差し出された小箱の中身を知っていた。



あなたの傍に在れるのならそれだけで構わない、だなどと口では言っておきながら、一方通行が前提だったこの夫婦ごっこの中にいくつも散りばめたエゴイズムの、そのひとつ。
着けてくれなくていい、持っていてくれればいい。
二十年前、優しい彼が自分に抱く負い目を利用し無理矢理押し付けたそれは、案の定彼の薬指で光り輝くことなど一度たりともなかった。
それどころかあの日以来見かけることすらなかったその存在。

――捨てられてしまったとばかり思っていたのに。

それが今再び、自分の前に姿を現し、
そして。


「俺にもう一度、これを受け取るチャンスを与えてくれないか――」


緊張に揺らぎながらも真摯に、ただひたすらまっすぐに自分を捕らえた瞳。
寝台の上で正座をし、膝の上で硬く握り締められた拳。
何度か躊躇いに震えていた唇から紡がれた言葉を、しかしトキヤはすぐに理解することができなかった。

真斗のことを愛している。その気持ちに偽りなど一欠けらだってない。
だけれど期待などという言葉は、彼に想いを告げるずっと前から早々に捨て去っていた。
こうして傍に居続ければいつの日か――なんて都合よく考えられるほど自分は楽天家ではなかったから。
多くを望まず与えられたものをただ包守しているだけで、満足だった。

先程の真斗の言葉がぐるぐると頭中を駆け回る。

もう一度これを受け取るチャンスを――。

手渡された小箱。歳月を経て少しだけくすんでしまっている、白いリングケース。エゴイズムの、最たる塊。
幾つもの打算をその内に孕んでいようと、これは間違いなく自分の真斗への愛そのものだ。
それはきっと彼もわかってくれているはずで。

それを、受け取る――?

ふいに、長らく失くしていた"希望"という存在が、身体のどこか奥のほうからにじりにじりと湧き出でだしたような感覚。
もし、もしも、真実自分の考え付いたままの意味だとしたら、それは――。


「俺はお前が好きだ」


静かな声音。
しかしその短く凪のように穏やかな中には言葉以上の想いで溢れていて。
ぶわり、とトキヤの心を打ち震わせた。

一呼吸置いて。僅かに眉根を寄せ時おり視線を彷徨わせながら真斗がなおも言葉を紡ぐ。

「薫に詰られあいつらにも指摘され、――やっと。俺は、俺自身の心に気付いた。
……いまさらだということは十分にわかっている。この小さな箱に詰められたお前の想いから目を逸らし、今日までお前に苦しい思いを強いていた俺がいまさら、と。
――だがもし俺にその資格がまだ残っているならば……、お前がそれを許してくれるというならば。あの時手にできなかったものを、俺はこの手に収めたい。俺をお前の隣に在らせてほしい」

熱を宿し揺らめく瞳が、切実な色を含ませてトキヤを見上げる。

言葉が。唇から瞳からむしろ彼の全身から伝わってくるような錯覚。
あまりの歓喜に、眩暈すらしそうだった。

「真斗さん……」

名を呼んで、頬に手を添える。じんわりと温かい。思わず笑みが零れた。
一度ゆっくり瞬きをして、その瞳を見詰め返す。

――辛いと感じたことも、確かにあった。
歪んだ片想いに光の射すことなどないことを。
常に傍らにいながら碌に触れることも叶わないことを。
けれどそれは全て、この人の笑顔を見られるならと自分が選択したものだから。
だから、

「許すも許さないもありません。私の隣はあの日から……あなたと出逢ったあの瞬間からずっと、あなただけのもの――。あなたがそうと望むなら、私はただそこへあなたを導くだけです」

そっと手を取り、

「……そして私はあなたがずっと隣で笑っていられるよう、この生涯全てを懸けてあなたに愛を与え続ける…」

薬指に触れるか触れないかのキスを。

ほぅっと真斗が小さく息を吐いた。
もう一度優しくキスを落として、顔を上げる。
乾いた唇をそっと湿らせ、すうっと息を吸い込んだ。


一言一言想いを乗せて、

「――改めて言います。真斗さん、私はあなたが好きです。誰よりも愛している」

人生二度目の プロポーズ。

「あなたが望む限り何度でもいつまでも、この言葉をあなたに」

一度目は、もとより返事など期待していなかったけれど。

「愛しています。この愛を……指輪を。受け取ってください」


拾い上げたリングケースを真斗の前に献げる。
トキヤを映しゆらゆらと揺らめいていたインディゴブルーがふっと、伏せられた。
髪よりもやや濃色の長い睫が微かに震えている。

暫時閉じられていた瞳が再び開かれ、今度はひたりとまっすぐにトキヤのそれと交差した。
そして真斗はその掌をふわりとケースの上に重ねて

「ありがとう」

ただただ嬉しそうに、笑った。



end.



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