夢小説 | ナノ


サクリファイス


 昔から七篠は他人と物事を決めるのが苦手だった。優柔不断、という訳ではない。自分のした選択が相手も喜ぶのかどうか、顔色を伺ってしまうからだ。
 何して遊ぼうか、お人形遊びはどうか、ああでもあの子は好きじゃなかったな。でもわたしはおままごとが好きじゃない。でもでも、じゃあ、どうしたらいいんだろう。
 だけど『なんでもいい』と言われると結局自分が決めるしかなかった。周りもそれを彼女に期待していたのだ。彼女の『なんでもいい』には誰も応えてくれないのに。そして『なんでもいい』はなんでも『良い』訳ではないのに。

「では、七篠くんはどうしたいんだ?」

 静かな教室の中、はっきりとした声が響く。石丸と七篠だけがそこに残っていた。他のみんなは気を利かせてとっくの昔に退室してしまっている。

「……わからないの」

 そう複雑な話ではなかった。ただ、石丸が先輩からの言伝を口にして、七篠は訳がわからなくてそのまま答えずにいた。彼も彼でこんなことを聞くのは初めてだったようで、緊張し、焦っている。きっと七篠に聞いて返事を教えるまでが頼みだと彼に重ね重ね教えたのだろう。言われた頼みごとは完璧に引き受ける彼に。それを遂行するには、七篠の返事が不可欠だった。

「もう一度聞こう。彼は君のことが好きだと言っていた。それに対して何と、答えれば良い?」

 ぐるぐると頭の中に思考が生まれては回り生まれては回り、パンクしてしまいそうになる。
 早く応えなければ、彼が困ってしまう。自分の心は決まっている、だけどそれは先輩を傷つけてしまうことであり、しかしそれを回避することは自分を犠牲にすることで、それは嫌で、だけどそうしなければ上手くやっていけなくなるんじゃないだろうかと不安で、だから一番いい方法を模索する、わからない、正解など見つからない、こんな事例は初めてで、ならばどうすればみんなが幸せになれるのだろう、答えは簡単だ、そうそれは。

「――いいよ。付き合うって言っておいて」

 震えた喉から絞り出せるのは結局本音とは違うものだった。

「そうか。では彼にはそう伝えてくるぞ」

「……うん、お願い、ね」

 馬鹿みたいだ、と。好きでもない人と付き合うだなんて、本当に何を言っているのか。
 人に好きになってもらうというのは素直に嬉しいものだが、あまり話したこともない人に、更に人伝に告白するような人を受け入れるというのは、七篠には無理な話だった。しかしこうすることで誰にも迷惑がかからない、ならばと彼女は返事を決めてしまった。後悔は、あった。

 返事を伝えるべく教室から去ろうとする石丸の背中を見ながら、七篠は宙に体が浮いたような不安定な感覚に襲われた。視界が狭まり、歪んでいく感覚。自分の体が自分のものでなくなり、指先から痺れていく。考えすぎると起こってしまう、自己嫌悪の結果。本当にこれでよかったのだろうか、もう少しだけ時間を貰って、じっくり考えてみるべきではないか。待って、と呼び止めようと一歩踏みだそうとした。

「いっ……あ」

 思考にばかり神経が行き足に力を入れるのを忘れてしまったのか、かくりと膝が折れた。慌てて机に手を置き体を支える。瞬間、机の冷たい無機質な温度と感触によって現実に引き戻される。

「む、どうかしたのか!?」

 心配して駆け寄る石丸の手が、七篠の肩に触れた。

「僕が何か悪いことをしてしまっただろうか? ならば殴ってくれて構わない。きちんと謝らせてくれたまえ。それとも具合が悪いのか!? もしそうなら保健室に行こう、さあ!」

 いつも通りの彼だった。どんな時でも真剣に心配してくれる彼の本気の優しさが今は痛かった。いつだって強がって、ギリギリの崖っぷちに立っている七篠の心は、それに頼ってしまいそうで。
 きっと先輩がどんなに恐ろしい人であれ狡猾な人であれ、石丸清多夏という人物は七篠が返事を拒否とすればはっきりその旨を伝えに行くのだろう。どんな目に合うかも厭わずに。
 何もされないかもしれないが、そんな保証はどこにもない。言葉の暴力、物理的暴力を受けるかも知れない。しかしきっと、彼は与えられた頼みごとをこなしただけだと笑うのだ。それは例え本人が良いと言えど、七篠にとって見ていられないものになるのはわかりきっていた。

「き、気にしないで、ちょっとふらついただけだから」

 それより、と紡ごうとする唇からは掠れた空気が通る音のみが漏れた。どうしてだろうと考える前に、瞳から次々と熱を帯びた滴が溢れ出してしまい止まらなくなった。

「七篠くん、君は、泣いているのか……?」

「泣いてなんかっ、ない。泣いて、ないよっ」

 笑顔を作りたいのに作れなかった。こんなんじゃダメだ、どうにかしなくてはと手の平や制服の袖で拭うがそんなものでは抑えきれるものではなくなっていた。

「やはり僕が何かしてしまったのか!? ももも申し訳ないッ!」

 これで拭いてくれと渡された真っ白なハンカチを受け取る。遠慮がちに両目にあてがうと、一気に涙が滲んでいった。それとともに少し、落ち着きを取り戻す。

「……ありがとう。石丸くんは、何も悪くないよ。本当に何でも、ない……から」

 下手くそに笑った。七篠も自分でこれ以上ひどい作り笑顔はない、しまったと思いながらも今更どうしようもなかった。
 石丸はまだ納得していないのか、七篠の肩から手を離していない。しっかりと両肩を掴んだまま口を開いた。

「七篠くんは、なぜいつも笑っているのだ?」

「……なんで、今そんなことを聞くの」

 ずけずけと人が気にしていることを何とはなしに突っ込んでくる。無神経だと思うこともよくあるが、彼のそういうところははっきりとしていてわかりやすく、七篠は羨ましいと思っていた。気になることをすぐに聞ける、人の顔色を窺わずにしてそういう話題に入ることは、絶対自分にはできない。だからこそ、苦手でもある。


≪ |



back top
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -