夢小説 | ナノ


巡りめぐって、


 かつてここまで強固な扉があっただろうか。はてさてどう打ち破るべきかと、一般的な一軒家の、何の変鉄もない赤茶色の扉を睨むように見つめながら、田中は深く考え込んでいた。
 このまま扉の前に黙って立っていれば、蒸すような湿気と温度にやられてしまうだろう。特にいついかなる時でも基本の装備を怠らない彼にとって、夏、という季節は厄介なものである。
 そもそもこの季節さえなければ、ここに立っている理由も無かった。かといってその理由が厄介かと言えば、そう悪いものでも無いのであった。

『七篠ちゃんを夏祭りに誘って欲しいの』

 女子から頼み事をされるのは、夏に大雪が降るくらいに驚くべきことであり、田中にとって一大事件であった。何かの組織の陰謀かと、困惑を隠しきれず警戒心剥き出しで何度も聞く田中を見て、小泉は深く溜め息を吐いていた。
 七篠は小泉と仲が良い。むしろ小泉とだけではなくクラスの女子全員と仲が良い。ならば自分が誘うよりも小泉本人か他の女子が誘えばいいのではないのだろうかと田中は反論した。しかしそれは、もう誘ったわよ、の一言で簡単に論破されてしまう。
 暑いから行きたくない、らしい。誰が誘っても返事はこの一言だったようだ。
 確かに今年の夏は異常に暑かった。こういう時は変温動物が羨ましいねと何日か前に七篠がぼやいていたことを、田中は覚えていた。貴重な休み時間だというのに、机に突っ伏して暑いを連呼し続ける様はまるでナマケモノのようであった。その様を西園寺が携帯で撮っており、慌てて消去を求める時の動作は素早かったが。
 そんな暑さに弱い彼女を引っ張り出す方法。それがどうやら、田中であると小泉は言う。
 全く道理は理解できない彼であったが、覇王にできぬことはないと安請け合いしてしまった。
 夏祭りは来週の日曜日である。ということはその前の日に誘えばいいことだと田中は考えた。昼から行けば、駄々をこねた場合であっても説得する時間が取れ、祭りに間に合わなくなることも無い。完璧な計画だ。
 なぜ断らなかったのか自身でも甚だ疑問に感じていた。しかし、七篠の名が出た時に不思議と嫌だと思わなかったのである。今更断りようもなく、引受けてしまったからには任務を完遂させなければならないと彼は思っていた。

 それが、ここに至る理由である。

 何度か遊びに来ていたために家の場所は知っていたものの、どうしたらいいのかわからない。いや、方法はわかっているのである。呼び鈴を押せばいいだけだ。

(普段は下僕である七篠が誘うままに任せていればいいのだが……くっ……!? 左腕がっ……疼く、だと……!?)

 いよいよ呼び鈴に手を伸ばし人差し指で押そうとするのだったが、緊張のあまり彼の指先は目標を捕らえることができずに小刻みに揺れてしまう。慌てて右手で左腕を押さえたのだが、あと数センチのところで彼の指先が止まる。
 これを押せば、誰が出てくるだろうか。七篠本人とは限らない。もしや親が出てくるのではなかろうか。その時、何と言えばよいのだろう。
 呼び鈴を押すことで予測される展開に頭を悩ませている田中のマフラーが、微かに動いた。

「むっ……!」

 マフラーから肩を伝い、素早く田中の左腕の上を駆ける小さな物体が、まっすぐに呼び鈴へと向かっていく。常人の目では残像までしか捉えられないそれは、彼の指先から軽快に跳ね呼び鈴のボタンに四肢を着き、反動で指の上に舞い戻ると、また素早くマフラーの中に入り込むのだった。

「マガGよ、よくやった! フハハハハハッ! それでこそ我が眷属だッ」

 緊張はどこへ行ったのやら、彼は高らかに笑いマフラーの中にいるであろう自慢のペットを優しく撫でた。

『あのー……もしかして田中、くんですか?』

「何ッ!? 何処からか七篠の声が聞こえてくるが、一体……」

『うちの呼び鈴ね、お互いの声が聞こえるスピーカー付いてるの。ちょっと待っててくれるかな? 今開けるから』

「フッ、いいだろう」

 一分も経たないうちにドアノブの回る音がした。悩ましい一枚の板はいとも容易く開かれていき、数センチ開いたところで隙間から七篠が顔を見せた。彼女は田中と目を合わせると、その周囲を確認するように見回す。何を思って彼女がそうしているのかは田中の知り及ぶところではなかったが、彼女が何かを警戒している事は感じ取ることができたらしい。

「何をしている? 俺様の他には誰もおらんぞ」

 ドアの陰に身を潜めたままでなかなか出てこない彼女に田中の方から声をかけた。

「そっか、田中くんがそういうならそうだよね。うーん、じゃあいいかな」

 気にかかることが解消されたのか、ようやく彼女はドアの陰から出てきたのだった。しかしその格好は、清楚で大人しく真面目に制服を着こなしていた彼女とは全く異なるもので、ワンピース一枚に生脚という、なんとも気を抜いたものであった。しかもその丈は恐らく外出向きではないのであろう。異様に短いのである。

「きッ……貴様ッ……!? そんな軽装備で俺様の前に姿を現すとは、どういうつもりだッ!?」

 同級生とはいえ、普段の彼女からは考えられない大胆な格好で来られてしまえばさすがに動揺してしまう。
 田中の顔は真っ赤になった。視線はどこにおけばいいのやらわからず、あちこちに移してはなるべく下を見ないようにと、一点を見つめることができなくなっている。しかし有り難い事に本日は日差しが強く、七篠に対して田中は逆光に位置していた。そのため彼の顔色や目の動きの詳細まで彼女に伝わることは無かった。

「いっつも一緒に遊んでる田中くんなら、部屋着のままでもいいかなーと思って。暑くってもうどうにもならないからこれ以上何も着たくないの。ごめんね」

「灼熱に耐える術がそれだと言うのか……!?」

「そうだね。これが一番楽だよ。そういえば、わざわざ休日の昼間に来たってことは何か用事があったんじゃないの?」

「あ、ああ……その通りだ。貴様に伝えねばばならぬ言霊があってな」

「えっ? う、ううんななな何、なんですか!?」

 七篠は一般的な女子である。故に、超高校級といわれる存在でありながらも世間の普通の女子同様、少女漫画を好む。そして漫画にありがちなパターンというものを彼女は把握しており、教室でこんな告白されたいよねと女子同士で妄想話に花を咲かせることもしばしばあった。
 それらの知識をふまえながら、この状況を彼女は分析する。

(休日、家に来る、二人きり、伝えたいことがある……ってこれってもしかしてそういうこと!?)

「七篠、貴様にだな、その……」

「うん」

 友だちとして、田中とは仲が良い。少なくとも七篠はそう思っている。学校でも一緒にいることが多く、同級生の誰よりも彼の言う事が理解できる。放課後も一緒に帰るためもういっそのこと付き合ってしまえと周囲に煽られることもあったが、彼女自身はそんな関係ではないと否定し続けてきた。 

「いかなる″審判″(ジャッジメント)によるものなのか理解できんのだが」

「うん」

 けれどもそのことに向き合うべき時がきたのかもしれない。遅かれ早かれいずれ通らねばならない道だっただろう。それが急に向こうからやってきただけの話だ。
 心の準備もまだ何もできていなかったが、彼女はどんな形で来ても返事をする覚悟を決める。

「小泉が、夏祭りに貴様に一緒に来て欲しいと言っていた」

「はい! わたしもっ……て、え?」

「ククク……やはりわからんが、こうも簡単に上手くいくとなるとやはり俺様がわざわざ赴くだけの理由があったということか。まあいい、用は済んだ」

「ごめん、田中くん。もう一回言ってもらえる?」

「用は済んだ、と」

「そっちじゃなくて、その用の内容」

「『小泉が夏祭りに一緒に来て欲しいと言っていた』ということか?」




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