ああ、そうだ晋助だった。

太陽の光と突き刺さる子供たちの視線を受けながら今、俺はブランコをキーコキーコと漕いでいる。
暑いだるい恥ずかしいの三拍子が揃ったところで一体どうして自分がこんなところにいるのかを考えた。もちろんその答えは、隣で鼻歌混じりにゆらゆらと同じくブランコを漕いでいる幼馴染みに他ならない。今日は授業も午前で終わり、さあ帰ってクーラーの効いた部屋でゲームでもしながらゆっくりと過ごそう。そう思っていたところに突然、ブランコがしたいと言い出したのだ。


「さがるー」

「なに」

「今日ウチの晩ごはん、カレーなんだぜ」

「あっそう、良かったね」


夏の生ぬるい風に余計だるさが増して少々面倒臭そうに返すが、晋助は気にした様子もなくただ前を見つめたまま。一体何なんだ。こんなくだらないことを話す為にわざわざ公園まで連れて来られたというのか、はたまた本当にブランコがしたかっただけなのだろうか。
一つ言っておくが俺は別に人の家の晩ごはんに興味があるわけでも、ましてや食いに行こうなどとヨネスケ的な図々しさを持ち合わせているわけでもない。加えてカレーが特別好きなわけでもないし、晩ごはんごときでこのような自慢(?)というか得意げな物言いも珍しい。意図が分からなかったがここは一旦流れに身をまかせてみる。得意分野だ。


「さがるー」

「はいはい」

「夏にカレーとか、暑ィよな」

「そうだね」

「さがる」

「…なんなのさ」

「駄菓子屋のじいさん、死んだって」


流れるように、今日の晩ごはんを語ったそのトーンで、あるいはさっきの鼻歌のつづきのような口調で、しかし抑揚もなく吐き出されたその言葉。


「そう…」


"駄菓子屋のじいさん"とは俺たちが幼い頃から通っていた三丁目の駄菓子屋のじいさんだ。笑顔が特徴的で、今となっては笑った顔しか思い出せない。テストで良い点を取った時、リレーで一番を取った時、入学、卒業。必ずお菓子をオマケしてくれたじいさん。
そうか、死んでしまったのか。ここ数年は体調も良くなかったのだろう椅子に座っていることが多かった。もう歳だし、いつこんなことになってもおかしくなかったと思う。最近は俺たちも駄菓子屋へはめっきり顔を出すこともなかったから詳しくは分からないが、ただ、やっぱりそれは突然だった。じいさんが亡くなったのも、晋助が俺に言ったのも。

晋助は尚も一点を見つめ、ゆらゆら、キーコキーコとブランコを漕ぐ。視線の先には幼稚園くらいの男の子が二人、親から離れ砂遊びをしていた。もしかすると晋助は幼少時代に返っているのかもしれない。だからブランコがしたいなんて言い出したのだ。心の内をあまり明かさない彼のことだからその真意は分からないが、彼なりに想うところがあったのだろう。それはもちろん俺だって同じで、特別親しいという訳ではなかったけれどじいさんの笑顔がもう見られないのは悲しい。

そういえば。
ふと俺は最後に駄菓子屋へ行ったときに当てたお菓子の"あたり券"を思い出した。いつか行こうと思いスラックスの左のポケットに入れておいたはず。


「…あった」


もうすっかりくしゃくしゃになってしまっている紙。もう二度とじいさんの手に渡ることはなくなってしまったその紙を大事に右のポケットへしまい直す。
人は死んだらどこへ、なんてよくある台詞を言うつもりはないが、じいさんはどこへいってもやっぱりあのふわりとした笑顔でいて欲しいと思う。


「駄菓子、買いに行こっか」

「あァ」


やっと俺の方を向いた晋助の顔はいつもと何ら変わりはないが、心なしか穏やかに微笑んでいるようにも見えた。
俺たちは駄菓子を見るたび思い出すのだろうか。幼い頃を、駄菓子屋の匂いを、じいさんのシワシワの手を、笑顔を。

縄跳びで電車ごっこをする子供たちを見て、何も変わらないのだなと笑ったひと夏の、午後。