あしたから、いやもう今日からかな。今日をいれて5日間がわたしにとって最後の高校生活になる。今週いって、あとは卒業式だけ。1月はアメリカにいくからいないの。その準備でいまとてつもなく忙しいの。プレゼンがとくにやばいの。でも今週は午前授業だから放課後にがんばっておわらせる。プレゼンの内容は震災についてなのだけどもちろん英語でだからとても難しい。いや、ちがう。そうじゃない。情けないことにわたしはいまだに震災の津波の被害とか、そういうのを見れない。見れることには見れるのだけれどなにやら胸の真ん中あたりが詰まるようで苦しくなる。そして被害はわたしの言葉なんかで表せるようなものじゃない。わたしなんかが文章にしてしまえば陳腐なものになってしまいそうで、こわい。そう、こわい。わたしはいまだにこわいのだ。しかしわたしよりあの震災によって多くのものを奪われて悲しみに暮れるひとはたくさんいる。わたしなどがこの程度でくよくよしててはいられないしむしろしててはいけない、そう思って自分を律してはきたものの、ほんとうにふとした瞬間にごぽごぽと内側から溢れ出すこの黒い感情にわたしはいったいいつまで囚われているのだろうか。それはきっとこれからずうっと死ぬまでずうっとなのだと思う。こわい。ほんとうにこわい。だって、大きな涙がなにもかもを奪い去っていった。わたしは平和ボケしていた。だからライフラインが復旧して初めて見たときはの衝撃はきっといままでにないしこれからの人生にもないと思う。しかも、その津波の被害に遭ったひとたちは以前の地震と経験から津波の恐ろしさを知っていてちゃんと備えていたのに、なのに、。そんなひとたちが逃れられなかったのだからわたしは無理だ。わたしはほんとうにたまたまだ。偶然だ。そしてわたしには沿岸部に住んでいるともだちがいて、そのこは無事だったけれどそのこのともだちはいまでも見つかっていないし、親戚が見つかってないこもいるし、家族が見つかってないこもいるし、あぁ、書ききれない。そういった話を聞くたびに妄想癖なわたしは頭のなかに思い描いてしまう。たすけてと悲痛な声が聞こえてくる。わたしは振り向く。手を伸ばす。しきし飛沫にかき消される。そして、今度はわたしが、。そんな馬鹿げたことを考えてたしまう。ほんとうに馬鹿げた話だとおもう。じぶんで勝手に作り上げて勝手に怖がっているのだから。しかしわたしのなかのその妄想は震災の映像や写真や話を目に、耳に、口に、するたびに色濃く、鮮明になってゆくのだ。わたしはいつかそれらに飲み込まれるのではないか、それがこわくてたまらない。だから忘れたい、と思ってしまうことがある。ああやって光で彩られた街を見て、友達とわいわい騒いで、すきな音楽を聴き、本を読み、たのしいことを想像する。なにかに熱中しているときはそのことにしか意識がいかない馬鹿なわたしは時たまそうやって目を反らしている。けれどもやはりそのあとに襲ってくるのは罪悪感。忘れてなどいけないのだ。これは使命。わたしたちが次の世代に伝えてゆかねばならないもので、大事なこと。だからわたしはこのプレゼンのテーマを震災についてにした。あと数ヶ月であの日から二年経ったことになる。長かった?短かった?わたしは短かった。わたしの周りの環境もわたしの意識も思考も巡る間しく変化することを要求された。そして再認識したのはわたしたちの脆さ、弱さ、優しさ、強さ。大切なことはなにひとつとして変わってなどいない、変わることのないもの。大切なものを抱きしめるためにこの腕はあるのだとわたしは信じたい。今日やるべきことは明日にはできないのだから、わたしは毎日やりたいことするべきことをしてきたつもりだ。そのために睡眠時間が減ったのと以前より思慮深くなってしまったのは致し方ないと思う。けれども確実にいい方には進んでいるはず。わたしはすべてやりつくしただろうか。じぶんにそう問いかける。わたしは、結局はじぶんがかわいいから毎日をじぶんが満足するように生きているだけなのかもしれない。しかしそれがちっぽけなわたしにできる一番のあの震災の犠牲となった方々への償いだと思っている。プレゼンをわたしのできる最高のものにしたい。しっかりといまの被災地の現状を伝えて、風化しないように、聞いてくれるアメリカの学生たちにすこしでも多くのものを残せるようなものにしたい。わたしはやればできるはず。じぶんをいちばん信じてあげなくては。

、とは言いつつも、やっぱり本音というか弱音を吐いてしまうとしたら、わたしはきっと忘れてしまいたいのだと思う。長い夢を見ているのかな、こわいな。あぁ、情けない。実に情けないことよ

囚われてる

12月17日 月曜日

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