夢小説 | ナノ


しあわせなはるを@石丸夢


 教室の窓からは桜の木が見える。まだ蕾しか持たない枝は太陽に照らされながらも少し寒そうに風に吹かれていた。
 どうやって、いつの間に登ったのだろうか。その弱弱しい木の枝に体を預けているのは七篠だった。またか、と石丸は板書をしていた手を止める。学園の所有物である桜の木に登るなど本当にどうかしている。これで何度目になるかはわからないが、注意しなければならないと彼は憤慨していた。
 とはいえ授業中に抜け出すなんて真似が彼にできるはずもなく、早く行かなくてはという焦燥感を抱えながらチャイムが鳴るのを待った。それが鳴ると同時に手早く次の授業の準備を済ませ、桜の木の元へと向かう。どんなに気持ちが焦ろうとも廊下は走ってはいけないため、早足だった。
 彼女は石丸のクラスメイトである。しかしこの時期はあまり授業に出ていない。春の陽気と彼女の眠たがりの性格が重なって、特に1時限目には間に合わないほどに寝坊をしてしまうのだ。それでいいのか、という話なのだが、彼女の才能を生かす為には適度な睡眠が必要ということでこの時期だけは許されているらしい。
 そんな彼女が、なぜ桜の木の上にいるのか。

「あ、石丸くん。おはようございます」

 石丸の姿を見つけると、彼女は寝起きのぼんやりとした眼と声で挨拶をした。

「おはようございますッ! ……ではないだろう、××くんッ! 君は何度言えばわかってくれるのかね? 桜の木は学園の所持する物だ。それに乗るなどとは言語道断だぞッ!」

「でも、校則には桜の木に登っちゃいけない……なんて書いてないよ?」

 ふあ、と彼女は一つ欠伸をした。このやり取りも何度目になるのだろうか。気温が上昇を続けるようになってから、彼女は幾度となくここに登ることを繰り返していた。その度に石丸が来て、注意をするのである。
 彼女が言うように確かに学園の校則にはそんなことは書かれていない。けれども、風紀委員としては見逃せない事態だった。ここですごすごと帰ってしまってもいいが、彼女のことが気がかりで授業に集中できないのは確実である。

「し……しかし、危ないだろう?」

「そうかなぁ。わたしは全然怖くないし平気なんだけど」

「万が一ということも有りうる。次の授業ももうすぐ始まってしまうのだから、降りて来てはくれないだろうか」

 彼女はしばし考える様な仕草をして、仕方ないといったようにゆっくりと木の幹を伝って下り始めた。
 特別ここにどうしてもいたい、というわけではないらしい。石丸がしつこく声をかければ素直に下りてくれるのだ。ならば最初から登らなければいいのに、ここ数日は連続してそこに居るのだった。
 よっ、と軽く声を上げて彼女は地面へと着地した。枝や幹に擦れて少し茶色くなった制服を気にもせずに石丸の元へ歩いて来る。

「一番早いところで七分咲きってとこだったよ。満開まではもう少し時間がかかりそうだね」

「僕は桜の話などしていないが……。しかし自然に目を向ける君の意欲には感心する。できればもっと勉学にも意欲を向けて欲しいぞ」

「勉強も、嫌いではないんだけれども。先生の言葉って呪文みたいに聞こえて眠たくなっちゃうんだよね。どうせ寝てしまうなら行かなくても同じことじゃない?」

「そんなことはないぞッ!」

「そう? なんで?」

「勉学の神髄は第一に参加する事が重要であるのだッ! そして退屈だと感じるやもしれない言葉の中には、君の興味を誘うものだってあるはずだ。そうして究めて行くことで新たに様々なことが生まれる……素敵な事だとは思わないかね?」

「思わない」

 熱弁する石丸に対し笑顔で否定の意を即答する彼女は、これ以上ないくらいに爽やかだった。

「なッ……なぜだ……なぜわかってくれないんだ……。僕の話に間違いがあったのだろうか? ならば遠慮なく指摘してくれたまえッ!」

 自論をばっさりと切り捨てられた彼は動揺しながら××を信じられない、と言ったような瞳で見つめる。そんな彼に彼女は歩み寄り、とん、と人差し指で胸を突いた。

「強いて言えばさ。……わたしの興味は石丸くんに奪われちゃってるからね。他の事なんてどうでもいいんだ」

「……な……な……っ!?」

 石丸の顔がみるみるうちに赤くなっていく。ぱくぱくと金魚の様に音も出さぬまま口を動かすだけの彼は今にも倒れてしまいそうである。至近距離で女の子に胸を突かれるなど、肉体的にも精神的にも初めてだったのだろう。その様子を見て満足したのか七篠は笑い声を漏らした。

「なんてね。早く行かないと次の授業が始まるよ?」

「七篠くんッ! 君という奴はッ……ふ、ふざけるのも大概にしたまえッ!」

「あはは、ごめんね」

 彼女が口にしたことが嘘なのか本当なのか真意はわからずのまま、2人は校舎へと戻って行く。
 彼女がどうしてわざわざ教室から見える、桜の木に登るのか。何度注意されても繰り返してしまうのか。その理由を考えれば容易にわかってしまうことだが、おそらく彼が気づくのはここの桜が咲く頃なのだろう。春に開花するのは、何も桜だけではないのだから。



●終わり。

clap thanks!!

@2014/03/27



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