雄猫1匹、煩悩との葛藤

お化け屋敷では散々な目に遭った。最悪すぎる。男としての面目丸潰れ、という事態だけは避けたかったが、完全に潰れた。それはもう見事にぺしゃんこに。彼女に可愛いと言われる男にはなりたくなかったなあ、と今更ながらに思う。しかし何を思ったところで、もう後の祭りだ。
だから俺は上機嫌なまいの後姿を見つめながら密かに決意した。この借りはきっちり返してやろう、と。やられっぱなしは性に合わない。
さて、お化け屋敷という地獄から出た俺とまいは、夜久と宮崎さんカップルと合流した。時間はあっと言う間に過ぎていて、今は夕方5時になろうかというところ。夏は日が長く、太陽が燦々と輝いているからまだまだ明るい時間は続くだろうが、今日という1日は残り7時間ほどしかないらしい。楽しい時間というのは一瞬である。
ランドでの夏の一大イベントはウォーターパーティーだ。俺達はこのイベントのためにランドに来たと言っても過言ではない。間もなくそのウォーターパーティーが始まる時刻ということで、俺達4人はぞろぞろとイベントエリアに移動する。途中でウォーターシューターというアイテムを購入したのは、本当に勢いだった。こんな高くて今後使えそうにないおもちゃ、通常モードだったら絶対に買わない。しかし俺も残りの3人も、今日は通常モードではないのだ。少しぐらい馬鹿なことをしたって誰も咎めてくる者はいない。
イベントエリアに到着して間もなくして、ちょうどショーが始まった。ランドのマスコットキャラクターがわちゃわちゃと現れて、盛大に水を撒き散らしていく。思っていたよりも水の勢いが凄く、俺達は序盤の時点で結構な水攻めに遭った。でもまあ、これがウォーターパーティーの醍醐味と言えばその通りだ。
周りの参加者も俺達も、すっかりその場の空気に飲まれていた。俺は購入したてホヤホヤのウォーターシューターを使って手当たり次第に水を撃ちまくる。思っていた以上に楽しい。童心に帰るというかなんというか。まあ俺よりも童心に帰ってる男が約一名いるんですけどね。

「おりゃ!」
「わ、夜久くん!冷たい!」

夜久はすっかり子どもに戻っていた。誰よりもこのイベントを楽しんでいる。それも全力で。ほんとガキだよなあ、と呆れていた俺だったが、よく見れば夜久がまいにウォーターシューターの水を直撃させてくれたお陰で、ナチュラルに服が濡れて黒いインナーが透けて見えるようになっているではないか。インナーはまいの身体にぴったりと張り付いていて、その綺麗なラインを浮き彫りにしている。素晴らしい。眼福だ。夜っ久ん、ありがとう。…と、最初は感謝したけれど。
このまいのちょっとエロい格好が俺以外の奴らの目に晒されているのだと思ったら、今度は複雑な心境に陥った。だってまいの身体を見ていいのは俺だけだし、なんて。俺も立派なガキの一員だ。
幸いにも、夜久も宮崎さんもイベントに夢中で服が透けているとかそういうことは気にしていないようで、まい自身も気付いていない様子。危機感ねぇんだから。つーか夜っ久ん、宮崎さんの服も微妙に透けてっぞ。彼氏ならそこちゃんと見とけよ。
そう思いつつも、耳打ちできるような状況でもなく、俺はひたすら子どものようにはしゃぐ夜久・宮崎さんカップルを眺めることしかできなかった。ま、いっか。そのうち気付くだろ。

「鉄朗〜隙あり!」
「は…うっわ、顔かよ!」
「あはは!髪が濡れたら別人みたい」

呼ばれて振り向けば、こちらもかなりイベントを満喫しているまいが、俺の顔めがけてウォーターシューターの水をぶちかましてきた。容赦ない。手加減ってもんを知らねぇのか、と思う反面、存分に楽しんでいるまいの姿を見ると、ここに来て良かったなあという気持ちにさせられる。
それにしても、本当にびしょ濡れだ。まいの指摘した通り、今の一撃によって俺は顔だけでなく髪も水浸しになってしまったので、いつもの寝癖は消え失せていることだろう。鏡で見たわけではないのでビジュアル的なものは分からないが、視界にチラつく髪がそれを物語っている。俺は目にかかって鬱陶しい前髪を掻き上げた。
水で濡れた一瞬は冷たくて心地良いが、時間が経って髪や服が張り付くのは少し気持ちが悪い。いっそTシャツを脱いでしまおうか。そんなことを考えている時に、ふと感じた視線。そちらに目を向ければ、その視線の主であるまいは、なぜかほんのり顔を赤らめて慌てて俺から顔を背けた。明らかに不自然だ。
もしかして何か意識しちゃった感じ?ふーん。へーぇ。俺はニヤニヤしながらまいの顔を覗き込んだ。「何!」と必死に強がって見せたところで、ただ可愛いだけである。

「さっきのお返し」
「わっ…!つめたっ」

顔は薄く化粧をしているようだし後からガチで怒られそうなので、首元から下を狙って水を噴射させる。これは本当に何も考えずに仕返しのつもりで取った行動だが、首を伝って鎖骨、胸元へと流れる水が非常に官能的で、俺は自分自身に賞賛の拍手を送った。こういう時に健全な高校生男子が考えることなんて、所詮そういうことばかりである。煩悩の塊。
しかし、些かやり過ぎてしまったか。俺の攻撃によって更に服が濡れたまいは、いよいよインナーが丸見えになっている。さすがにこれは色々と目の毒になってしまうような気がする、と判断した俺は、自分が着ていたTシャツを脱いでまいに着させた。体格差からダボっとしたシルエット、丈の短いワンピースのようにも見えるその格好。それはそれでクるものがあるが、さっきよりは何倍もマシだ…と思うことにする。

「これ何…?」
「服。透けてる」
「え」
「可愛い彼女が好奇の目に晒されないように守るのが彼氏の役目なんで」
「…ありがと」

いつになくしおらしく素直にお礼を言ってきたまいは、きょろきょろと視線を彷徨わせていて落ち着きがない。ていうか俺と目合わせてくんないし。なんでだ?
少し考えた俺は、すぐにその答えに辿り着く。Tシャツを脱いだせいで俺は今上半身裸の状態になっている。まいはそれで、目のやり場に困っているのだろう。周りの参加者の中には俺と同じように上半身裸になっている男が何人もいるというのに、こんなところでウブになられても困る。これから夜にかけて、もっとやばいお楽しみが待ってるわけだし…なんて。
ちょっと気を抜いたらすぐに思考がそっち方面に持って行かれてしまうのは、若気の至りだと思って許してほしい。俺にも少し夜っ久んの純情さを分けてほしいところだ。

「ちょっとあっち行かね?」
「え?」
「喉渇いたし、飲み物新しいの買おうかと思って」
「ああ…私も欲しいかも」

確かに喉は渇いている。が、ここで夜久と宮崎さんから離れたのは、単純にまた二人きりになりたかっただけだったりして。そんな俺の煩悩だらけの目論見など知る由もないまいは、人込みの中ではぐれないようにと、良い感じに濡れて、これもまた暑さで良い感じに火照った身体を俺にぎゅうぎゅうと押し付けてくるのだから堪らない。
…やばい。色々と。なんかこう、我慢できそうにない。男とは本当に馬鹿でくだらなくてどうしようもない生き物である。
俺はまいの手を取ると、足早に人込みから抜け出して人気のないところを目指した。喉が渇いた。とりあえず飲み物を買おう。その間にこのやましい気持ちが落ち着きますように、という願いは、果たして叶うのか。それは神のみぞ知る。