あまったるい白い春


name change




いくつめだろう、あめだまのような瞳がくゆらせたようにぼんやりと俺を見つめるのは。幾度かの折りにはその微かにチョコレートの香りがする花色の唇で俺を呼ぶ。義父さま、と。

いくつもの反対と障害を押し切っての生活だった。周りには女という甲斐性もまともに作れないおまえに家族など築けるかと言われ、友人にはみなしごとなった6つになる女児を引き取るなんて物好きな、と笑われた。物好き、そうかもしれない。25の男やもめと、海で両親を亡くした娘。真新しい紙上の約束の下生まれたこの関係をなんと呼ぼう。昔、気まぐれで結婚した女は俺が養子縁組みをしたと聞いてただ一言、可哀相な子と笑ったと、昔からの友人が言っていた。

「義父さま」

朝日に晒したままの細い細い肩に布団をかけ直してやると、まるで動物か何かのように額を首筋にすりつけてくる。幼い彼女にとって今はまだ、早朝なのだろう。街がにわかに起き出し、一夜を共にした男女がまた大勢のうちの一人に戻ってゆく時間。俺達の関係もまた親子の色を取り戻す。己の中で模索した父親の情というものを昨日の夕日から引き寄せ、彼女がニンフェットからただの可愛らしい女の子に孵る瞬間。

初夏から転校した学校では郊外特有の妙に田舎じみたお節介ともいうべき共存性が功を奏してか、ひどく人見知りの彼女もなんとか上手くやれているようだ。ならばなおさら、俺は一時でも早く周りから良い父親の看板を認めて貰わねばならない。もちろん俺が、この子の良い父親になりたいからというわけでは、ない。この愛おしい少女をいらぬお世話である保護の目から守るために、だ。この二人きりの関係は知られてはならない。

身寄りをなくした子供を引き取るのに、身内の中で俺が経済的な面では安定していたし、何度かの面識もある。それでも轟々の反対を食らったのはやはり、俺が男であるからだろう。かといってならばお前が引き取るかと言えば首を縦に振らないくせに、やたらめったらしつこく噛みついてくる親類には手を焼いた。思えば、なにかを得るためにあそこまで必死になったのは久しぶりかもしれない。そうまでして俺は彼女が欲しかった。初めて出逢ったあの日から、ずっと。人の想いが誰かを殺すのだとしたら、彼女の両親を殺したのはきっと俺だ。

このまま良い親子を実現すれば文句はなかろうと半ば当て付けがましく、彼女の朝食を作るため緩慢にその我がロリータの隣を抜け出した。そう、極めて従順な彼女があの小説の小生意気な少女のもつきらめきに酷似したものを持っていたとして、あの主人公の哀れな男の二の舞になる気はない。二人だけが知っていれば、それで。折り重なった二人分の衣服からワイシャツを引き抜くと、追いかけるように甘えたな彼女のワンピースがからんだ。



「名前も、そろそろ起きねばまたネムの花が閉じてしまうぞ」

あらかたの身支度を整えてから声をかけると、背中越しに眠たげな返事が返ってくる。彼女を引き取った帰りにに買った小さなネムの木の苗は三日前、春の足音とともに蕾をつけ、早起きなその薄紅の花を彼女はまだ三回とも見逃している。この調子ではまた花は閉じてしまおうな、となまっちろい肌を晒したままま伸びをするしなやかな肢体を尻目にクローゼットからAラインのワンピースを取り出した。

「おはよう、義父さま」

薄いペチコート一枚で、ひたひたと裸足のまま見上げる少女の額にくちづけておはよう、と微笑み返すとあまりに自然な動きでか細い腕が腰にまわり、きゅ、と小さな力で抱きついては甘えてくる。その小さな頭は、俺の腹あたりにしか満たない。今年で7つになる彼女は少し、小柄なほうだろうか。むき出しの肩や腕がひどく目につき、そっと手をやると案の定その柔い肌は朝の空気に冷えていて、それでも彼女は撫でられた子猫のように双眸を細めて暖かそうに笑った。その子供らしい表情に、夜に見せる幼い故の淫靡な様子があまりにも釣り合わなくて、ぞくりときた。同時に俺達の間にあるものは到底親子の情などというものになれる訳ではないということや、ただ拾われてきた仔猫のような彼女が一途に俺を慕う情もかつての両親に向けていたものでもないことを思い知る。第一に俺は、この春のように暖かく、甘い彼女を愛している。あの、全てを委ねるように胸へすがりついてきたときの、暖かい、肌。なにかの為にと生きることなどないのだろうと無感動に生きてきた俺が、ああ、守らねば、と心からおもった。春が、沈黙を破った。

「義父さま、ぎゅーうってして」

ね、と可愛らしく小首をかしげて両手を広げる彼女を、しゃがんで視線を近づけた状態で両腕に抱き締める。きっと、この小さくて柔らかい、優しい身体は俺が力いっぱい抱き締めれば壊れてしまうだろう。手加減して、それでもいつもの戯れのような抱擁よりも少し、強く抱いてやると胸に顔をうずめた彼女がすう、と深呼吸するおと。かすかに覗く首筋からミルクのような甘い香りがして、胸が詰まるような心地がした。甘い、甘い少女。すっぽりと俺の腕に収まって、心さえ委ねきって。ああ、もう、彼女は俺のものだ。幼少から美しい女になる、どの一瞬も誰にもくれてなどやるものか。もう少し大きくなれば美しく着飾らせて、出掛けるのもいい。少女から、女になったら、彼女はこの甘い声で俺を幸村、と呼ぶだろうか。

「義父さま、」

すき、そういって唇を寄せてくる彼女の柔らかい頬に手をやり、軽いくちづけをおくると、もっともっととでもいうように瞳を閉じて一人前にキスをねだる。ニンフの、誘惑。

「‥また花が閉じてしまうぞ」

耳元に囁きかけながら抱き上げた躯は柔く、ベッドへと歩を進めるたび背徳の足音が耳を掠める。

「今日は、いらない。義父さまがいいの」

迷いなく発せられた一言で、その肌へと指を這わせた。最初、心だけでは飽き足らずこの無垢な躯までをうんと愛してやろうと水飴のようなとろりと甘い快楽を教えてやったのは俺からだった。そう、そこには少なからず篭絡してやろうという心づもりもあった。いや、それはいまでも変わらず、失敗したとは言い難い。スミレやミモザの砂糖漬けのように、彼女の白い肌の内側にはゆっくりと俺の遣った快楽が染み込んでいる。

俺の手の内で健やかに、確実に、甘い花は育ってゆく。その白い肌を穢すことなく春がくるたび、まだ固い蕾は色を増す。


「‥義父さま?」

問いかけるような声に手を止め、ん?と首を傾ぐと彼女はゆったりと横たえていたその丈のない躰を起こし、若木の枝のように細い腕を絡めてきた。柔らかな息遣いが耳やら首筋に掛かる。

甘えるようにすがりつく背を片手で支え、俺と同じ猫っ毛の髪へ手をやるとあの甘い唇がそっと耳元へと寄せられた

「あのね、みんなね、もう誰々くんがすきって決まっててね、すぐに名前は誰?ってきくの。でも、クラスの男の子はみんな乱暴で、うるさいの、」

ああ、たしかに彼女らのくらいの子たちはまるでいなければおかしいとでも言うように、半ば義務のような形で誰々が好き、などと話すのだろう。けれど、彼女は巻き込まれない。口先と形だけのものでそこには中身などなにもないことを、わかっている。そう、まるで本物の親馬鹿のように微笑ましく思ってそうか、と喉で笑ってやる。それに釣られて彼女もくすくすと肩を震わせて、ひとしきり笑ったあと今度はこつん、と額を合わせてきた。鼻先と鼻先が触れて、唇さえ今にも触れ合いそうな、恋人たちの距離。

「名前はね、義父さまがすき、一番すき、みんなが誰かをすきなのよりずぅっと、すき。義父さまはわたしを拾ってくれて、わたしの義父さまだけど、わたし、義父さまがいてくれたら、」

ほかの男の子なんて、いらないの。そう言って、子供っぽいくちづけを残していく彼女は、やはり特別な少女だった。少女だ、躰も、心も。けれど、どこか誰かを捕らえてしまえるまでの魔力ともいえるべきを持っている。絡めた腕はそのままに、離れた彼女は小さく首を傾げて、義父さま、とまた俺を呼んだ。

「義父さまはずうっと、名前といてくれる?こうやってぎゅってして、キスしてくれる?」

問う彼女を再び優しくベッドへ戻し、ゆっくりと彼女がするものとは全く違うくちづけを送った。離せば少し気上した頬を撫でて、先の彼女のように、耳元へ優しく唇をよせる。

「俺はこの先ずっと、お前を愛する為だけに生きる。約束しよう、」

本当は、彼女を引き取るときに決めたことだった。俺のこの先の人生は彼女に寄り添うためにある。美しい華の蕾を手折って手元に収めてしまうかわり、それを何より美しく満ち足りて咲かせるためだけに何物さえ惜しまない。そう、誓った。けれど本当は、違うのかもしれない。彼女は、ただの咲いて枯れる華などではない。もっと、そう、俺を生かすための存在。今まで俺が見てきた風景、見えるものすべてを新しく、光と息吹に満たすような、そんな暖かく、溺れるようにあまったるく、俺などがどんなにしてやろうと穢れない、春。すべてのはじまりがそれだと言うのなら、俺がいま生きる世界はきっと彼女が連れてきた。彼女が少女、焦がれたハデスに連れ去られたコレィならその躰に息づくのは春の女神だ。本来人には許されない密儀を行う、連れ去った俺のもとで、俺のためだけに存在する女神。単なる少女信仰だと言われても構わない。そこに俺と彼女だけがわかる愛があればそれでいい。ただそれだけ。そう、

俺は、春を抱いて生きていく。




あまったるい白い春


110422
幸村さんぶっとんだ。

※ロリータ‥ナボコフの小説。義父と娘の話。作中で不思議な魅力の少女をニンフェットと呼ぶ

※コレィ 冥界の王ハデスに見初められ連れ去られた後嫁ぐ、ギリシャ神話でのちに密儀や豊穣、春の女神になるニンフ。少女の意


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