夢小説 | ナノ


バイバイサマーホリデー


 生まれてこのかた補習なんてものに呼ばれたことがない。故に、この状況に置かれることがどれだけ釈然としないものなのかわかっているだろうな。
 コツコツとシャープペンシルの先を机に当て続ける彼女の心はそんなものだろうか、とその隣の机に座る左右田はいらぬ心理分析をしていた。実際、彼女がどう考えているかなど彼は知る由もないが。
 暇なのだ。生徒二人と教師一人、計三人で行われている国語の補習授業であるが、機械が出てくる訳でもなくただ淡々と物語の詳細を分解していくだけ。
 左右田は分解が得意であったが、それはあくまで機械相手のみである。人の感情分析は紙上の中で解くこととなれば多少容易でも、いざ現実で向き合うと難問なのであった。七篠が本当に考えていることなど、左右田には微塵もわかりはしない。
 そんな彼の隣に座り黒板をじっと見つめる七篠はというと、普段の国語の成績から考えればここに来るべき人間ではないはずなのだが、とある理由で補習を受けることになってしまったために仕方なく席についている。理不尽に耐えかねているのかやや不機嫌な顔をしていた。
 そのうちに教師が文章を読み始め、それを黙って聞くだけになった。そうなると、左右田は何か暇を潰せないかと考え始める。

《せっかくの夏休みだってのに、夏期校習なんて最悪だよな》

 思いついたのは、そう走り書きしたノートの切れ端をそっと隣の七篠に渡すことだった。渡された彼女は黙って受けとり、教師の様子を伺いながら紙切れに目を通す。
 すると目を細めて睨むように左右田を見てくる。しかし彼は、彼女にそんな顔をされたところで全く怯える様子もなく、むしろいたずらっぽくにやりと笑って返してやるのだった。
 それを見て更に機嫌を悪くした様子の七篠は、何か言いたげに唇を動かす素振りを見せたが、その方法は適切ではないと気づき、自分のノートに何かを書き始めた。文字には文字で返すのが妥当だと判断したらしい。
 素早くペンを走らせると、左右田に手渡す。さてなんて言い返してくるのだろうとにやにやしながらそれを受け取る彼だったが、内容を確認した途端、表情を悔しそうに歪めた。

《夏期校習× 夏期講習○ バーカ》

(うっせ! クソっ……!)

 凡ミスだった。勉強は好きで得意な方ではあるのだが、うっかりしてしまっていたらしい。しかし、漢字一文字の間違いごときで馬鹿にされるのは少々腹が立つ。すぐさま返事を書いて七篠に渡した。

《誰だってまちがいの一つや二つあるだろ?いちいちツッコむなよ》

《そうよね。わたしがここにいるのも間違いよね》

《やっぱり怒ってんのか?》

 そう書かれた紙をしばらく眺めたあと、それきり七篠は返事を書こうとはしなかった。答えるまでもなく、彼女の気持ちはこの講習が開かれることになってから揺らいでいないのだった。





 希望ヶ峰学園の授業方針はいつだって自由だ。授業に出たくなければ出なくてもよい、テストの結果が悪くてもよい。それぞれの才能を生かすことが最優先されるため、普通の授業は必須とされていなかった。
 各教科で赤点を取ろうとも教師は何も言わない。答案を返すときに少し渋い顔をすることはあるものの、その後に注意などをされることはないのである。
 しかしそれも、例外がある。
 左右田が妙なものを作ってくることはよくあることで、国語のテスト前の休憩時間に彼はそれらを鞄から取り出して男子に見せていた。すぐに賑やかになる教室。わずかしかない休憩時間に真面目に次のテストに備える者はほぼおらず、皆それらに釘付けになってしまった。

『七篠ー!ほら、オメーにも見せてやるよ』

『わたしはいいよ。次のテストあるし、少しでも最後まで勉強してたいの』

 七篠はこのクラス内では少数派の真面目な方に分類される人間であった。左右田の隣の席になってしまっているが故に勉強に集中できる環境には置かれていないのだが、毎回そこそこ良い成績をたたき出す生徒である。
 秀才という括りに入る彼女だが、付き合いが悪いわけではない。遊ぶときは思いきり遊びノリがいいので、左右田は彼女をからかうことが好きだ。最後にはいつも怒らせてしまうのだが、自作のメカを見せると喜んでくれるし、話をきちんと聞いてくれるためいくら怒られても懲りずに絡んでしまうのである。
 しかし、根が真面目なものであるが故に今日という日はおふざけに付き合えなかった。叫び声や破裂音が響き渡る教室内で、彼女はテスト前までに自前で用意したと思われる漢字の単語帳に、一つ一つじっくりと目を通している。
 そんな様子を見つつ、左右田は尚も引き下がらなかった。

『いーじゃねえかよォ! ちょっとぐらいサボったって七篠の成績には影響ねーって』

『そういうことじゃないんだってば! ちょっと、腕掴まないでっ』

 諦めればよいものを、なぜかこの日は彼女にも見せたくて仕方がなかったようである。腕を掴んでまで無理に自分の方を向かせたがった。
 拒否する彼女は腕を思いきり左右に振る。その程度で男である左右田の手が振りきれることはない。しかし、左右田の持っていたメカに彼女の腕が当たった。

『んな怒んなって! これ自信作でな……って、あっ! やべ……』

『もう、なによ?』

 左右田がよくその物体を見てみると、どうやら少し凹みができてしまったようだ。七篠はそれに自分の腕が当たったことで壊してしまったのかと不安に思い聞くが、そんな単純な話ではなかったらしく、手元のメカを見つめながら彼の顔は青ざめていく。

『……バクハツする』

『なんだって──』

 ボンッ!!という明らかな爆発音がして、二人は衝撃と熱と煙に包まれた。一度に襲ってきたあらゆるものは運動能力が高い訳でもない七篠の体が受け止めきれるものではなく、教室の床の上に投げ出されて転がるしかなかった。

『ちょっと、何!?』

『ゲホッ……ゴホッ……! 左右田のバカがまたなんかやったの!?』

『たいへんっすー! ゲイジュツがマジに爆発しちゃったっすよー!』

 突然の事態に皆は教室の後ろの方で口々に何が起こったのかを把握しようとする。どうやら澪田が爆発の瞬間に左右田の手元を見ていた様で、状況をありのまま言ってくれたことであまり混乱する事は無かったようだ。また、幸いにも彼女達にまで被害が及ぶことはなく、全員無傷であった。
 やがて煙が晴れていく中で、左右田の方は慣れている事態であったのか、真っ黒焦げになった顔を晒しながらもすぐに衝撃から立ち直り状況確認しようと動いた。

『おい、七篠! 悪ィ! 大丈夫か!?』

 彼が最初にしたことは、爆発物から自分と同じくらいの距離にいたであろう七篠の無事を確認する事だった。



 七篠が目が覚めた時、保健室のベッドの上に寝かされていた。爆発の時に咄嗟に腕で自分の顔を庇ったのか、軽度ではあるが火傷しているそうで腕には白い包帯が巻かれていた。また、床に投げ出された時に打ち付けてしまったのか体のあちこちが痛く、とてもテストどころではなかった。
 目が覚めたことに気づいた保健の先生に何があったのか彼女が聞くと、いろいろと大変だったようだ。
 七篠を抱えた左右田と罪木とが突然ここへ来て、『七篠が死んじまう!』なんて不吉なことを言っていたらしい。その時の左右田のうろたえようと言ったらすごかったと先生は言った。そして先生と罪木が七篠の手当てをしているのを真横で見ながら、ぐすぐす泣いていたらしい。死ぬなよ、ごめんな、などと繰り返し言いながら。そんな彼も手当てが必要な怪我をしていたのだが、オレはいいからと突っ撥ねられてしまったそうだ。
 しかしこの保健室内に例の彼の姿は見当たらなかった。保健の先生にそのことについて問うと、どうやら騒ぎを起こしたとして担任に呼び出されているという話であった。自分だけならまだしも、他に怪我人を出したとなれば流石にタダで済む訳がなかった。
 その時に彼に言い渡されていたのが、罰として夏休みを返上しての講習に来てもらうという話である。




 講習は12時の鐘が鳴ったところで終了した。9時から始まり3時間で終わる短いものであるが、他のクラスメイトが家でごろごろと寝ていたり好きなことをしている1ヶ月の間、毎日この3時間をこなさなければならないというのは悲しいものだった。昼まで寝ていたい時もあれば、家で日がな一日趣味に明け暮れていたい時もある。その時間を取ることが許されないのだ。普通の学生にとっては苦行以外の何物でもない。

「お疲れさま。ようやく終わったね。お腹空いちゃったよ」

 帰り支度をしながら七篠は自分のお腹に手を添えた。その腕には未だに痛々しく白い包帯が巻かれている。昨日左右田が具合はどうかと尋ねたところ、もうすぐ治るよ、などと嬉しそうに言っていた。その度に彼の心は締めつけられるのだが、そもそも無理に彼女に絡んだ自分が悪い。自業自得だと自らに言い聞かせるのだった。

「だな! どっかでメシでも食って帰るか。……にしてもよ、七篠」

 しかしこの状況に至るにあたって、どうにも不可解なことがあった。

「なに? 今日は左右田くんが奢ってくれるの?」

「なんでオレが! ……ま、それくらいしてもいいけどな。じゃなくて、あー……なんでお前まで講習受けてんだよ? 自分から参加させてって言い出した時、マジでびっくりしたぜ」

 騒ぎの原因を作ったのは左右田である。七篠はただ巻き込まれただけだ。教師と学園長の判断も同様であり、罰は左右田だけが受けるはずであったのに、それを聞いた七篠はすぐさま担任教師に自分もと直談判しに行ったのである。故に彼女までこの講習に巻き込む形となり、左右田は罪悪感を募らせていた。
 わざとそういうことをして彼を追い詰めるつもりかといえば、そうでもないらしい。左右田は何度か聞いたが、自分がそうしたかっただけなのだとどこか嬉しそうに答えるだけであった。

「だーかーらー、それはもう聞かないでよ。何度聞いてもわたしの答えは同じだからね?」

「お前ホント何考えてんのかわかんねぇよ……」

 頭を抱えながら、やはり彼女はまだ怒っているのだろうという結論にしか至れなかった。

「何でもいいじゃん。そんなことよりもさ、なんか奢ってくれるんでしょ? わたし焼き肉屋さんで一番高い肉頼むの夢だったんだよねぇ」

「んなのオレが払える訳ねーだろ!」

「冗談だよー。暑いしアイス食べに行こう」

「おっ、いいじゃねーか! お前いっつも食ったあと腹壊してるけどな」

「……そういう事言わないの」

 拗ねたようにそっぽを向き、先に教室を出ようとする七篠を左右田は慌てて追いかけた。

「悪かったって! んな怒んなよ」

「今日は左右田くんの奢りで5段重ねにチャレンジするから」

「やれんならやってもらおうじゃねーか! マジで腹壊しても知らねーぞ?」

「やったぁ! ありがとう!」

 余程嬉しかったのか、満面の笑みでお礼を述べる七篠。先程まで文句ばかり口にしていた彼女からのあまりに直球な言葉に、左右田は照れくさくなり少しばかり言葉に詰まる。それを誤魔化すように右手で自分のニット帽をぐしゃりと掴んだ。

「あー……クソッ。ホント、お前といると飽きねーわ……」

「なにそれ? どういう意味?」

「七篠がアイスバカだから、食って腹壊すのが楽しみってことだよ」

「左右田くんは10段重ねだからね。強制だからね。左右田くんならきっとできるよファイト」

「お前ふざけんな最後棒読みだし! オレを何だと思ってんだ!?」

 理想的な夏休みを迎えることはできなかった二人であったが、帰りは毎日こんな調子である。寝坊もできない、趣味に没頭もできない、旅行にも行けないのに、彼らの表情は曇ることは無い。
 彼女の意図がどうであろうとしばらくは気になっていたようであったが、今が楽しい事に変わりはなく、そのうち疑問に思う事すら忘れて、補習だらけで休みの無い、長くて短い夏休みを過ごしていくのであった。



●終わり。


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