをくれた者にお返しをするという」
「そっか今日がホワイトデーかあ。だから昨日セレスちゃんたちがウキウキしてたんだね」
一体どんな物を期待しているのかわからないが、山田に向けて『明日はホワイトデーでしたわね。私、三倍返しでなくては満足できませんの』と言っていたことが記憶に新しい。でぶでぶ震え上がっていた山田がとても哀れだった。
ほのぼのとした放課後を思い出していると、次の瞬間、石丸は何を思ったか彼女の目の前に正座すると、地面にぶつかる勢いで頭を下げたのだ。
「石丸くん!? なに、どうしたの!?」
「……許してくれたまえ。学問を本業とする場にお返しの品を持って来ることは……僕には不可能だったのだッ! キミの厚意を無碍にする形になってしまって、本当に申し訳ないッ!」
申し訳ない。その言葉を繰り返しながら激しく何度も頭を下げる彼の額は徐々に赤くなっていく。地面に当たるほど激しく頭を下げているからだ。鈍い音が彼女の耳にも聞こえていた。
しかし一般の女の子がいきなり目の前で土下座されて動揺しないはずがなく、少しの間何が起こっているのか理解できず目を丸くしてただただ彼を見ていた。
学園で渡さなくとも寄宿舎に帰ってからゆっくり放課後に、という手が思いつかないはずがないのだが、残念なことに彼女は自宅から通いの生徒だった。授業が終われば帰ってしまう。
お返しを用意しないべきか、風紀委員という肩書きを無視してでも用意していくべきか。もちろん一人で答えを出そうとしたわけではない。大和田に相談すべく朝早くから彼を外で待っていたのだが、当日では手遅れだったようだ。校門と玄関を行ったり来たりしているうちに大和田よりも彼女の方が先に来てしまった。
目の前で涙ながらに謝り続ける彼を見れば、一晩中悩んだであろうことが容易に想像できる。
(どうしよう、どうしよう……!)
はっとしてとにかく止めなければということに気づき、膝を付いて彼の肩に手を置く。
「ストップ! ストップだよ! まず落ち着いてっ!」
さっきまで聞こえていた鈍い音が止む。その正体が勢いよく額を地面に打ち付けている音だと気づいた時、既に彼の額は血が滲むほど赤くなっていた。
「しかし僕はこうでもしなければキミに顔向けができない。まだまだ誠意は伝わってないだろう?」
「もももう十分伝わったから大丈夫だよ! 顔上げて、お願いだから!」
彼女自身はホワイトデーのこと自体重要視していなかったため、本当に気にしていないのだ。お返しは貰えたらラッキー程度にしか考えていなかった。それなのに、こんなに謝られる事態になるとは。予想の斜め上過ぎて彼が心配になってしまう。
少しでも迂闊な事を口にすればまた土下座し続けんばかりの勢いだ。石丸を止める彼女もまた必死で。気にしないでなど、ひたすらに言葉を投げかけるがなかなか彼も強情なもので、執拗に自らを責め立るのだった。
何度か繰り返した制止が効いたらしく、彼はようやく土埃を払いながら立ち上がってくれた。普段と変わらない爽やかな顔に戻っているところを見て一安心する。
「本当にいいんだよ。味の感想聞けただけで嬉しいから」
「キミの心の広さには感服する……ッ! 自分の未熟さを痛感したよ。さあ、気を取り直して教室に向かおう」
先を歩き出す彼に続いて後ろから追うが、このまま教室へ真っ直ぐ向かうことに疑問を抱く。
「ちょっと待って。石丸くんそれ……ほっとくの?」
「何か僕の顔に気になる物でも付いているかい?」
気になるどころでなく気にして当然だろうというものが、石丸の額にはあった。先ほど打ちつけたばかりのそこは赤く、見るからに痛そうである。
「さっき強く打ったから……。保健室行こう!」
「なに、日本男子たるものこれくらいどうということはない」
「病原菌はどっからやってくるかわかんないんだよ。消毒だけでも!」
風紀委員の自分が処置をおろそかにするというのもいかがなものか。彼女の手前強がってみたが心配してくれているのがわかると、ちらりと腕時計を確認した。
「そうだな……うむ、まだ時間はある。治療してからでも遅くはないな!」
「ね、でしょ。そうと決まったら!」
しかし一難去ってまた一難。彼女の気苦労はこれで絶えず。石丸には教室には厳しい女性陣からの怒涛の責めが待ち構えている。騒々しい白い日は、まだまだ始まったばかりだった。
●終わり。
clap thanks!!
@2012/03/16
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