冬は嫌いだ。ケホケホと咳が出て、暫くして少し落ち着くもヒューヒューと喉は頼りなく鳴く。肺が軋んだ音が聞こえた気がした。口内も喉も肺も渇いた嫌な音をたてる。まるで砂漠だ。自分は砂漠に置いて行かれたのだ。どこまでも続く黍色に前も後ろも解らず、ただ突っ立っている。どこを目に映しても黍色しか認識できない。黍色が僕の世界も身体も思考も侵食していく。吸い込まれていく。渇いていく。呼吸がままならない。

冬には雪が降る。雪は白い。真っ白ではないけれど確かに白い。そのすこし不純な白さはどこか安心する。 それに比べて、壁も天井もシーツもなにもかも、ここにあるものは全て怖いくらいに真っ白だ。消毒されたすこしの穢れをも許さない、純白。ひたすらなる白。この白さが自分の錯覚を助長する。全てが白に囲まれたここはどこを見ても黍色な砂漠と似ている。ああ、僕は砂漠に置いて行かれたんだ。目にするものが全て色褪せて見える。窓の外は相変わらず真っ白で、ちらちらと降る雪も煩わしい。窓の方に背中を向けて、視界にそっと蓋をした。

「…もう。いつまで寝てる気?」

突然の明るい声は病院の静寂にはとてもよく響いた。おまけに手をパンパン鳴らして。これでは眠るに眠れない。そろりと目を開けると目の前に彼女の鬱陶しいくらい満面の笑みがあった。なぜか嫌に懐かしい。

「…なにしにきたの」
「春の陽気に誘われて」
「意味わかんねぇし」
「でも!こんなにいい天気の日に篭ってるなんて身体に悪いよ!」

その言葉と共にぐいっと腕を引かれて、上体も勢いよく引き上げられ、咄嗟にまずい、と思った。しかし何故か苦しくなかった。おかしい。彼女の方に目を向けるたが、窓から差し込む光でその顔がよく見えない。窓から吹き込む風がどことなく生温い。おかしい。これではまさしく季節は春だ。これは一体どうしたことか。上体を起こしたままぼーっとしてると目の前でひらひらと手が舞う。さっきよりも近くにいるからよく彼女の表情がわかる。彼女はあの鬱陶しいくらいの満面の笑みを浮かべてはいなかった。寂しそうに笑っていた。その瞬間に、僕は全てを悟った。乾いた笑みが零れ落ちる。

「悪いけど、僕はまだ行かないよ」
「…なんのことかなあ」

あはは、とまたいつもの笑みを浮かべる彼女にどうしようもなく胸が締め付けられて息苦しかった。

「でも、もう少ししたら行くから」
「…」
「だから、待っててよ」

なんてね、そう付け加えて笑い飛ばす。そんな僕の声は震えていないだろうか。ちゃんといつものように話せているだろうか。泣いてはいないだろうか。いや、本当はわかってる。僕の声は情けなく震えているし、頬を伝う雫もわかってる。

「じゃあもう、わたしひとりでお散歩行ってきちゃうから!」
「はいはい、ごゆっくり!」
「…ねぇ」
「ん?」
「あんたも、ね」

途端に途轍もない睡魔が襲ってきた。視界も意識も霞んでゆく。ゆっくり、ゆっくりと瞼が降りる。視界の真ん中にやっぱり笑っている彼女がいる。最後の最後まで彼女は笑っていた。

「約束よ?」


きっと次に目を覚ますときには僕は死ぬほど肺が苦しいだろう。窓の外も白くて、春の気配なんてまだまだ先に訪れるだろう。それでも彼女と約束したように僕は自分の人生をゆっくりと過ごして、最後の最後まで呼吸をしてやろう。薄れゆく意識のなか自分のなかの片隅に誓いを立てた。

20130212 莉杏
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