「そういや俺、お袋が怒ってるとこってみたことねぇな」

事の発端は、何気ない会話の合間に発した翔の一言だった。






「――真斗さんの怒っているところ、ですか…?」

「言われてみれば確かに見たことがないかもしれないね」

「だろだろ? 俺らがなんかやらかした時のあれは怒るっつーより叱るって感じだし。ちょっと気になるよなー」

「ダディなら見たことがあるんじゃないのかい? 当然だけれど一番長い付き合いなのだし」

「私はあの方の気に障るようなことなど絶対にしません。……と、言いたいところですが…。…ないこともない、ですよ……」

「なんだい、珍しく歯切れが悪いな」

「あまり思い出したくないんですよ…」

「えっそんな恐いのかお袋って」

「恐い…そうですね、少なからず心に傷を負う程度には」

「心に傷って。相当だなオイ」

「原因がわかれば耐えられたのかもしれませんが。それもわからないまま…朝眼を覚ましキッチンへ向かった私に、差し出された朝食は生卵ひとつ」

「えっ」

「昼食は珍しくサンドイッチかと思えば、ランチボックスの端から端までパン、具、パン、具、パン、具…」

「…それは……非常に食べづらいね」

「ええそれはもう。それをしかも普段より一層綺麗な笑顔で」

「うっわそれ逆に恐ぇな。っつーか、ホントにホントの話なんかぁ? あのお袋がって俺、全ッ然想像できねーんだけど…。ってか朝眼ぇ覚ましたらってのもおかしくね? 寝てんだもん、怒らせようがないじゃん」

「もしくは、前日ないし睡眠中にダディが何かしらおいたをしたかだね。心当たりはないのかい」

「おいたとはなんですかおいたとは。失礼な。…けれどそうですね、眠っている間のことはもちろん意識がないのですからなんとも言えませんが前日、ですか。だいぶ昔の話なのであまりよくは覚えていないんですが、確かお酒を呑んだような」

「いやそれもう決定じゃん。明らかに原因酒以外のなにものでもないじゃん」

「確かにあの日以降、家からぱったりと酒類がなくなった気はしますが。しかし大学時代にはよく付き合いで呑む事もありましたし、その際に周囲に迷惑をかけたという話は聞きませんでしたが」

「ふうん。だがそれ以外に何か思い当たるものがないのであれば、試してみる価値はあるんじゃないかな」

「は? 試すとは? レン、あなた何を取り出して…」

「ちょうどさっき、りんごちゃんに上物が数本手に入ったからお裾分け、と譲ってもらっていたのを思い出してね」

「それは後でお礼を言わなければいけませんね。…ではなく。そのロゼで、あなたは一体何をどう試すと言うんです?」

「だからぁ、ダディがこれで何かしらおいたをやらかして帰ってきたお袋を怒らせるようなことになれば、ダディの心に傷痕を残した要因も判明するし、おチビちゃんと俺の"お袋の怒ったところをみてみたい"という望みも叶う。一石二鳥のいーいアイディアだろ」

「あー、なるほど」

「なるほどじゃないですよ翔。私は嫌ですからね。なにが一石二鳥ですか。確証はないにしても、わざわざ彼の機嫌を損なわせるかもしれない事をしたくなどありませむぐッ…!?」

「おぉー。いい呑みっぷり」

「それなりの額の代物だ、さぞかし旨いだろうね」

「んっ、ぐ――…ぷはッ! げほっ……っ、ボトルから直接って…私を殺す気ですかあなたたち!」

「あ、わり。ちょっと角度つけすぎたか」

「そ、…っいう問題ではありません…ッ」

「まぁまぁ、飲んでしまったものはしかたないだろ。あとはお袋の帰りを待つばかり――」

壁にかけられた時計を見上げながらのレンの言葉が、途中で止まる。
廊下の先で、ガチャリと玄関扉の開く音がしたからだ。
残りの二人も気付いたらしく、トキヤの肩が大袈裟なまでにびくりとはねた。

「……しばらくの間自室に篭ります…」

玄関へと続く廊下には向かわずくるりと方向を変え縁側から自身の書斎へと早足に向おうとしたトキヤの両腕を、レンが後ろからがっちりと捕まえる。

「おいおい、折角愛しのレディが帰ってきたというのに顔も見せずに自室に篭るだなんて、離婚への第一歩だぜ?」

「愛しいってとこはあえて何もいわねぇけど、レディじゃねぇだろレディじゃあ」

腕の中でもがくトキヤをやれやれといった体で拘束するレンにすかさずツッコミをいれたところで、翔の背後でかさりとビニール袋の擦れる音がした。

「ただいま…って、何をやっているんだおまえたちは」

リビングの様相を見て、帰宅した真斗が至極当然の疑問を投げかけた。
訝しげに翔からレンへと視線を巡らし、そしてトキヤへと向けたその表情が――瞬時に歪められる。
レンがそれに疑問を抱くより先に、いつの間にかおとなしくなっていたトキヤがバッと拘束から逃れると、大きく両腕を広げながらぴょんとその場で跳ね上がって

「――真斗くんだにゃあ〜っ!」

下手をしたらキラキラとでも効果音のついてしまいそうな、いまだかつて見た事もまして想像した事すらない満開の笑顔を真斗に向けた。

「まっ真斗、くん…?」
「だにゃあって……」

父親のそのあまりの変貌ぶりについていけず、レンも翔も一歩後ずさる。
そしてそれに対して驚くことなく顔を片手で覆った真斗の、重苦しい溜息とともに忌々しげに吐き出された

「……HAYATO………」

という聞き覚えのない単語にさらにまた、二人は疑問符の数を増やすのだった。




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