「姐さん、居やすかァ?」


言葉と同時に襖がすっと開かれた。

午後の一時をゆったりと思うままに過ごしていた高杉が、いい天気だからと桂が開けていった窓の枠に寄りかかり、これまた役に立つと半ば無理やり置いていった気難しそうな本を手に取った時だった。


「総悟、姐さんっつーのやめろって言ってんだろ」


一息おいて、スタスタと遠慮もなしに部屋に入る少年に文句を言う。
知っていながらこの時間に来るのだ、この男は。
栗色の髪の乱れ具合が、彼が先刻まで布団の中だった事を意味する。

高杉は桂が置いていった本を迷うことなくスラッと畳に滑らせ奥にやった。もともと本など読む気は無い。ただ、いつもうんざりする程の電波発言を繰り出す上、過度な母親のように世話焼きの幼馴染み兼同僚の桂が、表紙を見る限り心理学などと偉く真面目な代物を寄越したものだから気になっただけだ。


「はいはい。おや、あんた本なんて読むんですかィ?」

「いや、手が寂しくてな」


ならちょうど良い、と少年は櫛と可愛らしい紅色の髪飾りを差し出しニヤリと笑った。


「ハァ……。何で毎日俺がお前の髪を結ってんだ」

「習慣付けようと思いやして」


ガキのくせに生意気だと思いつつ、仕上げた髪を見た総悟が"やっぱ姐さんうめェや"と満足そうに笑うものだから、とどのつまり毎回高杉が総悟の髪を結ってやってしまうのだ。生まれつき母親がいないらしいコイツは、その面影を自分に重ねているのかもしれない。


「髪が決まらねェと一日やる気が出やせんからねィ」

「どこの女子だよ」

「店では女子でさァ」


かまっ仔倶楽部という呑み屋で女装をし、仕事をしている自分が言えた義理では無いのだが、表向きは女のソレでも内側まで女になったつもりは無い、と高杉は思っている。

妙なところで完璧主義の総悟だからこそ、なのだろうか。


「今日は右に一つで」


いつものように髪型の注文を付けると、高杉の眉間に皺が寄る。
これは怒っているのではなく、さあどうしようかと思案しているのだと総悟は二日で理解した。あまり複雑なのは頼まない事にしている。
因みに今日は三日目だ。まだ誰にも見つかってはいない。早起きの高杉と寝坊助の他の奴らに感謝したい。

高杉の心配も虚しく、総悟の心が女になった訳ではなかった。また、完璧を求めた故のものでもない。
彼はただ、姐さんと慕う高杉と同じ時間を過ごしたいだけなのだ。
仕事になれば一番の売れっ子の高杉は客に引っ張りだこであるし、住み込み故に同僚に邪魔をされ二人きりの時間などほぼ皆無だ。なにか人を引き寄せる魅力がある高杉の側には、いつも決まって誰かしらが居るのだ。

それは彼の外見からも容易く汲み取れるが、それだけではない。
素っ気なく突き放すような物の言い方だが、それが本当の意味ではないと解ると、これ程愛情深い人間は居ないのではないか、とすら思うのだ。
総悟は、いつも文句を言いながらも結局は面倒を見てくれる高杉が大好きだった。
しなやかに煙管を吸う横顔だとか、三味線の弦を換える時の流れるような指裁きだとか。こうして髪を結ってもらうようになって、普段なかなか本質を見せてくれない高杉の意外な一面を見れるのが嬉しいのだ。


「よし、できたぞ」

「どーも」


どこか誇らしげに微笑む高杉はとてつもなく綺麗だった。
それを見て満足した総悟はそろりと立ち上がる。
もうすぐ奴らが起きる頃だ。


「晋助さん、このことは呉々も皆には内緒ですぜ?」


唇に人差し指を当てる、お決まりのポーズで高杉に念を押す。
人の良い笑顔を浮かべる少年に対し、高杉は顔を歪めた。
このこと、とは己が髪を結ってやっている事だろうとは理解できる。
しかし昨日まではこの台詞、総悟が去り際に放っていた言葉だ。その為その真意を聞く事は叶わなかったが、今日は目の前でじっくりと自身に向けて述べた。
高杉が何故、と理由を聞くのは自然だった。


「邪魔をされたら困るんでねィ。それに、皆の髪を結うのは大変でしょう?」

「何で俺がアイツらの髪を結わないといけねェんだ」

「まあまあ、行列ができるのは確実なんで、嫌なら秘密にするんですねィ」


イマイチ腑に落ちない、という表情を浮かべる高杉。
いくつかの疑問と眉間の皺が残ったままだが、これ以上追求する事をやめた。
代わりに、ふと手元に残った物に気付き襖に手を掛けた総悟を呼び止める。


「おい、櫛」

「あぁ、置いておいて下せェ。どうせ毎日来るんで」


ニコリ、と笑うと総悟は高杉の部屋を離れていった。

総悟にとってその櫛は小さな反抗だ。人気者の高杉に髪を結ってもらっているなんて、皆が羨む事だろう。あの瞳孔開きっぱなしのライバルや、糖尿病の旦那、世話焼きの長髪野郎だって叶わない。それは途轍もない優越感だった。今すぐ自慢したい、言いふらしてやりたい。しかしそんな事をしてはこの秘密の時間は壊されてしまう。俺だけの特権だ。だからせめて愛用の櫛を高杉の部屋に置き、気付いて欲しいようなしかし絶対に気付かれてはいけないという複雑な感情を櫛に託したのだった。


「毎日、ねェ…」


一方そんな総悟の思いなど知る由もない高杉は、これから毎日総悟の髪を仕立てなければならないのかと憂鬱だった。
しかし実のところ、人に頼られるのは嫌いではなかったりする。
まあ、人と内容によっては全面拒否する事の方が多いが。自分がしてやった事に対して感謝されるというのは悪くない。

しかし、総悟のいう皆とやらがどこまでかは知らないが、全員の髪を結うなんてまっぴら御免だ。"このこと"は内密にする事にした。
高杉は、秘密にしてくれと言うもまんまと置いてきぼりを食らった柘植櫛を見つめる。


「晋ちゃーん、起きてっかァ?」

「テメェは今起きたばっかのようだな」


分かるー?と寝起き特有の間延びした喋り方で部屋にはいる男は未だ浮ついた感覚なのだろう。その白髪頭をひっ叩きたくなった。


「晋ちゃんが早すぎなんだよ」

「遅刻して化けモンに叱られても知らねェぞ、銀時ィ」

「ちょ、まじやめて思い出しちゃうから」


けらけらと楽しそうに笑う高杉。先日の西郷との嫌な記憶と戦いつつ、至極当然のように彼の前に座り銀時は手元の何やら見慣れぬそれに目をやる。


「あれ、お前櫛変えた?」

「いや、……拾った」


目敏い奴め、と思いつつ、高杉はぎくりと己の心臓が鳴ったような気がした。
というか何故この男は人の櫛のデザインを知っているのか。
何だか恐ろしくなったが、普段から付き纏われているのだから当然か。


「ふぅん。ね、髪といて」

「やなこった」


総悟が言っていた事を思い出し、何やら嫌な予感が頭を掠めた高杉は、沈んでいく太陽を視界に捉え如何にも嫌味ったらしく返してやると、自身の髪を一つ櫛で梳いた。