● しあわせなはるを@田中夢 近所の公園には春になるとそれは見事な桜が咲く。夜桜はまた一味違った美しさがあるんだよというクラスメイトの言葉に見に行きたいという欲求を募らせる七篠だったが、その行く手には親という壁が立ち塞がった。要するに夜に女の子1人で歩くなど危険、という有り難い親心から外出のお許しが出なかったのである。
生憎とクラスメイト達は花より団子なもので、わざわざ夜に見に行かなくともということでことごとく振られてしまった。唯一興味を持ってくれそうな小泉は、七篠の家から遠い。ならば合流するまでの間や帰り道は、結局1人になってしまうのだ。
どうしたものか、と彼女は悩む。絶対そういうものに興味ないだろうと予想し、まだ声をかけていない人たちもいた。特に男の子にはほとんど声をかけていない。頼もしいだろうと弐大に一番最初に当たったのだが、悲しいかな、彼も家が遠いらしい。それにあの公園のトイレは落ち着かないと言われてしまった。そういう理由であれば引き下がらざるを得ない。
駄目元で他の人にも当たってみようか。やけくその様に思い立った彼女は、とにかく片っ端から声をかけることにしたのである。最悪全員駄目なときは面倒くさがる親でも引っ張って来ればいい。あまり気は進まないが。
食い気ばかり張るクラスメイトに、桜の美しさとかそういうのにもっと興味持ってよとうるさく抗議し続け、そしてその結果。
「田中くんちってわたしの家から結構近かったんだね。今まで知らなかったよ」
「ククク……当然だ。そう易々と拠点となる場所を雑種である貴様らに教えるわけが無い」
「もう雑種でもなんでもいいです。とにかく本当にありがとう! わたしの親厳しくって、田中くんが一緒に来てくれなかったら夜に外出だなんて絶対許してくれないんだもん」
七篠の隣で夜の住宅街を歩くのは田中だった。月と街頭の頼りない明かりの元、背の高い彼の姿はどこかこの世の者ではないような雰囲気を感じさせる。けれども昼間とは違う道を行く彼女にとって、その風貌はとても頼もしく見えた。
意外過ぎて最初は聞き返したものだが、彼女が声をかけた時、彼は少し悩んだ末に同行しても構わないと言ってくれたのである。おまけに住んでいる場所はと聞けばなんと彼女の家の近くであった。これは好都合とばかりに手早く日付と時間を決めた彼女が、今日という日を何と心待ちにしていたことか。
「夜桜って実は見るの初めてなんだ。小さい頃は行ったことあるらしいけど、覚えてないんだよね。田中くんは?」
「フン、行くわけがない。そもそも俺様が俗世の者共が群がる場所に自ら近づくなど……自殺行為にしかならん。奴らが密集している場所の空気が一体どれほど澱んでいるのか、貴様にはわからんだろう?」
「わからないけど……わたしもあんまり人がいっぱいいるとこは苦手だから、好きじゃないな」
1人で行けば流れに押されて見たいものも買いたいものも買えなかったり、2人以上で行けばはぐれて迷子になったりと、楽しいことも沢山あるがどちらかと言えばアクシデントばかり経験してきた覚えがあり、たまらず苦い顔をしてしまう。
「だけど夜は人が少ないから大丈夫だと思うよ」
「そんなことは貴様に言われるまでもなく既に俺様の鷹の眼が見通している。未知の領域へ踏み込む時に下調べをするのは強者の常識だ」
「そっか、だからついてきてくれたの?」
「何の事だ?」
「夜なら人がいないし、田中くんも桜見れるし……」
「ふっ、世迷い言をッ! 俺様があのヘレネの呪いを身に宿した幻花を見に行きたいわけがなかろうッ!」
「呪い!?」
そんな話は聞いたことが無かった。あの公園にある桜は一般的な桜の木で、どこにでもある品種で、曰くも事故もない普通の桜の木のはずだ。
「良いか? あの桃色の花弁を纏った奴らの姿は愚かなる人間共を自らの元へ誘うために作り上げた、仮初の姿に過ぎん。貴様らという無知な種族がその美しさに釣られ油断して近づいたところを……奴らは喰らう。そう、本来の姿である"影に潜みし悪魔"(シャドウ)となるのだッ!」
「そ……うなの? それは……えっと、危なさそうだねぇ」
「フン。なのに貴様という奴はまんまと敵の魔の手にかかり、こうして自ら危機へと身を投じようとしている……。だが俺様がいれば奴らは姿を現さんだろう。最強最悪と謳われし俺様と目を合わせたが最期、奴らは塵となって消し飛んでしまうのだからなッ!」
彼の頭の中では桜というのはとても恐ろしい存在になっているらしい。なのに進んで見に行くと言ってきかない彼女はとても愚かであり、無謀すぎる馬鹿者ということだそうだ。そして更に彼の中にある設定によると、もし1人で行っていれば彼女の存在は今夜限りで抹消してしまうということだった。
「あ、てことはさ」
彼女は何かに気づいたように声をあげた。
「田中くんはわたしが心配でついてきてくれたんだ?」
「なッ……ばッ、馬鹿なことをッ!」
「だって、桜を見に行くわけでもなくふぁんとむとかいうのを倒すつもりで行くわけでもないってことはー、それぐらいしか理由ないよね?」
「り、理由など無い。……ただの、気まぐれだ」
田中がただの気まぐれで動く様な人間だろうか。これまで彼と机を並べてきた仲である彼女は、彼を興味がなければ話にすら入って来ないような人だと認識していた。面倒事であれば特に、だ。故にそこには何か思うところがあるのかもしれないと少しばかり期待していた。しかし彼が理由など無いと言い張るのならば、彼女が思う様なものは無いのだろう。
「気まぐれ……かあ。残念」
「残念……だと……どういうことだ?」
田中は彼女がこの日を心待ちにしていたことは知っている。しかし夜桜を見に行けることよりも、見に行けることになった相手が誰かということの方が、どれだけ彼女の心を躍らせたかまでは想像の範囲外だったのだ。
「……教えてあげなーい」
誤魔化しを言う意地悪な者には、意地悪で返してやらなくてはと彼女はいたずらっぽく笑った。
今宵の月は満月だ。さぞかし見事な夜桜が見れることだろう。
そう、まだまだ春は始まったばかりなのである。
●終わり。
clap thanks!!
@2014/03/27
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