虫歯治療






「虫歯治療」









侑士さんにぽっかり空いた穴を埋めたかった。
簡単に言えば侑士さんにとって俺は歯科医師のようなものかも知れない。
侑士さんの心の虫歯を、俺がせっせと詰めるのだ。
例えそれが侑士さんにとって全くの傍迷惑だとしても、俺はその立ち位置を退こうとはしなかった。
健気な後輩なんて言う綺麗な人間でいたかったからだ。




「虫歯治療」












バスタブで死人のようにぬるま湯に浸かる侑士さんの頭をわしゃわしゃとシャンプーで洗っていた。
無造作に伸びしっとりと濡れた首もとにへばりついたネイビーブルーの髪の毛、湯気で曇ったテレビを眺める虚ろな瞳、生気の無い顔にひょっろい体。
あ、こんな人どっかで見たことあるわあ。
なんやったかな、ほら、千歳さんの好きなジブリの、キムタクが声優やっとる、途中髪の毛が真っ黒んなってもうて、ショックで、体から緑の粘液みたいなん出すひょっろい魔法使い。
そう、なんちゃらの動く城の。
今の侑士さんは緑色の入浴剤に染められたぬるま湯に浸かっているし、なんやひょっろい体になってしもうとるし、ほら、そっくりやんけ。まあひょろいんは侑士さんが何日もロクに飯食ってへんからやろな。
せやけど、侑士さんは毎日風呂にだけは入る。
潔癖なんかなんなんか知らんけど、何を洗い流すでもなく緑色の入浴剤を入れたお湯に浸かって、俺に髪を洗われる。
俺は侑士さんの髪や体を洗ってあげることに何の抵抗もないし、寧ろ嬉しい位やった。
せやから、俺も毎日侑士さんの髪の毛を、体を、丁寧に洗った。


「痛くないスか」
「そのテレビおもろいスか」
「ボディソープ変えたん気づきましたか」
「痒いとこないスか」








「穴は、埋まりそうスか」







ほっそりとした侑士さんの腕を撫で、最後に尋ねる。

侑士さんの返事は無い。
侑士さんは、じっと自分の膝を見つめて規則的に呼吸するだけだった。
相変わらず、虚ろで、なんにも無くなった様な体。
この人、ほんまに生きてんねやろか。
死んどるんと、ちゃうんか。






「生きとります?」









こくん。

頷く。

ああ、この人生きとったんや。
飯、今日は食うてくれるやろか。




「風呂上がったら、俺とチャーハンでも食いましょう」





俺、料理出来るんスよ?
侑士さんの為に毎日毎日飯作ってますからね。
せやから、食べて下さいよ。



「先上がってるんで、そろそろ侑士さんも上がって下さいよ」




侑士さんの髪を洗い終わると、俺は風呂を出てキッチンへ向かった。

小振りの冷蔵庫から適当に食材を取りだし、皮を剥き、手際よく微塵切りにしていく。
チャーハンを作るなんて、かなり久々だ。
食材を炒めて、米と混ぜて、火を強めて、予めつくっておいた玉子を混ぜる。我ながらええ臭いさせるわ。
木ベラで米を解していると、突然背後から腕を回された。
湿った髪の束が俺の項をねっとりと舐めるように掠めて、くすぐったい。
「侑士さん?」
尋ねると、余計に回された腕の力が強くなる。
不安なんやろか、この人。
「髪の毛ビショビショやないですか、ドライヤーそこあるんで乾かしてくださいよ」
そうせなアンタ、風邪引いてまいますし、風邪引いたら大変ですやん。世話する俺も。
そう急かすと侑士さんは俺の首もとで徐(おもむろ)に、聞き取れるか聞き取れないか暗いの大きさで「嫌」と口を開いた。

わがままなやっちゃなぁ。


「…侑士さん、自分で乾かせられへんのスか?」


しゃーない、俺が乾かしたらな。
そうせな侑士さんが風邪引いてまうからな。


「ほなそこ座って下さい」


クッションへ座らせる。
侑士さんが乾かされへんのなら、俺が乾かしたらなアカンのや。
俺が侑士さんの一から十までを全部してやらな、侑士さんが侑士さんじゃ無くなってまうんや。
俺がおらな、侑士さんにポッカリ空いた穴が、埋まれへんのや。




チャーハンを皿に盛り、スプーンと一緒に侑士さんの前のテーブルへ運ぶ。
今日こそはこの人俺の手料理食べてくれるやろ。
俺とずーっと一緒におって、俺が侑士さんの事見守って、世話して、何から何まで俺と一緒なんや。
せやからもう俺以外なんて有り得へんねん。侑士さんの中で、俺が一番に決まっとるはずや。
侑士さんの穴は、もう俺が埋めとるはずやねん。






「………ざい、ぜん」







ひゅう、と喉が鳴った気がした。埋めきれなかった穴の隙間から悲鳴が聞こえてきたようで、俺は、必死に穴を埋めようと、どうしようもなく侑士さんを柔らかく抱き締めた。
風呂から上がったばかりのはずやのに、なんでか侑士さんは冷たくて、こうして引っ付いとるのに何メートルも、何キロも離れとるような気がしてならんかった。
ぎゅうぎゅうと腕に力を込めても、反応もなんもない侑士さんとの距離が、ただ遠すぎるだけやった。
侑士さん侑士さん、俺だけがそう呼んどるのに侑士さんは俺を財前と呼ぶままなんや。いつまでも「光」と呼んでくれん事にはうすうす気い付いとった。








俺じゃ、初めっからあかんかったんや。







「まだ、俺は、財前なんすか」





「侑士さんの中の俺は、財前のままなんすか」





「俺が侑士さんの虫歯を埋めるんは、無理なんやろか」












「…財前、」



「侑士さん、俺は侑士さんの為なら何だってやります。侑士さんが死ねって言うんなら、俺は喜んで死にます。侑士さんが愛せ言うんなら、俺は生涯侑士さんを愛すつもりでおります。」




侑士さんは表情一つも変えずに俺に抱き締められている、俺の話を聞いている。
嫌ともなんとも言わへん。
せやけど俺は分かっとるんや。

侑士さんのぽっかり空いた穴を埋めるんが俺やっちゅーんがそもそも無理な話なんかもしれん。
俺が侑士さんになんぼ何しても、侑士さんの心の中はいつまで経ってもあの人の方しか見てへんねん。
中1の頃、侑士さんを見て、それから隣におった俺より一個だけ上の人等を見て、もう何も出来へんと思った。
侑士さんがあの人を見とることも、侑士さんに見られとるあの人が侑士さんを見てへんことも気づいた。
ほんで、侑士さんがあの人といざこざがあって立ち直れんなった時、俺は侑士さんの中で一番になれると思っとった。






でも、そんなんは俺の妄想なんや。










「………寂、しい」












ぽつり、侑士さんが呟く。
何言うてんねん侑士さんのドアホ、寂しいんはこっちや。
今見えてへんやろうけど俺今泣いてんねん。
なんで泣いとるかとかもうそんなんとちゃう。

侑士さんが俺を見てくれるだけでええねん。



穴がいくら埋まらんでも、もうええ。



迷惑でも、ええんや。





俺はただ、もう、どーしょうもない位侑士さんが







「…好きなんや」










今日も侑士さんからの反応は無い。


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